1週間ママやめて北欧に行くことにした
今から25日後、私は日本にいない。
フィンランドのヘルシンキ・ヴァンター空港にひとり降り立ち、写真でしか見たことのない景色を自分の目でみている。
空港に降り立った瞬間、日本は醤油、韓国はキムチ、インドはカレーの匂いがするって聞いたことがあるけれど、フィンランドはどんな香りで私を迎えてくれるんだろう。
フィンランドは、どんな匂いがするんだろう。
想像の中でしか辿り着けなかった憧れの地に足を踏み入れた私は、何を感じ、何を思い、どんな経験をするのか。
そんな興奮と不安が入り混じった気持ちと、日本で待っていてくれる家族を思いながら、私はひとり、前に進む。
首をすくめるような寒さの11月のある日。古本屋さんをうろうろしていたら、黄色い本が目に入った。「考えごとしたい旅 フィンランドとシナモンロール」。益田ミリさんの本だ。
パラパラとめくると、こんな文章が目に飛び込んできた。
いいな、これ。私も真似してみよう。
家族の誕生日くらいしか書き込んでない真新しい手帳。
「子どもたちが夏休みの7月なら、もしかしたら、行けるんじゃない?」と淡い期待をもって、2024年7月のページを開く。
この辺かな。ブルーの蛍光ペンで線を引いた。
なんでかわかんないけど、心の中で何かが、コトリと動く音がした。
もうすぐ40歳になる。
もう40歳なのか、まだ40歳なのかわからないけれど、それなりに楽しく生活できているから、たぶん私は、しあわせなんだと思う。
でも本当に、心からそう言えるんだろうか。満足のいく人生を歩んでいるんだろうか。
キリのいい年齢のせいか、つい色々考えてしまう。あとどれくらい、生きられるのかなって。
明日死ぬかもしれないし、100歳まで生きられるかもしれないし、未来がどうなるかなんてわからない。今この瞬間だけを考えて刹那的に生きるのは怖いし、先のことばかり考えて、今を楽しめないのもつまらない。どうしたらいいんだろう。
そんなとき、あるワークを教えてもらった。
紙一枚で自分の人生を俯瞰する「120マス」ワークだ。
縦軸は1歳から100歳。横軸は1月から12月。65歳から先は、亡くなる可能性が高いゾーンということでグレーで塗る。そして、私は39年生きてきたから、そこも塗りつぶす。
これが、私の人生。
色が塗られていない白いマスは25段ほど。健康で過ごせる期間は、思ったより少ないのかもしれない。
寂しいとか、悲しいという感情はあまりなかった。エクセルという無機質なツールのおかげか、感傷的になりすぎず冷静さを保てたのだと思う。
「自分らしく生きる」って、よく耳にするけれど、いつもその答えを探していたように思う。自分らしさを欲しても、具体的にどうすれば「らしさ」が手に入るのかわからなかった。
今の私は自分らしく過ごしているんだろうか。自分に正直に生きているんだろうか。
もし、お金のことや家族のこと、何にも心配せずに、「今何がしたい?どこに行きたい?」と問われたら、私の頭に浮かんだ答えは一つ。
「フィンランドに行ってみたい」
だった。
なぜフィンランドに惹かれるのか。その理由の一つに、友人の存在があった。
4年ほど前、家の近所にフィンランド人の家族が住んでいた。
「観光地でもない地方の郊外にフィンランド人?!」
と、驚いたが機械メーカーの駐在員として家族でやってきたと聞いて納得した。
仲良くなった金髪美人のロウラは、家に行くといつも紅茶でもてなしてくれた。フィンランド人はコーヒーの消費量が世界一だと聞いていたけれど、ロウラはコーヒーが苦手だった。
あるときロウラに「料理は好き?」と聞いたら、「I hate cooking. (料理はきらい)」と答えたので驚いた。「苦手」ではなく「嫌い」なんて、日本人はあまり言わない。
ロウラの家でおしゃべりをしていると、夫のアンティが夕飯を買って帰ってくるのをよく見かけた。週末は外食も楽しんでいるようで、息子のアーニーのお気に入りは、石川県のソウルフード「8番ラーメン」だった。
ロウラの妹がフィンランドから遊びに来たときに、一緒にシナモンロールを作ることになった。私が「シナモンロールを作りたい」とリクエストしたのを覚えてくれていた。妹は料理が好きらしい。
作っている間中、カルダモンの爽やかな香りが家中に広がった。今まで食べたシナモンロールの中で、間違いなく1番美味しかった。
フィンランド語は未知の言語で、言ったことを繰り返すことすらできなかった。
ロウラが子どもたちに話すフィンランド語は耳に心地よく、何度か覚えようとしたけど無理だった。空中に漂う見えない言葉はまるでシャボン玉のようで、すぐに残音は消えてしまう。
それでもなんとか覚えた言葉は
「Kiitos(キートス:ありがとう)」と「korvapuusti(コルヴァプースティ:シナモンロール)」
の2つだけだった。
ロウラ一家が帰国して約4年。コロナが落ち着き、久しぶりにメールをした。少し早いメリークリスマスを伝えるため。
そしてふと、
「もしも、私がフィンランドに行くとしたら、会えるかな?」
と聞いてみたくなった。
行くなんて決まってない。お金も時間もあてはない。だけど、なぜか聞きたくなったのだ。
ブルーの蛍光ペンで線を引いたスケジュール帳を頭に思い浮かべながら、メッセージを打った。
2日後にきた返信には
「もちろん大歓迎。7月ならいつでもいいわよ」
と書いてあった。
スケジュール帳に線を引いたのは、7月だった。
7月に、フィンランドに行く?
