Susie@Honolulu, Hawaii

東京生まれ。横浜育ち。静岡を経て、ホノルルへ。 ハワイの自然、歴史、文化をシェア♪ h…

Susie@Honolulu, Hawaii

東京生まれ。横浜育ち。静岡を経て、ホノルルへ。 ハワイの自然、歴史、文化をシェア♪ https://plaza.rakuten.co.jp/suzerandall/ https://www.youtube.com/@susieathonoluluhawaii802

マガジン

  • ホノルルの海と街を歩く

    2006年に初めてハワイを訪れた時の旅行記に始まり、2016年にハワイ在住の米国人と結ばれてワイキキで暮らすなかで出会った風景の数々を紹介。

  • ハワイの神話と歴史をたどる

    ハワイ諸島へ到達したポリネシア人が残した神話、ハワイ王国を築いた人々やハワイを訪れ、移り住んだ人々が残した著作(旅行記、小説、絵画、写真)を読む。

  • ハワイを訪れた日本人 戦後編

    ハワイを訪れた日本人が残した著作(旅行記や小説や写真)の“さわり”を紹介。彼らは、ハワイのどこに惹かれたのか。

最近の記事

ワイキキの現在を映し出すライブカメラ

2023年6月23日から「note」に投稿をはじめ、8月下旬から投稿に使用したハワイの写真を「みんなのフォトギャラリー」に登録したところ、約1年後の2024年9月13日に、私の写真が300回使われたとの連絡が来た。 ☆ 写真が使われるとnoteからEメールで連絡が来るので、今度は、どんな文章に使われたのかと、読むのが楽しみだ。ハワイの写真だが、ハワイをテーマにした文章に使われるとは限らない。それぞれの文章から、書き手の息づかいが聞こえて来る。 ☆ 2024年9月15日は、日菜

    • ハワイの誇り デューク・カハナモク 水泳と波乗りの継承と発展

      ハワイを初めて訪れた時、ワイキキビーチにサーフボードを背に両手を広げて立つ銅像が建てられた英雄について、私は全く知らなかった。彼が活躍したオリンピックは、1912年ストックホルム、1920年アントワープ、1924年パリ、1932年ロサンゼルスの4回で、太平洋戦争の前だ。その彼が、今もハワイの人々に愛され続ける訳を知りたくて、ハワイ人にとっての水泳と波乗りの意義、デュークの生涯、その遺産を継承する取り組みを探ってみた。 1778~9年、クック船長が見た水泳と波乗り クック船

      • イザベラ・バードが訪れたルナリロ王のハワイ①ホノルルとハワイ島

        ハワイ王国史におけるルナリロ王の在位期間は、わずか1年25日。だが、この期間にハワイの島々を訪れ、王に謁見した英国の女性旅行作家がいた。私は2018年に彼女が書いた本の日本語訳を購入したが、本棚に積んだままになっていた。今回、xでルナリロ王時代のハワイを紹介するために、彼女がハワイから英国の妹に送った手紙を抜粋する形で連載を始めた。手紙16で彼女は一旦ハワイ島を離れるので、ここまでを一区切りとし、要約を補うためにインターネット上で公開されている写真を添えた。 ルナリロ王(1

        • 高峰秀子とハワイ 日系米兵との出会い~ハワイに永眠

          高峰秀子生誕100年、おめでとうございます。 女優の高峰秀子がハワイと深く係わっていたことを私が知ったのは、夫で脚本家の松山善三との共著『旅は道づれ アロハ・ハワイ』を見つけてから。さらに『わたしの渡世日記 下』には、終戦直後にハワイから日本を訪れた日系米兵、ハワイ生まれの灰田勝彦、ハワイの日系人の歴史について書かれていた。また、高峰秀子の養女となった文筆家・斎藤明美の『高峰秀子との二十年』にはハワイのコンドミニアムを購入した経緯などが記されていた。これらの文章を時系列に編集

        ワイキキの現在を映し出すライブカメラ

        マガジン

        • ホノルルの海と街を歩く
          22本
        • ハワイの神話と歴史をたどる
          13本
        • ハワイを訪れた日本人 戦後編
          35本

