#6:マレーシア🇲🇾でPMした話(後編)
前回はマレーシアでPMした話(前編)を書いた。2015年のことだがまだ鮮明な記憶。
今回(後編)は、その続きから書きます。
□2015年6月 インドと毎日TV会議
ビジネス部門の不穏な動きは前編で書いたが、落ち着いて考えると別に不思議なことはない。なぜなら、僅か3週間で生保の新契約ToBeプロセスを全てヒアリングして、インド🇮🇳に持ち帰るというパッケージベンダーの説明が間違いだった。まあそれを真に受けて計画立てたのはPMの私なのでベンダーを責めても始まらない。
連日、時差3時間くらいのムンバイと繋いで、ビジネスーベンダー間のテレビ会議を開くがGAPは埋まらず。ビジネスーベンダー間に横たわる世界共通のGAPに加え、マレーシア🇲🇾−インド🇮🇳間のカルチャーGAPも加わり、仕上げはテレビ会議によるコミュニケーションGAP。スゴイ平行線。
インドのベンダーと折衝も初めてだったので、最初はペースが掴めず苦労した。最後はテレビ会議でお互い怒鳴り合うほど、深いコミュニケーションが取れるようになった。(笑)
要件定義が終わる時には個人的に打ち上げするほど、このベンダーPM/チームとは最終的には打ち解けたが、この時期はかなり険悪だった。とにかく、もう一度KLに来て業務フローとUI/UXの追加セッションが必要。それ無しでは決してサインオフしないし期間も最低1ヶ月!
□2015年7月 帰国延長&一時帰国
怒涛の半年が過ぎ去り、本当は7月末に帰国予定だった。ただまだ要件定義が終わってないのであっさり帰国延長が決定。とはいえ、半年過ぎるとワークパーミットや税金の問題もあり、健康診断名目で一時帰国。当時4歳の可愛い盛りの息子や妻と、日本でまったり数日過ごす。
番外編でも書こうかと思うが、KLに単身赴任中も家族とはほぼ毎日Skypeで画面越しに話していたがそれとはやはり違う。ただSkypeのある時代で良かったと思う、心から、ほんとに。
□2015年8月 3週間画面セッション
I’m back.ということで、KLに戻り仕事再開。ベンダーも最終仕上げにマレーシアへ来たので3週間、画面や業務フローのセッションがエンドレスに連日繰り広げられた。こうして、プロジェクトのボルテージはピークに。ここで今後マレーシアでPMする人に向け、マレーシア🇲🇾のPM業務で重要なことTOP3をお伝えする。
1.各部門のヘッドを行脚して優秀なSMEをアサインしてもらう。もうこれだけで、プロジェクトの成否が8割決まる。もちろん、各ヘッドと話す時は「この部門の活躍が大事だ!」ってCEO言ってたよ的なことは、全部門で言おう。
2.朝の打ち合わせは、皆を会議室に引きずり出すところから。まあ朝イチの打合せなんて、誰も時間通りに来ない。ましてやビジネス部門のベッド達は更に来ないし、自分のところのCIOすら来ない。各オフィスをまわって笑顔で会議始まるよーと言っても良いし、面倒なので会議室から電話かけまくり、今日の議題を伝えて来るかどうかを直接答えさせても良い。その代わり来ないと困る人は、席まで迎えに行こう!(なお当時は朝イチ=9:30で、日本人だけはその前に打合せと軽い仕事は終えてる時間)
3.長時間の会議にはお菓子を持参しよう。2時間を超えると、明らかに集中力が切れ至る所で雑談が始まる。まあ集中力云々ではなく、雑談の局地テロは日常茶飯事だけど。そのため、良いタイミングで、トイレ休憩を挟み、それとともにお菓子をサッと差し出そう。これでテンションや協力態勢が全く違う。ある日、午前中フルの打合せを始める時にお菓子がなくて、会議をボイコットされそうになったので、議事進行は任せてお菓子を買いに走ったこともあった。
□2015年9月 サインオフ、そして帰国
何とか集中セッションも無事に済み、残すはビジネス部門の各ベッドにドキュメント(主にBRS)のサインオフをもらうのみ。日本だと稟議書に押印もらうため、各役員室を自らまわるイメージだろうか。(今どきさすがに電子決裁だとは思うが)この時は文字通りのサインオフで、各文書の表紙に直筆のサインをしてもらうまで承認されない。
ここが最後の砦なので、ほぼ皆サインしたがらない。先に誰々をまわってサインもらえとか何とか。あるVPの部屋では、その部門のSME3名とVPに囲まれて2時間近く話した結果、「今日は保留だ」と言われて仕方なく帰ったことは今でも鮮明に覚えている。でも最後は滑り込みセーフで全員分のサインオフをもらい要件定義も無事完了、晴れて帰国となった。
□マレーシア出張を振り返って
ここまで仕事中心に、また記憶に残る衝撃的な出来事を中心に書いたので、少しネガティブな印象かもしれない。しかし、かつて担当した仕事の中で最高にエキサイティングで最高に楽しかった。もちろん最高に苦労した半年でもあったが。
恐らく単身赴任かつ期間限定という、完全に仕事に没頭できる環境は良かったと思う。当時は精神と時の部屋にひとりで入った感覚だった。この経験があるので、それ以降の仕事で怯んだり焦ったりすることが格段に減った。マレーシアでは良い出会いがあり、その人たちに助けられたり、かつてない成長実感とやり終えた達成感もあり、こんな機会はそうない。本当にチャレンジして良かったと思う。
あと仕事以外の生活面でも、KLはかなり暮らしやすい、ご飯も治安もちょうど良い街だった。それは今度また別のところで書こうと思う。
これでマレーシア🇲🇾でPMした話は以上です。
長文お読みくださりありがとうございます😊