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#108:思考を止めない

春めいてきました。桜が咲き暖かい日もあり、新たな出発を迎えた人も多いこの季節。

とりあえず目先のことを乗り切るので精一杯になりがちだが、何も環境変化のない自分も、春の麗にかまけて思考停止している。

思考停止のサイン

考えるとは、なかなか奥が深い。多少の情報をインプットにした方が考えるきっかけにはなるものの、実に情報処理をしているだけで、全く考えてないことが多い。

テレビや動画を観たり、マンガを読んだり。この辺りはさすがに思考しながら観てるという感覚ではない。少し感想や思い出すことはあるが、考えるモードにはならない。もし考え始めたら、元々のテレビ、動画、マンガはひとまず置いておくだろう。

次に読書やラジオ(Podcast)。もう少し余白があり、考える余地を生む。音声コンテンツは視覚が空いてることもあるし、生配信でなければ音声は止められる。読書も読むペース配分は自らコントロール出来るため、読み進めるのも止めてじっくり考えることも出来る。但し、やはりインプットモードのため、じっくり考え始めることは稀だ。

何しろ、自分の場合だが頭の中で組み立てて考えられるパーツはそんなに大きくない。次のパーツに移ると前のが消える。短期記憶が狭い。

つまり何かに書いてないと、その期間はほぼ何も考えていないに等しい。分かりやすい思考停止のサイン。

仕事のアウトプット

そうすると、ここ数ヶ月は僅かなnote記事と思いついた時に書く数少ない日記くらいしか、考えた痕跡がない。実に恐ろしい。

実際にはもう少しだけマシで、仕事中は多少考えているようである。何かしら資料を作り、誰かにメールを書き、タスクの進め方をメモしながら考えている。そのアウトプットはもう少しボリュームがあり、僅かに体系化されている。

自分の専門領域であるIT分野については、確かに新卒で入社以来20年、何かしら考えている。仕事に直接関わる近視眼的なテーマが多いものの、ある程度、原理原則が分かっていないと対処できないものもあり、必然的に体系的な理解と考えを深めている部分もある。

それが糧になり、今のところはそれを資本として給料を得ているからには、これまで考えてきたことは無駄ではなかったと思う。

単なるインプットを情報処理して右から左に流すだけでなく、自分で受け止めて一旦考えることにより、蓄積されて見解(感覚)のようなものが少しずつ形成されていった。

仕事以外の面での思考

翻って、仕事以外の面では、仕事のような蓄積が全くないことに気づく。仕事以外の時に、仕事と同じような集中力やボリュームで書くことはあまりない。つまりほぼ思考停止状態。

それは考えるのを自ら止めたとか、そもそも考えることに消極的だとか、そういうマインドの問題ではない。端的にプライベートでしっかり考える(書いて体系的に考える)習慣がない、ということ。

そうやって具体的な証拠を探すと、長い期間を経ても家事や育児がなかなか上達しないのは、ろくに考えてやっていないからだと分かる。

習慣化のための情報遮断

あらゆることに思慮深くなれというのは生まれ持った性格もあり無理な相談ではあるものの、もし単に考える癖(書いて整理する)をつけるだけで改善するなら習慣化すべきだと思う。

何だか啓発本みたいな内容になってきたので、自分でも気持ち悪い。ただあまりに考えることを放棄していたことについて、改めて考えれば考えるほど気付いた、という赤裸々な記録なので何卒許してほしい。

そして思考停止になる、易きに流れる、一番の原因は恐らく情報過多(インプットの詰め込み過ぎ)なのだと思う。

ニュースでもエンタメでも、人との会話でも。そして、何かしらの体験でもインプットが溢れている。その刺激や情報を処理するのに、日々忙しくて何かをゆっくり考える暇などない。

いや、むしろ何かをじっくりと考えることを拒否しているかのよう。思考を続けるには、思考体力が必要だ。記憶容量と思考の持久力が必要だが、両方を補うのが書くこと。但し、どんどん展開する考えに書くスピードが追いつかない制約もある。(音声メモという手もあるが…)

いずれにせよ、じっくりと考える時間を確保するため、情報を遮断するとともに、考えるための環境(時間や道具)を用意しようと思う。

まあいつもそうだが、今日のメモは特に自らの備忘録であり、公開するのが憚られる。何だか申し訳ない。

長文を読んでいただきありがとうございます。

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susumu.y
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