母が自死した理由

母が自死したことを知ってる人は身内以外だと数人だけ。警察と救急車が来たから近所の人はなんとなく気付いてるかもしれないけど。母のほうの親戚以外は母の自死の原因が私だと思ってるだろう。精神障害者で長年引きこもりの娘の将来を悲観してなどの理由だと。もちろんそれが理由ではないとは言いきれない、亡くなった母しか本当の理由は知り得ないし自死を選ぶ直前の母が何を考えていたのか全てはわからないから。警察の聞き取りなどがあったらしく、父と姉が警察になんて説明したのか私は知らない、先に家に帰されてしまったので。それに二人にしたら本当に突然の出来事で予測できなかっただろうから。私だって予測してなかったことではある。でも私だけが理由じゃないことは確か。私は精神障害者でひきこもりではあったけど母との関係は極めて良好だった、母は私になんでも話してくれた。でも精神障害者でひきこもりの私は母の困ってることを解決する術を全く持っていなかった。せいぜい姉に相談するのが関の山。なのに母が本当に追い詰められていた時に私の判断が遅れてしまった、もっと早く姉に相談するということを行為に移していれば母はまだ生きていただろうと思う。母が亡くなる一週間前くらいの日記に姉に相談するべきか悩んでいる私がいる。今はまだ当時の日記は読めないから文脈とかは違うと思う。でもどうしたら良いか迷っていたのは事実で、母はどんどん痩せていってたし眠れなくなっていた。多分精神の病気だったのだと思う、もちろん私は医師ではないから断言できない。ただ母が調子を悪くしてから自死を選ぶまで一ヶ月もなかったので本当に急激にに悪化していった感じだった。母は私以外にも体調の悪さなどを話していた。そのことは私は母から直接聞いている。当時母は小五になったばかりの私の姪の世話を姉たちから頼まれていた。というか姪が生まれてからずーっと私と母とで姉夫婦の育児のサポートをしていた。母が元気な頃はそれが苦ではなかったからそれをどうこう言うつもりはない、ただ母自身に異変が起こってからはちょっと複雑になる。母は父に体調の不安などを相談した、元々モラハラ気質で何もわかってない父は母を叱り、そんな調子で誰が姪の世話をするのかと激怒したらしい。母は姉にも体調の不安を相談している、姉は随分遅い更年期だねとひと言で片付けてしまったらしい。二人ともそのことを覚えていないと思うけれど、生前の母がしょんぼりしながら私にそう話していた。母が自死を選んだ日はちょうど選挙の日で夜には私の幼なじみ一家とのお祝いの会食が決まっていた。私が病気になってひきこもりが酷くなってからは私が会食の場に居ないのは当たり前になっていたのだけれど、母が体調不良を理由にお祝いの席を断ることは許されないと母自身が思い込んでいた。私は母の体調が悪いのだから断ってもいいのだと言ったけど父に怒られるから断れないのだと言われてしまった。幼なじみ一家はもちろん悪気があって誘ったわけではないけれど、お祝いに誘わないで欲しかったと珍しく母がそう言ったのを覚えている。選挙に関して言うと父がモラハラ気質なので母は選挙でも怒られたことがある。私を含めて三人で不在者投票に行った帰りに何の気なしに母が私に漢字を間違えたかもしれないと言ったのを耳にした父がすごい剣幕で母を叱りつけたのだ。母は私と違い明るく大胆な性格に見られがちだけれど反面小心者のところがあった。適切な言葉が浮かばないけど気にしいというやつだ。母の性格がわかる出来事でいうとお金が必要になって保険を解約することになり、担当の人にその電話を母がした時の話。解約をしたいと母が言うと担当の人がなんでですかとなってしまい、説明してもなかなか聞き入れてくれず、最後には人間のする事じゃないあなたは人間じゃないとまで言われてしまったことがあった。その後無事に解約はできたけれど、その他にもそこの保険会社に入っていた為、母は担当の人に二度と会いたくないどうしようとなってしまったので担当者を変えてもらうしかないのではと提案したのだがすっかり母が怯えてしまって電話できないというので私が代わりに本部に担当者をかえてくださいという電話をしたことがある(私は自分のことだと臆病で小心者だけど母のことになると度胸が湧いてくる性格だった)。そんな繊細なところがある母だったので多分選挙のことも重荷に感じるようになったのだと思う。母の遺書は父に対しての謝罪が主な内容だった。でも父は何もわからない人なので、自分がしたことには何も気付かない。あの遺書を読んでさえ母が父から逃げたい、怖い、もう怒られなくないと感じてたことに気付かないんだから一生何もわからない。