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お風呂の中

12/21 冬至。
叔母からゆずを渡されて、お風呂の中に放り込んだ。
冬至という日はゆず風呂に入るという伝統に則った暮らしだと思う。

家にシークワーサーもあったから、入れちゃえばいいや、とは思ったけれど、できなかった。

冬至はゆず風呂という伝統を壊してしまうかもしれない、と心のどこかで思ったから躊躇ったのかもしれない。

お風呂を眺めながら、ふと子どもの時のことを思い出した。
私は小さい頃、結構な長い期間顔を水につけることができなかった。
シャンプーする時は上を向いて顔に水がつかないようにしていたし、洗顔は少量の水をちょこちょこつけてなんとか頑張っていた。

ある時から顔に水がかかっても平気になって、よく湯船の中で息ができなくなるまで潜り、苦しくなったら出る遊びをしていた。

やっている最中は限界への挑戦をしているワクワク感があるけれど、何クールかやった後は何とも言えない虚無感に襲われていた。
なぜこの遊びを好んていたのかはわからない。

そして、いつからこの遊びをやめたのか、そこが思い出せない。
やめたきっかけが何だったのか、そもそもどうして潜ろうとしたのか、とても気になっていたのに思い出せない歯痒さ。

わからないから、自分なりに結論づけた。
雑菌が気になる年頃になれば、やめる。
あんまり納得していないけれど、まあいいや!

共感しづらい部分の方が多いかもしれないけれど、わかってくれる人もいるかもしれない、という行動ってあると思う。
湯船もぐりをしていた方ってどのくらいいるのかな…。

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