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ニール・アームストロングに捧げる日記

季節が移り変わる時に目に飛び込んでくる街の配色が好きだ。春の桜の薄いピンクの花びらとおなじトーンの空の青色だったり、夏に家のベランダから見える青々とした山の尾根はいろんな緑色が存在するから楽しい。秋は灰色の道路に黄色いイチョウの葉が落ちるのをみると灰色と黄色ってほんと最強の組み合わせだって思えるし、そこに横断歩道の白のボーダーなんかが視界に入ってこようもんなら白が素晴らしい差し色になってさらに、かわいい!って普通に思う。最近、急に暑かったり寒かったりで、春がくるのかまだ冬なのか、桜も勘違いして咲いちゃったりしてるから、こうゆう季節ごとの配色の楽しみが10年後とか20年後とかにはなくなってしまうかもしれんなぁなんて思う。けれどそんな変化もきっとなにかが死ねばなにかが生まれてくるのと同じで全てが自然の摂理で巡り巡っているはずだから、これは新しい地球になる為に必要なことなのかもしれんなぁとか考えてる。いろいろと抗えないことは多い。

最近は自分の中でいろいろな変化がありまして、大切なひとにずっと言えてなかったことを言えるようになったり、自分の中で自己処理?というか、対処していたさまざまなものに対して、自分の心の声に気付いてそれに蓋せずに表現できるようになったりしてる。日々のいろいろはあるけれど、とても軽やかな気持ちでいれてる気がする。自分の変化に気付けたことがおもしろい。でもそれは新たな自分を見つけたという感覚ではなくて、ずっとそこにいた存在にやっと気付いたという感覚が近い。中学の3年間ずっとクラス一緒やったけど、中3の3学期になってやっとしゃべったみたいな。そこにおったのにわたしずっと知らんふりして過ごしてたみたいな。現実の世界やったら最低な奴や、ほんま危ないとこやで。

ただこうゆうのは結局は3歩進んで2歩下がるみたいなところもある。そんな自分に気付けたからってそれが自分のデフォルトになるにはまだまだ時間がかかる。だから、「わたしね、どうやらアップデートしましたねん!」って大口たたくわけにはいかない。でも、ニール・アームストロングが月に降り立った時に「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である。」と言ったように、「これは誰にとっても小さな一歩ですらないが、わたしにとっては偉大な一歩である。」と小声では言いたい。

ニール。自分という人間を知る調査は、やめてしまえばそれまでだけど、探求すればするほど、途方もなく果てしなく、宇宙と一緒で未知数です。まだまだ知らない自分と出会えて、また新しい場所に辿り着けるかもしれない、そんな予感もします。自分の心の機微にできるだけ耳を傾けてあげようと思ってます。それはわたしがわたしの為にわたしにだけできることなので。でも、その作業すら無理せず、頑張らなくていいんじゃないかって。たぶんだけど、うん。そうなんじゃないかなって思ってます。


この歌好きなんだよね。




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