本当に行こうと思っているのかも、その時はわからなかった。だけどまた、心の中で何かが、コトリと動くのも感じていた。
クリスマス。
何か特別なことが起きる。そんなウキウキした気持ちが湧いてくるのは大人も子どもも同じかもしれない。
小さな子どもがいる家庭にはサンタ業務がある。私の子どもの頃のクリスマスの思い出は
不二家のペコちゃんのケーキとクリスマスプレゼントが乾電池だったこと。
たしか保育園か小学校低学年の頃、ワクワクしながら、大きな毛糸の靴下に手を突っ込んでみると、乾電池が出てきた。びっくりするやら、悲しいやらで、大泣きした。
少し大きくなってから、なんで乾電池だったのかを父に聞いたら、お気に入りのおもちゃの電池が切れて私が泣くので、売り切れ続出の中、探し回ってなんとか見つけたものだったらしい。
幼い私はそんな親の気持ちなどもちろん知らず、サンタクロースはいないんだと思っていた。
そのせいか、私はサンタ業務に対して、少しドライなところがあった。夫の方が楽しそうに、子どもたちへのプレゼントを用意していた。「こういうの夢だったんだ」と言って、欧米のクリスマスのワンシーンをイメージしているのか、夫は小さなクリスマスツリーの下にプレゼントを積み上げていた。
娘の背丈ほどの小さなクリスマスツリーの下には、自分たちで包装した同じ柄のプレゼントが並んでいた。
サンタ業務をしながら、このちょっぴりロマンチックな夫に「フィンランドに行きたい」と伝えるなら、クリスマスしかないのでは、と思う自分がいた。
夫は基本的に私のやりたいことを尊重してくれる。転職する時も、結婚式の場所も、助産院で産みたいと言った時もそうだった。自分の意見も言うけれど、私の意見もちゃんと聞いてくれた。なんでそうしたいのかを伝えれば、理解してくれる気がした。
次の4月で上の息子は小学4年生、下の娘は小学1年生になる。まだ手はかかるけれど、それでも保育園時代に比べたら、だいぶ楽になった。コロナも落ち着きを見せ、行くなら今しかないという、直感もあった。
だから
クリスマスの奇跡に期待
してみることにした。
毎年夫には、プレゼントと共にクリスマスカードを贈っている。今年のカードはお気に入りの作家さんのものをチョイスした。なんとなくフィンランドを思わせるかなと期待して。
日頃の感謝の言葉とともに、そんな希望もカードに綴った。
クリスマス当日。
朝早く目覚めた子どもたちは、包み紙をビリビリ破り、プレゼントに大喜びしていた。夫はソファに座って、ニコニコそれを眺めていた。そして私が書いたカードに目を落としていた。
なんとなく話しかけづらくて、キッチンで朝ごはんの用意をするふりをしながら、夫からどんな反応が返ってくるの、どんな言葉をかけてくれるのかをソワソワしながら待っていた。
夫はゆっくり読んでいるのか、なかなか言葉を発しなかった。
こういうとき、どんな反応が返ってこようとも
「私のことは私が決める」
と、決意できていたらいいのになと思う。
そうありたいと思っているし、実際私の人生なんだから、私のことは私が決めていいのだけど、そこまで潔くなれない自分もいた。
やっぱり家族には、特に夫には理解してほしいし、応援してほしい。「いってらっしゃい」と快く送り出してほしい。
だから「行ってくるね!」という宣言ではなく、「行ってもいいかな?」というお願いで気持ちを表現したのだった。
フィンランドに行きたいという気持ちは嘘じゃない。だけど実際口にしようと思ったら「やっぱり今じゃないよね」と、勝手に忖度してしまう自分が見えていた。だからカードに言葉を綴ったのだった。
書いてしまえばあとは渡すだけ。
書き言葉の強さと確かさ
を私は信じていた。
そんなふうに思いながらも、「今はまだ難しいんじゃない?」と言われた時のダメージを最小限にしようとして、いろいろな回答を準備していた。
ダメだった方の想像をしていると、夫がソファから立ち上がりこう言った。
