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#241:すぐに流される
40代の中盤にも差し掛かり、自分の軸がブレない立派な大人にそろそろなりたいと思う。その想いとは裏腹にすぐに流される自分に幻滅する日々。
テニスで流される
1番顕著に流される場面がテニスのレッスン。
スクールに通っていると毎週同じレギュラーメンバーやコーチには慣れるものの、振替により他から訪れる未知なるプレーヤーの方には慣れない。
特にその人が自分より上のレベルから振替だと、それだけで途端にこちらのペースが乱れる。
別にその人とだけ練習するわけでもないし、ましてや、その人からすればこちらに対して何にも思う所はないはずなのに私だけが意識してしまう。
ちゃんと打ち返さないととか、変なプレーしないようにとか、なぜか無駄に意識して力んでいる。
そこまではいかなくても、当初、練習前に今日はフットワーク頑張ろうとか、脱力を意識しようとかなど、自らの軽い目標設定があったはずなのにその目標はすっ飛んでしまう。
振替メンバーが居て、自らの目標設定通りに意識して練習できたことはほぼない。
仕事も流されがち
仕事についてはまだ少しマシである。
打合せなどライブ感のあるやり取りでは、多少流される傾向にあるが(偉い人の言うことを意識してる自分に気付く)、それでも予め考えていることもあるのでまあまあ自らのペースは守れる。
テニスとは異なり、長らくITという職種をやってきたことも背景としてあるのか、これは違うなと思う点は明確に分かるのでそれ主張できる。
とはいえ、昨年より新たな職場に移り、少し油断していると、その場所での暗黙の流れについつい身をまかしてしまう危惧もある。
その方が圧倒的に楽ではあるが、仕事に関しては「それは追認してるのと同じだ」という緊張感は持ちつつ、少しでも違和感があれば確認も含めて声をあげることにしている。
家庭での川流れ
一方で、家においては絶賛流され中である。
子供の学校から来る行事、習い事のスケジュールなどは流されるがまま。まあそれは仕方ない。
妻のスケジュール、子供のスケジュールが先に決まれば、それに沿って行動が自動的にかたまる。そして、いつもだいたい暇な自分は家族の送り迎えに励むこととなる。
さして不満もないのだが、ふとこれで良いのかという想う時もある。
…
ここまで流される理由
流される理由は、おおよそ見当がついている。
まだまだ仕事で緊張感があり、そこで流されないように気を張ってるためである。意志の力というものを使うと相当消耗するらしい。その分、他の場面での流されに拍車がかかっている気がする。
流されるか、流されないか。
要するに周りの判断に委ねるか、周りは気にせず自ら判断するかの違い。
後者は判断する際に、意志の力(英語でウィルパワーというらしい)を必要とする。
判断で消費するウィルパワーは、仕事だろうが、家庭だろうが、趣味(テニス)だろうが、どの場面でも等しく消費し、そして1日分の容量もある程度決まっているらしい。
その説明は実際の感覚にも合う。全てに判断を求められると、判断することに疲れてしまう。
…
そういうことで、大事な場面以外はこれからもあまり気にせずしっかり流されていこうと思う。
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