#122:自分の声に耳を澄ませる
普段の生活は8割程度、自動モードで進む。
あくまで感覚値だが、毎日やることをイチから考えて行動するのは2割にも満たない。平日で1割以下、休みの日も定例的な予定や行動があり全くイチからの行動は半分もあれば良い方だ。
自動化=習慣化は必要だ。身体も脳にも省力化のためか、その機能が予めセットされている。
しかし、自分で決めずに自動運転モードに全て任せていると、あなたはあなたの人生を観察している傍観者でしかない。そして、その状態で起こるあらゆる出来事に主体的な関わり方はできるだろうか。(他責にならないだろうか)
そう、ふと自分に問いかけることがあったので記録する。
小さい声
果たして、何が自分のしたいことなのか。
それ自体が自分でもよく分からない。
そういう状態に気付く時がある。
とても些細なこと。例えば今日のランチは何を食べたいか?週末の休みに何をするか?とか。
もう少し大きな話もある。これからのキャリアをどうするか。仕事以外に軸が欲しいかとか。
漫然と生きていても答えが出てこない。恐らく自分の声がとても小さくなっている。それは、今日食べたいものですら出てこないほどに。
それは声が小さくて聞こえないのか?
それとも、声すら発してないのか?
なぜその声は小さく、聞き取りずらいのか。
そもそも自分の声とは何だろうか。
よく自由意志、自主性、自発的な動機と言われる。それらは「●●がしたい」というはっきりとした意思表示に基づいていると思われがち。
しかし、そのような明確な意志が最初からあることはむしろ珍しい。
今日はどうしてもラーメンが食べたい。
お昼前にそう思って、ランチにラーメン屋を探すことは少ない。
仕事や週末やりたいことにしても、いくつかの選択肢の中から何となく良さそうなものを選んだ結果でしかない。(私個人の見解)
つまり、自由意志とはふと思いついたこと。
自分の声とは、ほんの僅かによぎる良い予感。
それくらいの小さな引っかかりでしかない。
決して声を発してないわけではない。
あまりにその声は小さいだけ。
淡い予感(根拠なし)
あくまで僅かな予感。そして、根拠などない。
それ故に不安も大きい。自信など持てない。
その自分の声は、過去の経験やたまたまその時点で見えている選択肢の中から、楽しそうな匂いや響きを嗅ぎ取って何となく選んだもの。
そこに論理的に説明できる選択の理由はない。
理由はないので、やはり間違う可能性は高い。そうすると、声高に「これがやりたいことだ」とは主張しづらい。でも何となく良いのだ。
優等生な回答
むしろ説明できる方が幾分か主張しやすい。
何せ、人に聞かれても答えやすいから。
でも誰かに分かりやすく、差し支えないことが必ずしもやりたいこととは限らない。むしろ、そのメリットで蓋をしてるような気もする。
いや、元々はやりたいことだとしても、ちょうど説明しやすいメリットがある優等生な回答だとすると、それによって心が萎えたりもする。それくらい繊細なもの。
どうやって心の声に耳を澄ませるか?
まずは、とにかく間違いを許すことだと思う。
心の声に従って行動した結果、うまく行かない時、正解でなかった時、明らかな失敗だったとしても許容すること。とにかく笑って済ます。
沢山の不正解を経験して軌道修正する。
小さい失敗は気にせず、とにかく試してみる。
そのうちに繰り返しの中で楽しめるポイントを押さえる。8割失敗でも2割楽しいこと、笑えることを見つけて、その押さえた感覚を使って、もっと確率の高い次のワクワクを探す。
そうするうちに、心の小さな囁きにより踏み出すステップの軽さが身についてくる。すると、さして大怪我などしないことも身をもってわかるし、むしろ多少の失敗は楽しめるようになる。併せて大丈夫な転び方を学んでいくので、全てのハードルが下がっていく。
変な固定観念(正義や倫理、プライドなど)も全て邪魔だ。やってみて価値観に合わないことを肌で感じて、はじめて、それを自分の判断基準のひとつとして据えれば良い。
習慣や経験も疑う
心が動かなくなる、声が小さくなる理由の最大の原因は、自分の考えが凝り固まること。
それらの直接的、間接的な原因はこれまで積み重ねた習慣や経験に基づく固定観念である。
もちろん、その積み重ね(経験差)を活かして世の中にうまく居場所を確保する場面もある。経験を元に提供できる価値を見込まれているなら、それに頼る気持ちもよく分かる。
なので、習慣や経験を外して行動するのは、武器を手放すようで心許ない。しかし、一度手に入れた過去の積み重ねだけで楽にこなし続けてもいつかは飽きてしまう。
まだ自分の未知で到達できない領域を探して、足掻いて、ひどい失敗を重ねるかもしれない。
でもそれがワクワクを得られる状態だと思う。
そうすれば、(苦しさも伴うが)自分の声にもしっかり耳を澄ませられる気がする。
果たして、そういう状態で自分をキープできるのか。また定期的に振り返りたいと思う。
長文を読んでいただきありがとうございます。