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片岡義男『アロハ・オエ』②太平洋をこえてきたうねりは巨大な水の壁となる。

「スタジオに来て」
とジェニファーは言った。
「今夜、録音なのよ。リハーサルを見ていたのだけど、マイケルは素晴らしい。でも、不思議な雰囲気だわ。悲しくて、なんだかこわくて」
ワイメアの大波を撮影するための打ち合わせが、夜までワイキキのオフィスでつづけられた。

ほぼ終わったところで、アラモアナ近くのスタジオへ車でむかった。
倉庫のような建物だが、数多くの名演奏が録音されてきた。
くつろいだ親密な雰囲気がスタジオに広がっていた。
地元のミュージシャンたちがバックの演奏部分を練習していた。
今夜の録音では歌と演奏をワン・テイクでおさめてしまう。

マイクのまえに立ったマイケルは、目を閉じ、じっとしていた。
コントロール・ルームのディレクターが
「やってみようか」
と言った。
彼は静かに目を開いた。
「今夜ここに集まってくれたみんなに、この歌をささげよう」
友人たちの絶妙のサポートを得て、夢のようにうたい、聴く者の心臓をつかんだ。

場所を移して簡単な祝賀パーティがあった。テレビ局が提供してくれた、あの朝のビデオを、みんなでながめた。
不吉な予感が、ぼくの内部によみがえった。
あの予感は、ディーンとロジャーの死をまえもって知らせていたのだろうか。
10日間にわたる捜査のあと、ふたりの生存は絶望との発表がなされた。

旧サウンズ・オブ・ハワイ・スタジオ

パーティのあと、ぼくは北海岸にむかった。ジェニファーとウェイン・ニシモトがいっしょだった。
ウェインは、ベンジャミン・ニシモトの甥。この冬、ワイメアの50フィートの波に挑戦する3人の少年の最年長、17歳だ。
夜明けと同時に、北海岸全域に緊急避難命令が出された。

サイレンが朝の空気をさしつらぬいた。赤い回転ライトを灯してパトロール・カーが走りまわった。
サンセット・ビーチにむかうハイウェイには自動車がいっぱいいた。
朝のニュースは波の情報に終始した。
アリューシャンの冬の嵐にひきおこされた波は、太平洋をえんえんとうねり、ハワイにやってくる。

太平洋をこえてきたうねり波の途方もないエネルギーは、ワイメア湾口の浅瀬に乗りあげ、大波となって立ちあがり、持ってきたエネルギーをぶちまけ、壮大に自爆してみせる。
自爆の瞬間を、サーファーたちはとらえる。勇敢なサーファたちは、波とたたかい、波の頂点にいた。
ウェインも、そのひとりだ。

昨日、ワイメアの40フィートの波を1時間がかりで相手にしたウェインの体は震えていた。大波が砕けるときのエネルギーがサーファーの肉体に乗り移り、そのエネルギーの発振で肉体はふるえつづけると言う。
50フィートに挑戦する3人を映画監督にひきあわせた。
「撮るからな」
と監督は3人に言った。

アリューシャンの冬の嵐にひきおこされた波は、
太平洋をえんえんとうねり、ハワイにやってくる。

湾は馬蹄のかたちをしている。奥は広い砂浜で、両側は黒い岩でできた岬だ。湾の内部は浅い。海底が透けて見える。
北西をむいている湾にむかって、北から太平洋のうねりが押し寄せてくる。
乗れるような波ができる日は、湾の外を右から左へ40フィート級の波が立ちふさがる。

灰色の朝だ。空気が重い。そして息苦しい。
まっ白い波が何段にもかさなりあい、砕けている。地鳴りのような音が、地面を伝わって体にのぼってきて心臓をとりかこむ。
水平線は灰色にくすんでいる。
湾の周辺に人がいっぱいいた。誰もが興奮していた。一段高くなった草地はムーヴィ・カメラの砲列だ。

ハリウッド映画の撮影カメラは要所についていた。5台のうち2台は、湾の上空を旋回するヘリコプターに乗っている。
3人のサーファーは海に入った。浜の中央から沖へ猛然と引いていく潮流に乗り、急速に沖へ出た。
ぼくはジェニファーが望遠レンズつきのムーヴィ・カメラを立てているところへ走った。

