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#5:マレーシア🇲🇾でPMした話(前編)

自分のキャリアの転換点、特異点を挙げろと言われたら、やはりマレーシアの現地法人でプロジェクトマネージャー/PMをした経験になる。

□2015年2月 マレーシアへ

最初はプロジェクト支援、ナレッジシェアという割と軽い感じの名目でマレーシアに渡った。

それもそのはずで、英語の拙い外人(日本人)しかも半年間で帰る腰掛けに何が出来るのか、という見方はある意味冷静だった。これは送る方の日本も同じで、かなり緩いミッション定義(具体的にプロジェクト責任負わない前提)のまま、KL/クアラルンプールに辿り着いた。

□2015年3月 PMへ

英語の準備は多少したが、生活の全てが英語になると脳はついていけない。メールや文書に、あらゆる会話。特に会議と電話は恐怖だった。担当プロジェクトのRFP、契約文書、SOWを眠くなりながらも読み砕いていたら、当時のボスであるCIOの部屋に呼ばれた。

「このプロジェクトのPMをやってみる?」

耳を疑った。先月来たばかりのペーペーの外人にPM任せるの?書類読んでると、英語のせいで眠くなる俺でいいの?全く正気とは思えない。しかもプロジェクトはCEO肝入りの大型案件。

驚きを隠せなかったが、どちらにしろ、元々責任もなければ失うものもない。即、OKした。後で聞けば、採用予定のPMは辞退しその次も採れず、現有メンバーも他ので大忙しという、海外IT部門ではあるあるの状況のようだった。

□2015年4月 キックオフ

光陰矢の如し。あっという間に、今回契約したパッケージベンダーがインド🇮🇳のムンバイから飛来し、キックオフミーティングが始まった。

極力、ベンダーPMが話すアジェンダにしたが、最低限、司会進行やこちらで答えるQAは拙い英語で対処せねばならぬ。直前までカンペと想定問答をひとり英語フレーズも込みで準備した。

始まってしまえば嵐のような日々は過ぎ去り、3週間という超短期の要件ヒアリングは完了。次の来馬は、要件定義書の最終レビュー&サインオフの時だと言い残し、ベンダーはインドへ帰った。まあしかし、そんなに予定通りに進むわけがない。ただそれはもう少し後の話。

□2015年5月 プロジェクト追加

ベンダーが帰国しほっとするも束の間、ビジネス部門が「思ってたToBeプロセスと違う!」とざわざわし始めた。気付けば毎回ITステコミに参加しCEOに向けて、事前に用意したカンペ通りだが身振り手振りを交えて話せるようになっていたが、この時のステコミはきつかった。

CEOとビジネス部門に責め立てられ、針の筵を乗り切るのに精一杯で、仕方なく翌日からムンバイと次の来馬スケジュールを交渉し始めた。

それとともに第二、第三のサプライズがあった。第二は、追加でもうひとつプロジェクトのPMを任された。第三は、唯一のPM仲間の同僚が突然退職した。これがダメ押し。最初、IT部門のPMチームは私を含め3名のチームだった。

それが同月に他部門への異動1名と退職1名が重なり、残されたのは私のみ。そして担当プロジェクトもひとつ増えた。この時はさすがにもう終了〜と感じたが、これが意外と何とでもなる国、それがマレーシア🇲🇾。

(後編に続く)

長文お読みくださりありがとうございます😭

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