カメラを握るひとの視線を想像する 父のまなざしとはじめてのひとり乗り
「世田谷クロニクル」の「子供No.4」の映像の中に、身に覚えのあるシークエンスがあった。女の子がひとりだけで不安そうに遊園地の乗り物に乗っている。勝手に物語を作ってしまえば、初めてひとりで乗り物に乗り、心細くなっている様子を父親が8ミリカメラでそっと撮影している、というところだろうか。
実は、わたしにも似たような写真が手元にある。母によると初めてひとりで乗り物に乗ったわたしを父親が撮った写真だと言う。
わたしには子供はいないけれど、子供関係の仕事やボランティアを長年してきたので、たくさんの子との疑似親子体験はしてきた。あるとき、小学生たち10人ぐらいを引き連れて、某科学館に行ったことがあった。わたしも、あのときの両親のように、いい機会だからと、積極的にひとりで乗り物に乗らせたり、切符を買いに行かせたりと、小さな自立の背を押しまくっていた。
世田谷クロニクルの「子供No.5」の中にも、小さな子供たちの背中を押しているのであろう映像が出てくる。乗り物のある遊園地や施設は、子供の自立の第一歩を踏み出すには最適な場であるみたいだ。
某科学館へ引率したある小学2年生の女の子は、どうしてもひとりで乗り物に乗れなくて「一緒に乗って」と懇願していた。でもわたしが「ちゃんとここで見ているから大丈夫だよ、ひとりで乗ることに挑戦してごらんよ」と声をかけると、真剣な顔でうなずいて緊張しながらもひとりで乗り物に乗れた。
乗り物に乗りながら、初挑戦の彼らは、必ずわたしを目で追って、確認する。確認して安心してから、乗り物に乗り続ける。それをわたしは動画で撮影する。
この視線は、あの日、わたしが父から向けられたまなざしと同じで、わたしが子供たちに向けているまなざしはあの日の父と同じものなんだ、と思うと、胸が熱くなった。
「世田谷クロニクル」の8ミリとわたしの写真に共通しているのは、撮影しているひとのまなざしを感じとれることだ。とくに父を亡くしてからは、記録に透けて見えてくる、父の気持ちが切ないけれど嬉しい。