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片岡義男が書いたラハイナ②亡き父親の幼友達に会い、父を想う

『ラハイナまで来た理由』(2000年)
カアナパリまでの飛行機はどれも満席だった。今日はカフルイまで飛ぶことにした。
マウイに向けて海の上を飛びながら、カアナパリの近くの砂糖きび畑にセスナで不時着したときのことを思い出した。
乗客は3人だった。本願寺の僧侶。黒人のビジネスマン。25歳の僕。

雨は水平に飛んで来て機体を叩く、分厚い水の層だった。
強靭に吹きまくる数百種類の風が、複雑にからみ合っていた。風と風との隙間を、セスナは飛ばされていった。
パイロットは空港への着陸を試みた。しかし、セスナは横飛びに流された。
「山裾にぶつかる前に、ケインに引きとめてもらうからね」

セスナは砂糖きび畑に腹をこすり始め、ケインのなかを滑走し、右前に傾きつつ、停止した。
パイロットが飛び降りたあと、主翼の先端が畑にめり込んだ。風と雨を避けて溶岩に体を寄せた。僕は僧侶に、ラハイナで砂糖きび畑の水を管理する仕事をした祖父について語った。
やがて消防署の車が走って来た。

マウイに向けて海の上を飛びながら、
カアナパリの近くの砂糖きび畑にセスナで不時着したときのことを思い出した。

カフルイ空港に降り立つと、ワイルクまでバスに乗った。
ハリーはガレージのオフィスにいた。昨年亡くなった僕の父親と幼なじみ。70を越えているが、元気な現役だ。「いつ来たの。ジャスト・ライク・ヨ・ファーザ。いったり来たり。極楽トンボ」
彼は自動車を貸してくれた。

島を東側から西の海沿いまで、ハリーの中古車で走った。途中で父親の残した家に寄った。半年ぶりだ。シャワーを浴び、服を着替え、冷蔵庫からミネラル・ウォーターを取り出して居間へ持っていき、庭に面して置いてあるイージー・チェアにすわった。父親は、この椅子にすわったまま心臓麻痺で他界した。

キチンで電話が鳴った。フランシス・K・アカミネという、父親の幼友達だった。
「ソ・ユー・ア・ゼア」
「イエス・アイム・ヒア」
「ユー・イーティング・ウィズ・アス、ヨシオ?」
彼はいつも魚の料理を作ってくれる。
「料理する魚をまな板に乗せる前に、僕はそちらに着きます」
「オケイ」

庭に面して置いてあるイージー・チェアにすわった。
父親は、この椅子にすわったまま心臓麻痺で他界した。

自分で建てた高床木造の2寝室の家に、シスコ・アカミネは奥さんと住んでいる。ふたりの息子とひとりの娘はメインランドで独立。余裕のある静かな時間のなかに、ふたりはいた。
マンゴーの樹の下にカトラスを停めた。ラハイナでいちばんうまいマンゴーだ、とシスコは自慢する。

シスコとメリンダの日系二世夫妻は、居間のソファで花札をしていた。メリンダはいまも美人だ。名前は幸江。夫の幸吉とならんで幸がふたつだから、自分たちの人生はダブル・ラックよ、と笑う。
先週、東京の僕へ、シスコから電話があった。40年前、父親から借りたアロハ・シャツが見つかったという。

今度ここへ来たら返すよ、いつ来るかね、という彼の問いに、来週いきます、と答えた。
奥へ入ったシスコは、アロハ・シャツを1枚持ってきた。僕はそれを着てみた。シスコは呆れたように首を振り、お父さんにそっくりだと言った。気味が悪いほどよく似ているとメリンダは言い、片手でうなじを撫でた。

マンゴーの樹の下にカトラスを停めた。
ラハイナでいちばんうまいマンゴーだ、とシスコは自慢する。

『片仮名ではスパム・アンド・エッグス』(2000年)
「なににしましょう」
「スパム・アンド・エッグスで。卵はふたつ、ワンス・オーヴァー。スティームド・ライスを添えて」
「エニシング・エルス?」
「トマト・サラダ。パイナップル・ジュース。そして大きなマグのコーヒー」
「OK。出来たら呼ぶから」

店は調理場と、客が注文するカウンターだけ。食べる場所は外にあった。スーパー・マーケットへの渡り廊下に張り出した陽よけの屋根が作る日陰のなかに、ベンチとテーブルが配してあった。
晴天のラハイナの朝、9時過ぎの風が吹いた。
今朝のスパム・アンド・エッグスは、亡き父親にちなんでいる。

若い頃の彼がハワイ、カリフォルニア、ネヴァダで苦労していたとき、しばしば食べざるを得なかった食事がスパム・アンド・エッグスだった。
40数年前、父親が貸したままだったアロハ・シャツを、昨日、シスコは僕に返してくれた。そのシャツをいま僕は着ている。だから父親にちなんで、この朝食だ。

今朝のスパム・アンド・エッグスは、亡き父親にちなんでいる。
若い頃の彼がハワイ、カリフォルニア、ネヴァダで苦労していたとき、
しばしば食べざるを得なかった食事がスパム・アンド・エッグスだった。

コーヒーのおかわりをもらいにいき、テーブルへ戻るときに、ショッピング・センターの建物に沿った歩道を、ひとりの日系の男性が歩いているのを目にとめた。70代なかばの背丈が高い人だ。
朝食を食べ終わる頃、彼がセンターのドアから出て来て、たたずんだ。

彼は僕に向けてもの静かにかがみ込んだ。
「ホワイル・ユー・ウォー・イーティング、アイ・ワズ遠慮しとったがね。あんたはキタムラさんのナンバーワン・ボーイかね」
「そうです」
「そうじゃろう思いよった。ハヴント・シーン・ユー・フォ・サムタイム」
そのひと言に彼は懐かしさと親しさを込めた。

「ホエア・ユー・ビーン。メインランド?」
彼は、僕を僕の父親と取り違えている。僕の父親を久しぶりに見かけたと思い、僕に声をかけてきたのだ。
彼は昔に帰ってしまっている。
「そうです。メインランド。ホノルル。ジャパーン。ハウ・ハヴ・ユ・ビーン。ユ・ルック・グレイト。ユ・ルック・ファイン」

彼は微笑を深め、
「ハウ・イズ・ヨ・ファーザ」
と、聞いた。僕の父とは、つまり僕の祖父のことだ。
「ヒーズ・バック・イン・ジャパーン。ヒーズ・ドゥーイング・ファイン」
1910年代に祖父はラハイナから出身地の山口県へ戻った。長寿をまっとうし、何年か前にこの世を去った。

「グラッド・アイ・クッド・トーク・ウィズ・ユ。ビーンナ・ロング・タイム」
彼は僕に右手を差し出した。僕は彼と握手を交わした。
「テイク・ケア」
囁くようにそう言い、彼は僕のかたわらを離れた。
なんという人なのか。帰り道、シスコのところに寄って、訊いてみよう。

コーヒーのおかわりをもらいにいき、テーブルへ戻るときに、
ショッピング・センターの建物に沿った歩道を、
ひとりの日系の男性が歩いているのを目にとめた。70代なかばの背丈が高い人だ。

※上記の文章は、片岡義男さんの作品『ラハイナまで来た理由』『片仮名ではスパム・アンド・エッグス』の抜粋であり、表現を補うために、ウェブ上に公開されている写真を添えた。
『ラハイナまで来た理由』として1冊にまとめられた片岡義男さんの26の短編小説の全文は、下記のウェブサイトで公開されている。
青空文庫

片岡義男.com全著作電子化計画

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