        記事

          ドナルド・キーンとハワイ 戦時下における日系人、日本人捕虜との交流

          ハワイに住む者として、ハワイの歴史を知りたいと思った。そのひとつの方法は、ハワイを訪れた人が書き残した書物を読むことだ。ドナルド・キーンがハワイと係わっていたことをどうやって知ったかは覚えていないが、私はドナルド・キーン(著)/角地幸男(翻訳)『ドナルド・キーン自伝 増補新版』(中公文庫、2019年)から、ハワイに関する部分を抜粋し、ウェブ上に公開されている写真などを添えた下記の原稿を2020年11月17日から28日までツイッターに連載した。自伝は2006年、「読売新聞」の土

          ドナルド・キーンとハワイ 戦時下における日系人、日本人捕虜との交流

          ハワイにおける新型コロナウイルスとの戦い①2020年

           2020年の私は毎日、ハワイ州の新型コロナウイルスの新規感染者数とハワイ州知事やホノルル市長の対策をツイッターで発信していた。その後、忘れたこともあるので、この機会に、ハワイにおける新型コロナウイルスとの戦いについて、ツイッターで発信した情報をまとめてみることにした。  発信した情報は、2020年だけで5万2千字を越えている。月毎の目次を作成したので、まずは各月の最初に書いた要約を読んでいただければと思う。  1月に「中国の武漢市が新型肺炎の感染で都市封鎖された」と聞いた時

          ハワイにおける新型コロナウイルスとの戦い①2020年

          ダイヤモンドヘッド周辺のビーチを歩く

          近藤純夫さんによると、オアフ島が海上に姿を現したのは350万年前。ダイヤモンドヘッドが出来たのは15万年前。海面直下で噴火が起きたために、マグマが激しく海水と接触して水蒸気爆発を起こし、ほぼ真円に近い直径1キロのクレーターがつくり出された。 その後、到来する雨や風、そして波が永い時間をかけてダイヤモンドヘッドの山麓を少しずつ削り取り、細長い砂浜と遠浅の海をつくりだした。 風と潮流の関係もあり、ビーチの前には良い波が立つ。しかし海底にはサンゴ礁があるので、この海を知らない人には

          ダイヤモンドヘッド周辺のビーチを歩く

          朝陽が照らし出すホノルルの海と街

          夕陽はじっと見ていられるが、朝陽は眩しくて見ていられない。日の出とともに景色は逆光で暗くなるので、日の出前の空の色の変化が面白いと気づいた。日の出後は、朝陽がどこを照らすかに注目した。ワイキキではシェラトンが最初に明るくなる。ワイキキから見るダイヤモンドヘッドは午前中は影の中だ。 ホノルルの朝陽を見つめる「Sunrise seen from the plane heading to Hawaii」 2022年6月9日(木)20時45分、前日のPCR検査陰性判定書を持って、成

          朝陽が照らし出すホノルルの海と街

          炎が演出するワイキキの夜

          夕陽が沈むと、カラカウア通りぞいのホテルやショッピング・モールのトーチに炎が灯される。ルアウ(ディナーショー)では、伝統食を振舞い、ステージでは歌とフラを披露し、最後はサモアのファイアー・ナイフ・ダンスで締めくくる。金曜日の夜には、ヒルトンで花火を打ち上げる。炎は、野性を蘇らせる。 「7 pm at Waikiki Beach Marriott Resort & Spa」 2023年3月30日、木曜日。ワイキキでは、サンセットを眺めてから、食事に出かける人が多いのでは。日没

          炎が演出するワイキキの夜

          残照のなかのホノルルの海と街

          ホノルルの海に太陽が沈んだ後、10分ほど経っても、海岸沿いの高層ビルの正面は、まだ明るく照らされている。20分ほど経つと、ホテルの部屋の灯りが強さを増してくる一方、ビーチでは、水平線近くの空に赤みが差し、やがて燃えるようなオレンジ色に染まっていく。ホテルのプールはライトアップされる。 Makapuu Avenue 今日は丘の上から夕陽を見ようと、モンサラット通りを登り始めたが、なかなか眺望が開けない。 カピオラニ・コミュニティ・カレッジから、マカプウ通りに出ると、金網フェ

          残照のなかのホノルルの海と街

          ホノルルの海に沈む夕陽

          パートナーがハイアットの海側のABCストアで仕事をしていたので、初めて見たサンセットは、デューク像の近くからだった。大勢の人々が海に沈む夕陽をじっと見つめていて、ワイキキのサンセットがイベントだと知った。長く住んだ横浜と静岡では、夕陽は西の山に沈んだので、海に沈む夕陽は初めてだ。 ☆ ワイキキで毎日、海に沈む夕陽を見られるわけではない。ほとんどは、海から湧き上がった雲に隠される。隠されても、しばらくすると顔を見せて海に沈む夕陽もある。薄曇りだから隠れるだろうと思っていると、輪

