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「感捨」でモノが捨てやすくなる理由

「感捨」(カンシャ)とは、感謝して捨てること。捨てる前にモノに感謝する。なぜ、感謝してから捨てると手放しやすいのか。今回は、この疑問を深掘りする。

1.なぜモノは捨てにくいのか?

感捨すると捨てやすくなるのだが、逆に、なぜモノは捨てにくいのか。正確には、捨てやすいものと捨てにくいものがある。その差は何だろう。

やましたひでこさんは、「捨てる。引き算する勇気」の中で、モノにある情報について、次のように言っている。

身の回りにあるモノの多くは、

「そのモノ自体が持つ情報+あなたの思い込みである情報」

で成り立っています。

「捨てる。引き算する勇気」P179

つまり、モノ自体の情報に加え、モノと自分がかかわった「歴史」や「思い出」、「思い」などが貼り付いているということ。

もし、この「思い」がなく、モノとしての機能がなくなれば、簡単に捨てられる。しかし、「思い」があるので捨てにくい。

ただ、「思い」自体によっては捨てやすくなる面もあると、やましたさんは指摘している。

「不要・不適・不快」になる思い込みが貼り付いているのであれば、今のあなたの世界には存在しなくてもいいものということになるので、捨てる。

「捨てる。引き算する勇気」P179-180

つまり、例えモノ自体がまだ使える状態であっても、「思い」自体が「不要・不適・不快」になるのであれば、捨てるということである。

大事なのは、モノと自分との関係。モノにある「思い」とともに、これからも生きるかどうか。

2.「思い」への執着

捨てられない原因として、近藤麻理恵さんは「人生がときめく片づけの魔法 改訂版」の中で、次の2つが原因と指摘している。

❶過去に対する執着
❷未来に対する不安

❶を代表する言葉で「捨てたいのに捨てられない」であるが、モノ自体は使わないので「捨てたい」が、モノに対する「思い」に執着して捨てられないということである。

❷を代表する言葉は、「いつか使うかもしれないから残す」であるが、今は使わないけど、モノ自体は使えるので、今後使う時に手元にないと不安だから残すということ。その不安という「思い」をモノに貼り付けて、執着しているのである。

いずれにしても、「思い」に対する執着があるため、捨てられないのである。モノを捨てることは、「思い」を記憶のかなたに追いやることだから。

3.執着の中にある感情

根本裕幸さんの「執着を手放して『幸せ』になる本」によると、執着には「感情」がともなっている。

執着しているのは人やものなのではなく、それに映し出されている「感情」だからです。

(引用)

よって、モノだけでなく、それに付随する「感情」も手放さないとモノを捨ててもリバウンドしてしまうと言う。

単に人やものを遠ざけても、その感情も同時に手放さなければ、執着は決してなくなりません。

(引用)

欲しいものと出会った時のときめいた感情や人からプレゼントとしてもらい涙が出るくらいうれしかった気持ち、一緒に大変な時期を乗り切ったという戦友のような思いなども手放すことで、モノが捨てられるようになる。

4.執着も感情も手放す方法としての「感謝」

それでは、執着と同時に感情も手放すにはどうすればよいかというと、根本さんによれば、「感謝の気持ちを伝えることで、新たなスタートをきることができる」そうだ。

根本さんは、人への執着を手放す方法として、出すことを想定しない「感謝の手紙」を書くことを勧めている。この「感謝の手紙」こそが、「執着を手放す本体」と言っている。

人に対する「感謝の手紙」の内容として、主なものは次の3点。

・自分が今、その人に感謝したいこと
・その人と出会えてよかったこと
・その人との関係のおかげで、自分が気づき成長したこと

引用

上記の「人」を「モノ」に変えると次のようになる。

・自分が今、モノに感謝したいこと
・モノと出会えてよかったこと
・モノとの関係のおかげで、自分が気づき成長したこと

片づけの際に、1つのモノに対して手紙を書くことは現実的でないが、心の中で上記について考えることはできる。

このようにモノに感謝すると執着も執着に伴う感情も手放すことができる。

だから「感捨」すると手放しやすくなるのである。

手放すのはモノだけでなく、執着している自分の感情。モノと自分を固く縛り付けている鎖を感謝することでゆっくり外すことができる。

そして、あなたは自由になる。
「感捨」をぜひ試してほしい。

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ココロカガヤキ研究所
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