「うん、いいよ。行っておいで」
あまりにもあっさりOKだったので、一瞬こっちが面食らってしまった。
「ほんとに?いいの??」
「いいよ。ずっと行きたいって言ってたじゃん。あ、貯めてたマイルがあるからそれで行ってきたら?」
しばしフリーズした。子どもたちはもらったプレゼントに夢中で、夫婦の会話は耳に入らないようだった。
「わーーーーい!!!!」
想像以上の大きなサプライズプレゼントをもらった気持ちで、3人目の子どものような反応をしてしまった。
照れくさそうに2階に上がろうとする夫の背中に抱きついて、「ありがとう」を伝えた。
そして
「行きたいって、ずっと言ってたんだ、私」
と、喜びを爆発させながらも、どこか冷静に思っている自分もいた。
夫から了承を得たので、次は子どもたちへの説明だ。
上の息子と下の娘には、別々に時間をとって話そうと決めていた。まずは上の息子からだ。
笑うと恵比寿顔で眉毛が極太の愛すべき息子。好きな教科は体育で、おにぎりは梅干し一択。暇さえあれば、ポケモンカードとスプラトゥーン3と「どっちが強い」という漫画のループにハマっている。
小学3年生の修了式の日の午後。2人でインドカレー屋に行き、カレーが来るまでの間、息子に「ママ、フィンランドに行きたいんだ」と伝えた。
息子の反応は、夫と同様かなりあっさりしていた。
一度は「え、やだー」と言ったものの、「お願い。ママね、フィンランドに行くのが夢だったの」と言うと、「じゃあ、いいよー」と承諾してくれた。
なんかもっとないのかい笑。
いろいろ質問がくるかと思ったのに。
息子は大好物のナンがくると、大喜びで食べ出した。
心配だったのは下の娘だ。
ママっ子の娘は3月生まれ。6歳になってすぐ小学校に入学したものの、保育園の隣に小学校があるので、クラスメイトはほぼ持ち上がりだった。それでも保育園と違う点はたくさんある。
自分たちの足で小学校まで行くこと、着なれないブカブカの制服を着ること(石川県は公立の小学校でも制服がある)、長時間イスに座ってお勉強の時間があることなど、違いを挙げたらキリがない。
生活環境が激変する中で「今、余計な刺激を与えないほうがいいのでは?」と思い、渡航の1ヶ月前くらいに言おうと思っていた。
だけど、「娘を思ってあえて言わない」というのは、ある出来事を私に思い出させた。
遠方に住む私の母は、大腸がんの手術で入院する際、私にだけ連絡をくれなかった。その時私のお腹には下の娘がいて、出産間近。だから母が大腸がんだったことも、手術をしたことも、知ったのは出産して2ヶ月経ってからだった。父はもちろん、兄も妹も母の手術を知っていた。
知らなかったのは私だけ。
その事実を前に、私は猛烈に寂しかったし、悔しかった。自分だけが仲間外れにされたような、疎外感を感じたのだった。
もちろんそれは母の優しさだと頭では理解している。離れた場所に住む出産間近の娘に余計な心配をかけたくなかったのだろう。
けれど自分だけが、母の人生の大事な局面を知らず、心配さえさせてもらえなかったことが寂しかった。「私だって一緒に心配をしたかったのに」と感じたのだと思う。
そんな経験があったから、今回のフィンランド行きを娘にいつ伝えるか、すごく悩んだ。
まだ6歳の娘と大人だった私とでは、ぜんぜん立場が違う。でも娘を1人の人間として考えるなら、私がされて嫌だったことを娘にしたくはなかった。
娘だけ後回しにすることは、私が味わった疎外感を娘に与えてしまう可能性がある。
「どうして私には言ってくれなかったの?」
という、同じ寂しさを感じさせたくはない。でも娘に負担はかけたくない。そう思うと、心は揺れた。
娘の入学式が終わった日の夜。
夫が使わせてくれるというマイルで航空券を手配しようとリビングでPC画面を見ていると、娘が隣に座って画面を覗き込んできた。
「なにしてるの〜?」
あ、今しかない。そう思った。
