2/27 日記
仕事は休みで、天気は晴れで、散歩に出ないわけにはいかないねと思って外に出た。
わたしの散歩スタイルは「電車に乗っててきとうな駅で降りて、その近辺を散策する」というわりとスタンダードなものである。
最近は、何度か歩いたことのあるお気に入りの散歩コースをなぞりに行く日が多かったけれど、ひさしぶりに新しい街を開拓してみようかな。そう思ったわたしは、まだ降りたことのない駅に行ってみることにした。
そこは、駅周辺はけっこう活気があるものの、すこし離れると古風な家やお店が多く立ち並んでいるようなところだった。どことなく昭和の趣がある街だ。わたしは気の向くままに街を歩いた。
子どもたちでにぎわう公園を横目に、商店街を名乗るにはギリギリ活気が足りていない通りを抜ける。続いて、わりかし閑静な住宅街を横切り、看板の「welcome!」の文字と店主の無愛想さがアンバランスを極めている古着屋を物色する。
社会人になれば、こんなに入りにくい雰囲気の古着屋にもひとりで立ち寄れるようになるんですね。美容室に予約の電話をするときですら、10分以上のリハーサルを要していた高校時代の自分に教えてあげたいよ。
そんなくだんない懐古をしつつふらふらと歩みを進めていると、ふと前方に「古本」の看板があるのが目に入った。そこには、店頭に1冊100円の本がひしめくワゴンが出ているような渋い古本屋があった。
わたしはこういう古本屋がとにかく大好きである。散歩中に発見したときはめちゃくちゃ心がおどってしまう。やった、やった、これぞ散歩の醍醐味だ!心の中で快哉を上げつつ、さっそく中を物色する。
10分ほどかけて店内をぐるっと一周し、良さそうな本を3冊ほど手に取った。うれしいことに、ぜんぶ100円だった。それらを持って、わたしは店の奥に座している店主らしきお爺さんのもとへ向かった。
お爺さんは「いらっしゃ~い」と間延びした顔でわたしから本を受け取ると「1、2、3・・・、ぜんぶで3冊ね。お会計、200円!」と告げてきた。
1冊100円の本が3冊で、200円?どう考えても計算が合っていない。算数が苦手なわたしでもすぐに気がつくレベルだ。わたしはごく自然な流れで「300円の、間違いじゃないですか?」と尋ねた。
するとお爺さんは満面の笑みで「いいのいいの!おれ今、酔ってるからさ!」と返してきた。
値引きの理由として成立してるんですか?それ。そう問い返しそうになりつつお爺さんの手元を見ると、そこにはたしかにもう残り少ないワンカップが置いてあった。
というかお爺さんの全体像をよく見てみるとめちゃくちゃタバコも吸っていて、なんならエロ本も読んでいた。
商売ってこんなかんじでいいのかよ。わたしは店先で軽いめまいを起こしそうだった。こんなの、人生をほとんど引退したひとだからできる所業だろ。もしもわたしに老後があるとしたら、わたしもこうやって自由気ままに過ごしたさすぎる。
そのお爺さんの「なりふり構っていなさ」は、なんかちょっとうらやましく思えた。うっかり憧れとか抱いてしまいそうだった。
お爺さんはかなり上機嫌だったようで「いやあ、来てくれてうれしいよぉ~。なに、このへんに住んでるの?」と呂律があやしい話し方でわたしに世間話を持ち掛けてきた。
わたしはこの時点でお爺さんのことがだいぶ好きになっていたので、笑顔で受け答えをした。
でもいかんせん、声が聞き取りづらい。リスニングの難易度はおそらく相当高かった。唯一聞き取れた単語を反復し、あとはとりあえず大声で笑っておく、という荒業でお爺さんとの会話を切り抜けたわたしは、200円を払って古本屋をあとにした。
良い散歩ができたなあと思った。ここ最近の散歩の中でもかなり上位に入る散歩である。こんなに良い散歩ができることってなかなかない。そしてこういうことがあるから、散歩はやめられないんですよね。
わたしはニコニコの状態で家に着くと、買ってきた本をテーブルの上に並べた。
3冊のうち1冊が、めちゃくちゃタバコ臭かった。
お店にいたときは気付かなかったけれど、タバコの匂いがかなり強烈に染みこんでいた。
わたしは“小さいことは気にしない”という点でほぼゆってぃなのだが、そんなわたしでも「これは・・・」と表情がくもってしまうほどの臭いだった。
でも、大丈夫。こういう本はね、洗濯物といっしょに、数日ベランダで日光に当ててやれば良いんです。どんなにしぶとい匂いも、日光にさらせば大抵は取れるのだ。これは高校の山岳部時代に得た知見である。だからこの本もとりあえず3日くらい外に置いておこう。そうすればわたしは、また心置きなくワカチコできるようになるだろう。
次はいつあの古本屋に行こうかな。いや、次行ったら閉まっちゃってる気がするな。定休日とか気まぐれで決めていそうだもんな、あの人。でもどうか死ぬまで元気でいてほしい。あの古本屋は、お爺さんごと文化財としてあの街に残しておいてほしい。
人は大抵いつかは老いて、今よりは確実に不自由になっていく。その事実はいつだって受け入れ難くて気が滅入りそうになるけれど、そんな世界であのお爺さんはある種の希望として、街の一角でひかり続けてほしいと思う。