成人と地元、坩堝
数日後だけれども
フライングで
成人の日を迎えるにあたって、
成人を迎えた方、おめでとうございます
私の身近には成人式を迎える子はいないけれど、
大学の後輩や○○先生のご子息が成人を迎える
あの子はどうしてるかな、悶々と生きているのかな、
今までどんなことを感じて、どんな傷つき方・リカバリーをして
歩んできたんだろう、とか
その日を迎える方に思いを馳せて、思考をグルグルと巡らせている
こんなことあんまり外に出したことがないけれど、
たくさん考える中で、吐き出したくなったので
書き留めることにする
私の成人式の話だ
それに付随する学生時代の話も
結果的に、私は成人式に出席しなかった側の人間で、
行く気もなかったし、行きたいとも思わなかった
ただ、着物は昔っから大好きで、振袖を2着も着させてもらって、
別の日に写真に残した
それは私の中で良い思い出
なんだろな、成人式に行かなかった理由が当時言語化できなかったけれど、
形のない、得体のしれない、ほわほわとした薄汚いことであることは
確かであった
数日考えている中で明確化できたので。
小学校、中学校時代、同じ箱に閉じ込められて、
人間の汚くて気持ち悪い部分を見たり、愚かさと疑問を感じながら生きてきた
だから、それらを感じさせた人たちに会いたくもないし、群れたくなかったから、式典に行かない選択をしたのだと
私は実のことを言うと、学生時代から集団行動がとても苦手である
同じ箱の中に閉じ込められて、仲も良くないやつらと「絆」を深めるだとか、反吐が出るし、そういうのを外から見て「ここには居場所ないな」と思ってしまう
リーダー役を買って出てしまった時とか、「ここは安全基地だ」と気づいた場面であれば、自己表現できる
やりたくもないのに皆と同じことをして、仲良しごっこ?しなきゃならないのか、中学生の時は本当に苦痛でならなかった
ここでも良くも悪くもであるが、「感情を態度や表情で表してしまう」ので、教師も手を焼いていた
(と、思う。というのも、直接本人たちに確認した訳ではないが、彼らの表情から読み取れるのは「あーメンドクサイ仕事が増えるから、そういう『自分勝手な行動』はやめてくれないかな」という感情)
14歳の時はもっとこころが脆い、そして傷つきやすかった
担任からは「どうしてお前は周りがしていることを一緒にできないんだ?」と責められたこともある
いやぁだって、主体性を持ってやっている訳ではないし、
みーんな一緒で個性が無いって先生的にはどうなんですか、
此処って都合の良い人間育成の場ですね…なんて言い返した
その人は私に対して「躁うつ病って知ってる?お前って気分の浮沈み激しいじゃん?だからそうだと思うー」と笑顔で言われたのは許せなかった
クソつまんねぇ箱にいる時は基本的に鎧をつけた状態で、部活動は好きだったから素を見せて過ごしていたから、彼にはそうやって見えたのだろうね
まぁそんな彼は今、たいそう頑張ったのか?
