先入観外しのお手本は子ども。poverty inc,あなたの寄付の不都合な真実を突きつけられて
愕然とした。寄付したその先の現実を知って。
愕然とした。援助で儲ける貧困産業の一端を突きつけられて。
そして何よりも愕然としたのは、自分の記憶力に。
わたしは4年前に、この映画を観ている。
見始めて、気づいた。あれ、これ観たことある。
この映像、デジャブ??このセリフ、聞いたことある。
気づかなかったのだ。
衝撃の事実がいっぱいだなんて書いていたくせに。
あんなに心に留めようと思っていたのに。
あんなに学んだと思ったはずなのに。
そう、人は忘れてしまう。
日常に忙殺されて、大事なことを記憶の彼方に追いやってしまう。
自分で、自分を信じられなくなった瞬間。
「Poverty, Inc あなたの寄付の不都合な真実」は
寄付とは何か、援助とは何かを考えさせてくれる映画だ。
詳しい内容はこちら↓
情報量がものすごく多いので、メモする手が追いつかないのだけれど
今のわたしが一つだけ、決して忘れたくないと思ったのは
先入観の恐ろしさだ。
援助を受ける側にいる人たちから語られる、悲痛な叫びは一貫している。
「生涯、施しを受けたい人なんていない」
「NGOは人々の意識を変えてしまう」
「魚の釣り方を教えたら、去るべきだ。40年もいるべきではない」
「思い込みに苦しめられているんだ」
貧困は何から作られるか。さまざまな理由があるけれど、その一つには先入観が間違いなく関係していると思う。
貧困=お金がない
じゃあどうする?ないなら、お金がある人があげればいい。
貧しい人は助けてあげないといけない。だから寄付をする、援助をする。
寄付、それはモノやお金をただであげること。
無償であげることは、何を意味するのか。
もし、あなたがお米農家だったとする。お米は貴重で週に3回ほどしか食べられない。
ある日、外国から無償でお米が届くようになる。しかも大量にだ。周りの人は無償のお米があるから、自分のところからお米を買ってくれなくなる。作っても売れない。作れば作るだけ赤字になる。
どうするか。
作るのをやめる。そういう人がどんどん増えると、誰もお米の作り方が分からなくなる。お米は貴重品ではなく、廉価品になる。タダでもらえるものだから。1日3食お米になる。食生活が変わる。文化が変わる。お米を消費はするけど、育てる国ではなくなる。だって作り方がわからないから。誰もそれを知らないから。文化は壊れてしまったから。
これは実際にハイチで起きていることだ。映画の中では今も支援米が届き続けていると言っていたけど、今はどうなっているのだろう。
ハイチはNGO共和国と呼ばれるそうだ。人口一人当たりのNGOの人数が世界一らしい。そう聞くと、さぞや貧しく大変な人が多いと「イメージ」してしまう。
だけど、それは作られた貧困なのだ。もともと貧しかったわけではない。援助によって、貧困から抜け出す機会を奪われている。貧困産業の上客になっている。
太陽光パネルの会社を立ち上げたハイチ人男性は言う。
「競争相手は、NGOだよ。タダには勝てない」
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「貧困とは生産性と貿易から隔絶されていること」という言葉が印象的だった。生産性とは市場に入れないこと。つまり、同じ土俵に立てないことを意味する。
いくら農作物を作りたいと願っても、所有権が法律上認められてなければ、土地を持つことができない。土地がなければ担保がないので、ローンを組んで農機具を購入することもできない。
商売をしたいと願っても、輸出をしたいと願っても、同じような壁が次々と立ちはだかる。
貧困に苦しむ人は、決して頭が悪いわけでも、能力が低いわけでもない。スタートする土壌が極端に悪いのだ。わざとやせた土地からスタートするように、操作されているだけ。
日本に住むわたしは、それを知って何ができるのだろう。あきらかに、援助する側にいるわたしは、この事実を知って、何を変えられるのだろう。
先入観をなくすこと。思い込みを外すこと。それが今を変えることにつながると思う。お手本は子どもたち。
「なんで?」が口癖の彼ら彼女らには、先入観がない。その「なんで?」が大事。日々子育てをしていて、つい時間がないと返事がおざなりになったり、「そう言うもんなの!」なんて言ってしまうこともある。だけど、それでは思い込みという凝り固まった枠組みからは、抜け出せない。
なんで?はチャンスなのだ。
そのタネは日常に転がっている。
必要なのは援助ではない。迎え入れるドアなのだと言っていた。
We don't need aid anymore, just open the door.
こちらがいくのではない。むしろ、望まれたら赴く。必要だと言われたことのやり方を教える。押し付けだけの古い援助はもういらない。
緊急災害支援はもちろん必要だ。一刻も早く。だけどいつまでも同じ形の支援が続いてはいけない。援助慣れさせてしまってはいけない。一生助けてもらっている側にいるなんて、生涯、施しを受け続けたいなんて、思う人はいないはず。
自分の行動がどう影響するのか、その先をほんの少し、想像する。物事の前提を掘り返してみる。貧困って何だろう。寄付って何だろう。援助ってなんだろうって。
それは寄付に限ったことではなく、日常の全てにいえる。
一つ言えるのは、貧困は在るのではなく、作り出されるってこと。どうやって作り出されたか。どうやってなくすのか。その答えのヒントはこの映画に、たくさんたくさんある。
人は忘れる生き物だから、学び続けるのだと実感した。日々、知識を得ては忘れる。その繰り返し。どうせ忘れるなら知らないのと同じ?不毛?そんなことはないと思う。完全に忘れてはいないから。4年前に書いた感想を見返したら、今のわたしとは違った感想だったから。以前よりも、少しは考えられるようになったのかもしれない。そんな風に、人は学んでは忘れていく。