本当に何もわからない人なのだ。父が119に電話をしてる間、私が母の心臓マッサージをして人工呼吸をしていた。救急から指示されたのは心臓マッサージだけだったけれど、脳に酸素がいかないと脳が死んでしまうと思ったから人工呼吸もした。母から体温を感じることはできず、もうかなり冷たかったのを記憶している。母は私の手では蘇生させることが出来なかったけれど搬送先の病院で心臓だけは再び動かしてくれた。しかし医師から心臓も長くはもたないこと、意識を取り戻す可能性はほとんどないことを告げられた。父はなるべく苦しまないようにして下さいとか言ってて私はひとり心の中でブチ切れていた。姉が何か食べ物を売店で買ってきて食べなさいと私と父に言った。私は何も食べなくて大丈夫だと言うと父が長い戦いになるかもしれないからとかなんとか言ってきて、再度心の中でブチ切れた、長い戦いになる訳ないだろうが、長くもたないって言われただろと父に対して心の中で悪態をつきまくった。父がどうしてこんな事にみたいなことを言ったので、思いついてしまったんだよと言ってあげた。自分で気付けないんだから本当のことなんて一生教えてやるもんかと思っていたから。母の蘇生を頑張っている時から私は怒り以外の感情を持てなくなっていた。悲しいとかじゃなくずっと怒ってた。姉は母が救急車に乗る直前に到着し、母を見て、どうしてと直ぐに泣いていたのに私は一度も泣けなかった。義兄が姪には本当のことを言ってないから言わないようにと耳打ちしてきたので頷いた時も怒りの気持ちが大半だった。母の兄と姉が遠方に住んでいて父から連絡をして病院に向かってきてたのだけれど母が亡くなった直後に到着した。母の死に目には間に合わなかった。その後母の遺体も家に帰ってきてお通夜の日程を決めたりいろいろ済ませ母の兄は一旦帰ることになり二人の姉が残ってくれることになったのだけれど、寝てもらう場所がなく雑魚寝してもらうことになったのは申し訳なかった。父が早々と寝ることになり先に自室に戻ったあと父方の私の嫌いな伯母から電話がきた。仕方なく私が出ると伯母は母が事故で亡くなったと聞いたけれど、どういう事故だったのか、事故の相手はどうなったのかと矢継ぎ早に質問された。どういうことかと言うと母の心臓がまだ病院で動いてた時に何を思ったから父が自分の兄弟たちに母が事故にあって入院したと伝えたらしい。またここで私はブチ切れてしまい、母は自分で首を吊った結果亡くなりましたとだけ告げた。伯母は何か言っていたが詳しいことは今度父に聞いてくださいと電話を切った。父にも本当のことを言いましたとだけ伝えた。その後、私は母のお通夜も葬儀も出ないことになり、母の姉である伯母と二人で留守番することになった。私のせいで実の妹のお通夜に出られなかった伯母には本当に申し訳ない。お通夜の留守番してた時に私は伯母に父のモラハラなどの全てを打ち明けた。伯母はそのことは誰にも言ってはいけないと私に言ったのでリアルでは伯母以外には話していない。葬儀の喪主の言葉は姪が父の代わりに手紙を書いて読んだらしい。父は泣いてしまって挨拶どころではなかったと言い、姪の手紙がとても良かったのだと私に伝えてきた。またブチ切れた私は心の中で悪態をつきまくった。葬儀などが全て終了し、母の姉と兄も帰ることになりお別れの時にこれからは○○(私)が母の代わりをするんだよと言われた。父に対しても四十九日が終わるまでは趣味の場とかに出ないように言っていた。後日、父は趣味の会合に行けないと誰かに電話をしてる時に親戚がうるさいから行けないと言っていて、私は父が本当にゴミだなと再確認した。この辺のことになると「母が自死したあと」という以前私が書いた内容とかぶるのでこの辺にしておく。ただ前回書いた時は落ち着いていて、今回は割と感情に任せて書いてるのでこっちのほうが読みにくいと思う。いろいろ書いたけど母の自死の理由で私が思ってることは大体書けたのでこの辺で終わります。

本当は推敲しないといけないのでしょうが(読みにくい箇所が多すぎるため)敢えてこのまま出してみます。感情任せなので支離滅裂だったりかなり文章としておかしいところがあると思いますが。本当の理由は誰にも知り得ないのだから私はこう思ってるってだけです。あと母の遺書は現在行方不明です私には。多分父が持ってるとは思うのでどちらかが死ぬ前には聞いてみる予定です。処分したとか言ったら私は今度こそ父を許さない。

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