教頭先生というポジションについているらしい
あーなんかわかるわ、へこへこして、都合の良い人間育成がお得意ですもんね…
なんて毒づく。
そして、同じ箱に閉じ込められた人たちは、
よくあるカーストみたいな
普通に気持ち悪いと思った
マウントを取って私の方がイケてるもんねー♡的な雰囲気とか、
平気で他者の趣味を馬鹿にするような空気感が堪えられなかった
こんな狭い場所で自慢して何の意味があるのでしょうか…?とこころの中で思っていた
し、そういう人たちに結局すり寄っていくんだ…って
同じような考えをしていた子がそうしている様子を卒業式に見て、
きっしょ、って思ったのも事実
マウント女は何だろう、
普通に見ていて痛かったし、こちら側にも感動ポルノ的なものを押し付けてくるし、自分のインスタ映えに私みたいなモブを利用してくるところが最高に気持ち悪かった
その癖、平気で悪口を言って盛り上がっているしね
そして集団行動の強要「皆で○○しよ?なんでしないの?」とか
、急に仲間の女子をハブりはじめて最高に最高に気持ち悪かった
そしてそういう人たちって品や知性がないのも、オエっとポイントだった
こういう人たちに限らず、通っていた中学校ではスラングを使う人が多かった
ちしょう、コミ障、ガイジ…etc…
個人的にこういう言葉を使ったり、揶揄して面白がってる人たちに会うのが苦痛だった
この苦痛の理由は自分自身でもわかっているので、今回は割愛する
ある男の子は私にちょっかいを出しながら話しかけてくる、
「それは何?」
「ダウン症の子どもの真似。俺うまいっしょ?(笑)」
「少しも面白くないし、笑えないよ」
しょっちゅうこの男の子はこういうことでちょっかいをかけてきていた
もちろんクラス一軍のレディたちは
「○○面白―い♡」「○○学級(特別支援学級)の○○の真似してよぉ」とか言っていたね
ありえな。と思う一方で、それをどうかと思うという問題提起ができなかったことは今でも悔やんでいる
最近だけれど
その子が結婚して、子どもができたことを、IGで流れてきたので知った
親しい友人とこういう人でも結婚できるんだね!早いね!って
愛車の中で話のネタにした
○○、もしあなたの子が
あなたが中学生時代に真似して面白がっていた、「ダウン症」の子
であったら、どうしてるのかな?
って問うてみたくなった
脱線戻します。
案の定そういう子たちって、地元から出たことが無くて、
外の世界を知らない訳で
20歳になってもおそらく変わっていないだろうな、
そんな狭い身内ノリを見せられて私は何が一体楽しいんだ…
また皆で○○しよ?とか強要されるのかな、
と、思って式典には参加しなかった
中学時代に出会って今でも関係が続いている子もいる
(関係が例え細々でも、気にかけてはいるよ)
でも、成人式の式典という場に
物理的に席があっても、自分の席はなくて、
「すみません、椅子出してもらえますか…?」とはプライドがあって言いたくなかった
ま、言うつもりもないけどね
裏切ったあの子、
リスカ痕消えたかな、元気?
フォロリク無視してごめんね、どのツラ下げてるの?(笑)って思っちゃって
学校の水道水一滴も飲んでなかったの、めっちゃ勉強になったよ
そういう家庭もあるんだなって
中学校は本当に坩堝で
ただ色々なバックグラウンドを持った人に会えたし
平気で人間に価値の順位付けすること、差別することに違和感を持つ
きっかけになったと思う
その点ではよかったのかもしれない
未だにフラッシュバックして、
うわぁ詰んだ、つらい
ってなっちゃうけれど
きっと、そういう気持ちになった人は
強いと思う
居心地悪い所に居た経験ある子って
少なくとも、そういう雰囲気感じてそうな子のこと、共感できるし
人の痛みや辛さを理解して寄り添える素敵な人になれる、
もしくは、もうそうだと思う
人の価値観を決めるのは人だけれど、
私は、
そういう経験したことない人よりかは、
とても面白い色の人生をこれ送っていけると思う
だって、ねぇ、まあ
わかる人にはわかる、よ、ね
私もまだ飲み込めてないことあるし、
それは時間が解決してくれるってもうわかっているから、
そういうので辛い子は、自分のことを責めないでね
そんな私は、
成人式当日は胡蝶蘭の文様の小紋を着て、
高校の同級生とうんめぇご飯を食べた
たまたま道ですれ違ったご婦人から
「あら!今日は成人式の日だわ、おめでとう」
と、目を細めてながら声を掛けていただいたことが何より嬉しかった
見知らぬ人の幸せを素直にお祝いできる人って
中々いないし、とても綺麗なこころを持った方に
お会いできたことが、印象に残っている
懐かしいなぁ
18歳、20歳、本当におめでとうございます
生きていてくれてありがとう!!
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