3人のサーファーが見えた。ひとつ、ふたつ、みっつ、と、うねりをやりすごす。
あるとき、波をつかまえる態勢に入った。波がもっとも高くなる地点で3人は波をむかえた。
巨大な水の壁が空にむかってのびあがる。
波は一瞬、静止するかに見えた。
風で削ぎ取られた飛沫の幕が渦を巻いて舞いあがった。

3人のサーファーは海に入った。
浜の中央から沖へ猛然と引いていく潮流に乗り、急速に沖へ出た。

その白い飛沫の嵐をかいくぐり、波の頂点でサーフボードに立ちあがったサーファーが淡いシルエットになって見えた。アルバート・イアウケアだ。
高さ50フィート。内側にえぐれこんでいる大波のスロープに、サーファーは自分のボードに両足で吸いつき逆落としに落ちていった。

ロニー・カマイがアルバートにつづいた。独特の強引なスタイルで飛沫のたてがみを突き破り、緻密な計算をひたかくしにして、委細かまわず魔のスロープに飛びこんだ。
波の頂点にウェイン・ニシモトが姿を見せた。テイクオフをぎりぎりまでおくらせている。遅すぎる! ぼくは絶対絶命の悲鳴をあげた。

ウェインがテイクオフした次の瞬間、逆落としになっている彼の背後へ、大波はおもむろに崩れこんだ。山としてそびえていた波は、頂上から白い大爆発となった。爆発は裾野にむかって猛然と広がり、レンズの視界は白さでいっぱいになった。ウェインは爆発の内部へのみこまれた。
波は平らに砕け落ちた。

この冬で最大のワイメアの波の断末魔を目のあたりにしながら、ぼくはヘッドフォーンから聞こえてくる映画監督の声を聞いていた。自分が乗っているヘリコプターのパイロットと近くにいる僚機のパイロットに対して冷静に怒鳴り続ける指示は、聞いているだけで全身に鳥肌が立つほど鋭く適切なものだった。

高さ50フィート。内側にえぐれこんでいる大波のスロープに、
サーファーは自分のボードに両足で吸いつき逆落としに落ちていった。

太陽が地球のむこうへ沈もうとしている。空がオレンジ色に燃えている。
雲の薄い部分から夕陽がつらぬいてくる。
海は黒い。波も黒く盛りあがるシルエットだ。だが、波が高く盛りあがると、波の壁がうっすらと明るくなる。太陽の光をとおすのだ。
沖の波にサーファーがいた。

波は右から左へ走り、のびあがって自らをチューブに巻きこみ砕けていく。
波の斜面を、サーファーは波のスピードと互角に飛ばしていた。
波のスロープのなかほどを使い、サーファーはアップ・アンド・ダウンをくりかえした。
サーファーの頭上をこえて、波の頂上は水のアーチになって斜めに落下する。

水のアーチに抱きこまれて。楕円型の空洞ができる。
アーチが左にむかって猛烈なスピードで進む。サーファーの後方でアーチが崩れ閉じられる。
サーファーは、スピードを充満させてチューブをふりきり、波の壁を滑走した。
ボトムへ降りていき、ターンをすると、いっきに波のてっぺんに駆けあがった。

丸い大きなオレンジ色の太陽をバックに、黒いシルエットのサーファーがサーフボードごと空中に舞い上がった。サーフボードがきりもみをしつつさらに高く飛んでいき、サーファーは両腕と両脚を広げ、2転、3転しつつ、波に落ちた。
映像は終った。
「いまのサーファーがラリーです」
と監督が言った。

サーファーは、スピードを充満させてチューブをふりきり、波の壁を滑走した。

「次もワン・ショットで撮った」
監督は上機嫌だ。
ワイメアの大波がスクリーンに映った。
白い段丘は、爆発をつづけながら湾の奥を襲った。
人々は逃げた。
海岸に激突した波はハイウェイにはねあがった。民家が、椰子の樹が、波に抱きこまれた。
一瞬のうちに波は引いた。

「さて、悲しいものをお見せしなくては」
灰色の空が映った。あの大波の日のワイメアだ。
救助隊のヘリコプターが飛んできた。吊り下げているカゴのなかに、ふたつに折れたものがおさまっていた。ウェイン・ニシモトだ。大波からワイプアウトした彼は、海底の岩に叩きつけられ、頭を割られて死んだ。

