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「やってみる」にするのか「やらされた」にするのか。滞りと流れ。

今年度も終わりが見えてきて、来年度のことを少しずつ考え始める季節でもある。
育成会会長をやっているため、来年度の役員選出のために今声かけをしているところだ。

40世帯ちかくの世帯が入会しているのだが、毎年その中から育成会役員に7名、地区理事に4名出すことになっている。
育成会役員は3〜5年やることが暗黙のルールになっていて、シングルさんは免除される。
主な行事は親子レクや自治会の秋祭り(御神輿と出店をやる)、廃品回収だ。


地区理事の任期は一年で、地域の賛助会員に集金にまわったり、小学校の専門部に入り手伝いをしたりしている。

役員をお願いする立場になって思うのは、快く引き受けてくれる人とイヤイヤ引き受ける人、うやむやにして逃れようとする人、はっきり断る人それらの対応から利己的なのか利他的なのかがよくわかるということだ。

その中でわたしがいちばん困るなと感じたのは、引き受けるか引き受けないか曖昧なまま数ヶ月も待たされることだ。
「考えさせて」と言われて数ヶ月経って改めて声をかけたが(なかなか顔を合わせる機会がないため)、忘れていたようだったし、「小さい子がいるから保留にしといて」と言われた。

はっきり断らないのはなぜだろう?
どうもわたしはうやむやにされるのが苦手らしい。
断られるのは嫌ではない。
都合もあるだろうから、話してくれれば理解する。
しかし、どっちにするのかわからないという状況では、自分が行動しにくくなる。それが嫌なのだ。

夜勤勤務もあるシングルさんが快く引き受けてくれて、一緒にやりたいからとその方の先輩にも声をかけてくれた。それでさらにもう1名地区理事が決まった。
ありがたいという気持ちでいっぱいになり、「質問があったらいつでも聞いてくださいね」と伝えた。
そう言うと「それは心強い!!」と返ってきた。
心の中で「こちらこそ心強いです」そんなふうに思っていた。

イヤイヤ引き受けてくれた方もいた。
そういう人を見かけるときには「物事をマイナスのままにしておく人なんだな」と理解する。
そして少し残念に思う。
はっきり言えば役員なんて、時間と労力を割いてお金にもならなくて意味のないことだ。
でも、やるからにはあえて意味を持たせていく。
でも時々「やりたい人にやらせておけばいい」という言葉を耳にする。
そういう人もいたりもするが、実際には全体の1%くらいなのではないだろうか。
やりたくなくてもやらなくてはいけないことがある。
そんなときにどんな意味づけをしていくのか。
「やってみる」にするのか「やらされた」にするのか。

迎えてもらえる居心地のよさ

長男が小さかったころ、腕っぷしが強くて室内遊びでは他の子とおもちゃの取り合いでよくもめた。だから外遊びばかりしていた。
なぜか外遊びだと仲良く遊べていたからだ。
幼稚園に入るときにはそれが心配で縦割り保育の幼稚園を選んだ。

入園してすぐに、クラス役員の方からお手紙をもらった。
そこには入園のお祝いの言葉と歓迎の言葉が書かれていて、「最初はわからなくて不安でしょうから何でも聞いてくださいね」と添えられていた。
それと、歓迎会を兼ねてのお花見のお誘いも。

縦割り保育では一人っ子にもお兄さんお姉さんができて、弟や妹もできる。
きょうだいが擬似体験できる。
年長さんの女の子は年少さんをかわいがる。
それを見て年中さんの女の子もかまいたがるが、利己的なかわいがりなため嫌がられる。
年長さんのかわいがりは、利他的なかわいがりで自然と年少さんがなついてくる。
そうやって経験しながら学んでいくのだろう。


長男は幼稚園では年長さんたちにお世話してもらい、見守られて過ごしていた。
わたしも先輩ママさんたちにサポートしてもらいながら過ごしていた。
押しつけもムリもない、自然な助け合いがそこにはあって、「おたがいさま」という言葉を本当の意味で理解できた。
力になりたいと思うのは、わたしにとっては恩返しをしたいということでもある。
それは自分のできることで貢献していくこと。
温かさを次につなげて循環させていきたい、そんな気持ちで役割を引き受けている。

個人主義

幼稚園の先輩ママさんから「小学校はドライだから冷たく感じるよ」と聞いていた。
長男が小学校に入学してみて、その言葉の意味がよくわかった。
幼稚園では当たり前だった「みんなで心地よくしていこう」という雰囲気がそこにはなかった。
「みんなで」ではなく、「ごく一部の人の力」でやっていく場なんだとわかった。

あちこちで滞りを感じる。
流れていかない。

それが嫌だから役を受けたからには、滞りの元を解消して流れるようにしていきたいと思っている。
そのための労力は、どうやらわたしにはあまり労力とは感じないようで、流れが良くなって嬉しそうにしている人を見ることができれば満足だったりする。
どうせやるなら楽しい方がいいし、大変さも笑い飛ばせる場の方がいい。
それにちょっとした労力で次にやる人が楽になるなら最高だ。


だからわたしは、「やらされた」にしたくない。
いつも自分で選びたい。
「やってみる」と言っていたい。

今日もあなたが心の安らぎと幸福感に気づけますように♪



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