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社会人2年目の春、パニック障害に①(きっかけ)

タイトルの通り、社会人2年目の春にパニック障害になった。
診断されたのは夏だけど、きっかけは春。

昨年度と配属された部署は変わらなかった。また、部署のメンバーもほとんど変わらず新人が入ってきただけで、仕事内容、人間関係共にほぼストレスなくスタートした今年度だった。

新年度ということもあり多少の変化はありつつも昨年度と同様に仕事を進め、4月は大きなことなく乗り切った。

5月になりGWで少し長めの休みをもらい、休み明けからは五月病を少し感じながらも特に変わったことはなく仕事を進めることができていた。

事件が起こったのは5月下旬。
なんでもないいつも通りの日。プライバシーの観点からあまり詳しくは書けないけれど、仕事中に一つ大きな出来事がありそこで生まれて初めて過呼吸になった。心拍数がびっくりするくらい上がっているのを実感しながらとにかく呼吸を落ち着かせようと思うけどそれができないし、体の震えが止まらなかった。

呼吸が安定しない苦しさ、意識が飛びそうになる感覚、このまま死んでしまうのではないかという恐怖、止まらない涙、早く落ち着いて仕事に戻らないとという焦り…

どうにもならなくて、少しの時間空いている部屋で休ませてもらってから仕事に戻るけど、急にまたぶり返してくる息苦しさや過呼吸、体や声の震え。頭の中がぐちゃぐちゃして涙が止まらない。

結局この日は午前で早退させてもらい家に帰った。
職場の寮で暮らしているため職場から寮まではすごく近いが、この日はとてつもなく長く感じた。一歩一歩がとてつもなく重たく苦しい。今思えばよく一人で帰れたなと思う。

その日はたまたま彼氏が休みだったため、まともに喋ることができなかったけれど帰ってすぐに電話をして助けを求めた。彼氏も職場の寮で暮らしているため、電話越しの私の異変を感じてすぐに私の部屋に来てくれた。

彼氏が来てくれて顔を見た瞬間、それまで恐怖で覆われていた気持ちが一気に安心に変わり涙が止まらなくなった。
途切れ途切れになりながら状況を話し、少し落ち着いてから彼氏の部屋の方へ移動してそのまま泣き疲れて寝た気がする。(この辺若干記憶が曖昧)

起きたら夕方で彼氏がうどんを用意してくれた。おいしかった。この日食べたうどんのおいしさはずっと覚えていると思う。

こうしてこの日は終わった。
ただ、これがスタートとなり私の生活が大きく変わっていくことになった。

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