          ホノルルの海に沈む夕陽

          ホノルルの虹に出合う

          「Anuenue 虹」 ハワイは「虹の州」とも呼ばれるほど、虹がよく見られる。 車のナンバープレートにも、大きな虹がどーんと入っているくらいだ。 ハワイの島々には、いつも北東の方向から貿易風が吹きつけていて、 それが山にぶち当たって上昇気流をつくり、雨雲を発生させ、 その雨雲が流されて、あちこちに雨を降らせる。 でもシャワーのような雨が多く、いっぽうで太陽が輝いているものだから、 雨に日の光が当たって、よく虹が現れるというわけだ。 虹の出かたをご存知だろうか。 太陽と自分の

          ホノルルの虹に出合う

          ダイヤモンドヘッド三十六景

          ★ワイキキから見たダイヤモンドヘッド1 デューク・カハナモク・ラグーン 北斎がハワイに住んでいたら、ワイキキのあちこちから見たダイヤモンドヘッドを版画にしたのではないか。北斎のように写真を撮りたい。まずはデューク・カハナモク・ラグーンを散歩する家族連れを見守るダイヤモンドヘッド。2020年12月21日撮影。 2 デューク・カハナモク・ビーチ ココヤシの並木の写っている写真を見ると、ハワイかな?と思い、ダイヤモンドヘッドが写っていると、ワイキキだ!となる。ココヤシの並木のむ

          ダイヤモンドヘッド三十六景

          ホノルルの潮騒を聴く②クヒオ・ビーチ~アラモアナ・ビーチ

          約3kmにわたるワイキキ・ビーチの沖には、9つのサーフポイントがある。かつてサーフィンはハワイの王族のためのスポーツだった。 王国崩壊後の1905年6月にハワイを訪れた人気作家ジャック・ロンドンは、サーフィンの手ほどきを受け、その魅力を世界に発信。 さらに、1912年のストックホルム・オリンピックの100m自由形決勝で金メダルを獲得したデューク・カハナモクがサーフィンの魅力を世界に発信。 1917年の夏、17mを超える波が、ダイヤモンド・ヘッドの外側から、ホノルル港に向かって

          ホノルルの潮騒を聴く②クヒオ・ビーチ~アラモアナ・ビーチ

          ホノルルの潮騒を聴く①クリオウオウ~ワイキキ・ウォークウェイ

          ホノルルの様々な海岸を訪れて、潮騒の音を聴いた。 そして、波の静かな海岸と波の荒い海岸があることに気づいた。 オアフ島の南側では、波は南東からやってくるようだ。 だから、火山の噴火などで作られた岬の東側の海岸の波は荒く、西側の海岸の波は驚くほど静かだ。 訪れた海岸を東から順に紹介する。 クリオウオウ・ビーチ 2023年6月30日、金曜日、午前11時。初めてクリオウオウの海に出たら、今までダイヤモンドヘッドの北側から見ていたココクレーターが左側に聳えていた。ココクレーターの右

          ホノルルの潮騒を聴く①クリオウオウ~ワイキキ・ウォークウェイ

          加藤秀俊『ホノルルの街かどから』⑤ワイキキ、客の送迎、日本語放送局、アロハ、フロンティア、太平洋

          観光で来る人たちは、ハワイというと、ワイキキを連想する。とにかく、1日24時間、にぎやかで楽しいところなのだ。しかも、ここの海岸は美しい。海岸沿いのヤシの木は、貿易風にそよぎ、太平洋に沈む太陽が大空に描き出す夕焼けは、ワイキキ以外では見られない。 ☆ しかし、ワイキキが、ホノルル市のごく限られた行政区であることも事実だ。そして、ホノルルで生活をし始めてみると、ワイキキが極めて特殊、例外的なところに思えてしかたがない。物価も高く、人口密度も高く、大部分は休暇旅行で遊びに来ている

          加藤秀俊『ホノルルの街かどから』⑤ワイキキ、客の送迎、日本語放送局、アロハ、フロンティア、太平洋