「あのね、ママ、フィンランドに行きたくて、飛行機の券を調べてるの。えみちゃんも知ってるでしょ。お友達のロウラに会いに行きたいの。行ってきてもいい?」
気がついたら娘に伝えていた。
その瞬間、娘は泣いた。ポロポロ涙を流して大泣きした。
「いやー!!!!!!」
そりゃそうだ。いきなり何言ってんの?と思うだろう。でももう私の心は決まっていた。
私は家族が大好きだ。
優しい夫も、元気いっぱいの息子も、可愛い娘も大好き。私の人生の優先順位の1番は家族だって、胸を張って言える。だけど、その状況や場面ごとに、2番目や3番目のことが、1番に入れ替わる瞬間だって、ある。
「あんたたちを優先したから、ママは自分のしたいことできなかったのよ!」
なんていうお母さんにはなりたくなかった。だからこの1週間だけは、自分を優先してもらおう。そう心に決めて、娘の泣き顔を見つめていた。
そばにいた夫が娘をひざに乗せ、背中をさすって慰めてくれた。
「ママね、フィンランド行きたいんだって。その間はパパがいるから大丈夫だよ。おいしいもの、いっぱい作ってあげる。何がいい?ピザ?サンドイッチ?いっぱい楽しいことしよう。だから大丈夫だよ」
夫はずっと娘をなだめてくれた。娘の泣き声は徐々に小さくなっていった。
「ママの夢、応援してあげよう」
と、夫が言った。
娘は目に涙をいっぱい溜めて、
「いいよぉ〜(鼻声)」と言ってくれた。
私は娘を抱きしめて「ありがとう」と伝えた。心の中でコトリと動いていた何かは、もう動かなかった。
今から1ヶ月後、私は日本にいる。
羽田空港にひとり降り立ち、無事に帰って来れたことにホッと胸を撫で下ろしている。
「すばらしい読書体験とは、読む前と読んだ後で世界が違って見えること」
だと聞いたことがある。私は幸運なことに、そういった体験をたくさんしてきた。
最近読んだのは、西加奈子さんの著書「くもをさがす」だった。
ある日、いつもは足を踏み入れない図書館のエリアに立ち寄ったら、黄色い装丁の本が一冊、隣の本に寄りかかるように、ぽつりと立っていた。
「ここにあったんだ」とひとりごとが漏れた。
カナダでガンになった西さんのエッセイは、西さんの体験が、西さんの言葉で綴られていた。借り物の言葉ではなく、自分の五感で感じたことを、自分の言葉で紡ぎ出していた。ユーモアに溢れていて、情緒的で、冷静で、鋭くて、温かだった。
「なんでフィンランドに行きたいの?」
と聞かれると、一瞬言葉に詰まる自分を感じていた。それらしい答えは、相手が満足しそうな答えなら、すぐに言えた。
それももちろん、理由の一つではあるけれど、本当の理由は自分でもよくわかっていなかった。でも出発前に「くもをさがす」を読んで、フィンランドに行きたい本当の理由が見えた。
それは、
自分の体験を、自分の言葉で語れる人になりたいから。
自分に近しい誰かと過ごす時間は好きだし楽しい。けれどちょっと困ったことも起こる。自分がどう思うかよりも、相手がどう思うかを優先してしまうのだ。
子どものいるお母さんは、たいていそうかもしれない。
それは決して悪いことじゃない。自分が納得して、選んでいるならなおさらだ。
だけど、自分を中心に生きていないと、いつの間にか自分が何を思っているのか、何を感じているのか、何を考えているのかがわからなくなってしまう。
「今日は楽しかった?そう、あなたが楽しかったなら、よかった」と、
誰かの体験を、自分の体験として置き換えてしまう自分がいた。
自分の体験として消化する必要がなくなってしまう。そんな自分が怖かった。
私は、私に起こった美しい瞬間を、私だけのものにして、死にたい。
この言葉は胸にスッと馴染んだ。懐かしさすら覚えた。
「いろんなこと経験して、楽しかったなぁ」と思って、この世を去る。それこそが私の人生の目的だと思っている。
形あるモノは壊れてしまう。あの世までそのモノを持っていくことはできない。けれど、そのモノを持っていた記憶、そのモノと過ごした時間は覚えていられる。記憶として一緒に連れていくことができる。