続いて、雷鳴をともなう雨嵐の海が映った。
荒れる海に、サーファーがひとり、出ていた。マイケル・ヘレアウカラニだ。
彼は、普通ならちょっと乗れそうにない波に、何度か乗った。そして波の頂に立ち、ボードに立ちあがった瞬間、雷に打たれた。
両手を天にむかってのばしていた彼を、雷は直撃した。

波がまぶしく光った。まっぷたつになったサーフボードがはねあげられ、波の彼方へ散っていった。
部屋が明るくなった。ジェニファーは、ぼくの腕を握りしめていた。
「誰も、嵐の海に入りたがらなかったの。マイケルが志願したのよ。監督は黙って見ていたわ。あのシーンは、ラスト・シーンに入るのよ」

ハリウッド映画の撮影カメラは要所についていた。

正午に、ニシモト・カントリー・ストアの跡地に人々は集合した。
ハワイ音楽の長老たちの顔も見えた。若いミュージシャンも大勢いた。
残酷なまでに空は青く、山の頂に白く雲がとまっていた。
大合唱がはじまった。マイケルが残した『ニシモト・カントリー・ストア』の歌だ。

ミュージシャンが自分の持ち味を生かしてソロをとり、くりかえしくりかえし、うたった。
やがて、人々は自動車に乗った。白バイが先導し、ワイメアにむかった。
上空には海軍と海兵隊、海難救助隊、沿岸警備隊のヘリコプターが、飛びかった。
沿岸警備隊の巡視船が、ながくひっぱって霧笛を鳴らした。

海岸につくった簡単なステージから波打ち際まで、200本をこえるサーフボードが立ててあった。
ステージのまわりにサーファーたちが待っていた。ハワイじゅうのサーファーが来ているはずだった。
ラリーが挨拶した。
「ワイメアに挑戦した親友。雷で天に召された親友。信じることに命をささげた親友。

忘れがたきアイランド・ボーイズのために、海へ出て黙禱します」
ミュージシャンたちが、うたいはじめた。古いハワイの歌だ。
サーファーたちが砂浜のサーフボードを抜き、沖へむかった。
ヘリコプターが海へ花束を投下した。
鮮やかな花が舞った。
陸から、『アロハ・オエ』の歌が波頭を渡ってきた。

忘れがたきアイランド・ボーイズのために、海へ出て黙禱します」
ミュージシャンたちが、うたいはじめた。古いハワイの歌だ。
サーファーたちが砂浜のサーフボードを抜き、沖へむかった。

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片岡義男『アロハ・オエ』(1978年)
「白い波の荒野へ」を雑誌『野性時代』に発表後、編集者が、同じ舞台と同じ主人公で連作のようにさらにいくつかのストーリーを書いていくというアイデアを提案する。片岡義男さんは、その提案に魅力を感じ、さらに4つの短編を書き、『波乗りの島』というタイトルで、それらを1980年に1冊の本にする。
この『アロハ・オエ』は1978年8月号に発表された2作目。1作目と比べると、ハワイアンの歴史と文化に踏みこんでいる。ハリウッドの映画資本が波乗りをテーマに劇映画を撮るという設定は、ジョン・ミリアス監督が1978年に発表した『ビッグ・ウェンズデー』を思わせる。片岡義男さんは、撮影現場にいたのかもしれない。小説化された『ビッグ・ウェンズデー』の翻訳を1979年4月に発表している。

「アロハ・オエ」は、リリウオカラニ王女が作った美しい歌で、ハワイでは別れの場面で歌われる。
「アロハ・オエ」(1878年)
作詞作曲:リリウオカラニ王女
♪雨が誇らしげに崖を洗う
♪森の中に流れて
♪芽を探し求めて
♪高台のアーヒヒ・レフアの花に
♪さようなら、あなた、さようなら
♪木陰に住む魅力的な人よ
♪愛情あふれた抱擁、そして私は去る
♪私たちが再び会うときまで

なお、私の文章は、片岡義男さんの作品の抜粋であり、表現を補うために、ウェブ上に公開されているノースショアなどの写真を添えた。

『波乗りの島』として1冊にまとめられた片岡義男さんの5つの短編小説の全文は、下記のウェブサイトで公開されている。
青空文庫

片岡義男.com全著作電子化計画

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