#95:転職してよかったこと
よかったことは色々あったが、一番は「会社の論理とは別の自分の判断軸」を手に入れたことだと思う。
職業選択の自由、あははん
学生生活が終わり社会人になる時、自分は何をして生計を立てるのか、誰しも悩んだと思う。
ある意味、その時点は何にでもなれるし、理論上、職業の選択肢は無数に用意されている。日本では、憲法で職業選択の自由は保証される。
しかし、そうやって所謂新卒カードを切ると、その後は段々と職業選択のオプションは狭まる宿命にある。権利は保証されていても、実際に採用する会社がないと、絵に描いた餅となる。
要するにマッチングしなければ、事実上、そのオプションは存在しないのと同じだ。
会社の選択権
現在40代、新卒から2社目(一昨年転職)の体感ではあるが、実際に転職を実現するまで、自分に会社の選択権があると思っていなかった。
言い換えると、前職で働いてる時、その会社を辞める選択肢はあまり意識していなかった。(なかなか働きやすい職場でもありました。)
もちろん冒頭書いた職業選択の自由はいつでもどこでも保証されている。なので、正しくは選択権はありつつ、それを有してることに無頓着でリアルに考えたことはなかった。
では、なぜ真剣に考えたことがなかったのか。
なぜ真剣に考えないか
この状態の怖いところは、転職(他社で働く)をイメージできないだけでなく、普段から想像してみる習慣もないこと。自然と視野も狭い。
井戸の中の蛙、大海を知らず。
ただ単に知らないと、海が良いか、井戸の中が良いのかは比べられない。海の方まで行って、より良い環境を探したいとすら思わない。
知らない(無知)とはそういうことである。
結果的に転職したが、外部要因(リファラルでお誘いがあった)がなければ、恐らくそのまま働いていたと思う。それは思考停止というか、思考自体が湧いてこない状態だった。
(人によってはこの状態を幸せと呼ぶ。)
選べるということ
それに比べて選べるということは素晴らしい。
いや、もちろん何でも選べるわけではない。能力や年齢やあらゆる条件で、思った通りにならないことは多々ある。厳しい現実と向き合い、その絞られた中から選び取るのが選択だ。
とはいえ、何を選ぶか、最初に選ぼうとして、何を俎上に上げるかは自分次第である。
あともうひとつ。今の会社で仕事を続けるか、それとも他を探すかという大きな二択を常に持つことができるのも大事だ。結果的には転職しなくても、今の場所で働き続ける、という選択をしている。この自ら選ぶことが大事。
そう、選ぶ軸が自分の中にある。そして、選んだのは自分。誰のせいでもない。
何を当たり前のことを?と言われるかもしれないが、10年以上の期間、新卒で同じ会社に居ると、いつの間にかその会社の判断軸を自らに取り込み、会社軸で物事を判断するようになる。
そうなると、会社の判断軸に転職(退職)など選択肢としてあるわけもない。まあ100%会社の論理に取り込まれることはないとしても、やはり会社の論理を疑わなくなる傾向はある。
会社の論理
会社の論理。例えばこういう話である。
前職の退職時に、退職日で多少揉めた。
大勢の上司(みんな転職経験あり)は、社内規則とプラスアルファ程度の猶予期間で了解してくれたが、一部の人(偶々かもしれないが転職経験なし)から半年くらいの期間を提示されて面食らった。
重ねて言うが、良い職場だったし理解のある人が多かったので、辞める時もそれ以外では嫌な想いは一切していない。その期間提示にしてもある程度、自分に対する評価の裏返しでは、と良い見方をしてみる努力もした。
ただ思い返すと、まあやはり半年間は無茶だ。
その期間を自分がメインでやる仕事があった訳ではないし、最大限の引き継ぎもした。むしろ辞める予定の管理職が半年も居て評価までしたら当時のメンバーに悪い影響もあったと思う。
ただ相手は会社の論理に長く浸かっているからか(転職経験なし)、管理職としてはそれくらいの責任感?や期間の調整すべし、というトーンだったのを覚えている。在職中に大変お世話になった人だったので、余計後味は悪かった。
お世話になったのに辞めるのか、という点も、当時は何度も自問自答した。ただやはり、お世話になったからその組織に残り続けるべき、という考え方自体が会社の論理に毒されている。
そういう意味で、自分もどっぷり会社の論理に浸かっていたんだなーと、後から気付けたのも転職の効用である。思い返すと、当時は転職に罪悪感すらあった。(何が悪いんだろう?)
自分の判断軸
そして、前の会社の論理から解放されて一年、新たな職場で、会社の論理はこれで、自分の判断はこれ、と分けて考えられるようになった。
なお前の会社で身についた判断軸(論理)は、大半は特に歪なものでもなかったので、むしろ、今の会社と比較する際に重宝している。
ただ個人の価値観(判断軸)と会社の論理は、時として相容れない。しかし、日本では会社の論理を優先的に選択すべきという風潮がある。
その最たるものが忖度という言葉だろう。
会社の中では、しっかり忖度する。その方がサラリーマンとしては生きやすいのだ。ただし、それにより個人の価値観は犠牲にしない。
転職して良かったことは、そのギアチェンジがうまく自分の中に備わったことだと思う。
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