私は、私自身に、たくさんの経験をさせてあげたい。
そう思ったから、少しだけお母さんをお休みして、森と湖とムーミンとマリメッコの国「フィンランド」に行き、私が感じたことを、私の言葉で表現するという経験を私自身にさせてあげようと思ったのだ。
もしかしたら、場所はどこでもよかったのかもしれない。
今の私にフィットする場所が、今の私が必要としている何かがあると思わせてくれたのが、たまたまフィンランドだったんだと思う。本に出会うタイミングがあるように、旅をすべきタイミングもきっとある。
実際にフィンランドに行ってみて、何を思うのか。
それは1ヶ月後の私じゃないとわからない。
でも1つだけ自信を持って言えるのは、自分の本音にフタをせず、一つひとつの壁を乗り越えたり、迂回したりしながら、進んできた私ならきっと「行ってよかった」と感じているはずだってこと。
帰ってきたら、フィンランドで巡った場所の感想の他に、こんなことも書きたいなと思っている。
そして「行っておいで」と言ってくれた優しい夫、恵比寿様スマイルの息子、感受性豊かな可愛い娘に、心からの感謝とともに、たくさんの思い出話とお土産を渡すつもりだ。
〜おわりに〜
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。これを書いてるとき、私はまだフィンランドに行っていません。だから現在進行形で起きた出来事も綴っています。
本文には書いていませんが、渡航の6週間ほど前、娘がおねしょをしました。おむつが外れるのも早く、ほとんどおねしょをしたことがない娘。淡々と片付けることもできたはずなのに、その日は梅雨入りした翌日で湿気の体感90%の大雨の日。「なんでこのタイミングで…」とイライラしてしまい、つい強めに怒ってしまったのです。
「なんでこのタイミングで…」と思ったとき、ある仮説が頭に浮かびました。
私のせいなのかもしれないと。
おねしょの前の晩、娘はひどく落ち込んでいました。「ママが1週間もいない」という事実を改めて認識したからです。
曜日や時間感覚がまだ曖昧な娘にとって「次の日も、次の日も、そのまた次の日も、そのまたまた次の日も、ママがいない」という現実をようやく認識したようで、その小さな背中はしょんぼりと丸まっていました。
おねしょをしたのは、私のせいかもしれない。それくらいのストレスを私は娘に与えてしまったのかもしれない。やっぱり早すぎたのかな。行くのをやめた方がいいのかな。そんなふうに心は揺れました。
でも実際のところ、なぜおねしょをしたのかの本当の理由は、私には分かりませんでした。娘本人でさえも。どう捉えるかは、その人次第なんだろうと思います。
「娘のおねしょ=私がフィンランドに行くせい」と思えば、そういう見方で物事を判断していきます。娘の心に深い傷を負わせたと思い、「やっぱり私はお母さんだから我慢しないといけない」と思って、渡航をやめることもできます。
だけど娘が大きくなった時に「あのとき、あんたがおねしょをしたから、ママはフィンランドに行けなかったんだから!」と私は言わずにいられるでしょうか。
私には自信がありません。
自分の後悔を娘にぶつけてしまうかもしれない。
そう思ったのです。
絶対にそんなことは言いたくない。後悔もしたくない。だったら、ちゃんと娘に伝え続けるしかない。
「あなたのことはすごく大事に思っているけど、今は、この場面でだけは、ママを優先させてほしい。」
「ママは自分のこの経験を、自分の言葉で書いて、いろんな人に読んでもらいたいの。それがママのやりたいことだから、フィンランドに行くんだよ。」
渡航までの間、しっかりと伝えていこうと思います。
そしてこの文章を最後まで読んでくださったみなさん。フィンランドで、どんな景色が、どんな人々が、どんな食べ物が、どんな経験が待っているのかを一緒に楽しみに待っていてくださると嬉しいです。