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外銀辞めたら人生で初めて自分のことを誇りに思えた話。

え?もう辞めたの?と15回くらいは聞かれて説明するのも面倒だし(笑)、この経験が一ミリでも誰かの役に立ったら良いなーと思って、書くことにしました。

長くなりそうなので初めに言いたいことだけ言っておきます。いや、サバンナ八木さんくらいのノリで私はあなたの心の奥に叫んでいます!

”自分の声、聞こえてますか?” ”自分のこと、大切にしてますか?”
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経緯(雑めver.)

卒業して、外銀フロントで2ヶ月働いて、3ヶ月目に辞めました。人生は短いので、自分を大切に生きます。

経緯(詳し目ver.)

ニュースをチェックし、窓を開け、ニュースを見て、朝ごはん食べて、好きなpodcastを聴きながらメイクして、歩いて出社。帰宅して夜ご飯作り、勉強し、お風呂入って掃除して寝る。

できないことだらけだし、なんの役にも立ってないし、頭パンクしそうな平日と、美味しいものをたらふく食べてリラックスできる休日でどんどん時間は経って、すぐ年末来ちゃうんだろうな〜なんて思いながら過ごしていました。

徐々に異変を感じ始める

ワクチンを打ってしばらくしたあたりから、急激に体に異変が起き始めた。なお因果関係は不明、多分関係ない。

・爪囲炎、口内炎が頻発する。偏頭痛が酷くて毎日数時間おきにイブを飲むようになる。
・常に目眩とのぼせがしてクラッとする。1日働くと海で1日泳いだような疲れで生きるのが辛い。
・寝るのは遅くなるのに、どんどん早く起きてしまうようになる。起きても、寝てる間もしや泳いでた?みたいな疲れが出る。
・着替える時ちょっと体に痣が多いと感じる。

大学病院は平日はやってないため直ぐお休みもらうのは印象が悪いなぁという躊躇いと、10年以上担当していた主治医が急に病院辞めてコロナ禍での初診受付なし→診察受けられなくなったため、放置していました。心配だったけどすぐ弱音を吐いたらダサすぎなので、ドアを開けた瞬間からニコニコ元気にしてました

そしたら、ある日痣だらけになった

「腕がかいーなー」と思ってぽりぽり掻いたところ両腕が全て、全範囲内出血していることに気がついた。え?と思って、全裸で鏡の前に経ってみたら、自分がすごいアザだらけ!!(もうちょい先に気づけよ自分!!!笑)。気づけば、日に日に鼻血が出る頻度も高くなっていました(何かを深追いしたとかじゃないよ。)

嫌な予感がとってもしたので、ついに放置をやめ、祝日振替の消化で会社もお休みして大学病院に行った。案の定、ずーーと安定してた持病の数値が悪化してた。お医者様から

①上下トレンドが分からないので経過観察(通院頻度を少し上げよう)
②もう少し下がったらまた精密検査しよう
③妊娠はスーパーハイリスク&色々大変だから早めにその辺言ってね

とかそんな感じのお話があった。(とにかくずっと安定していて、前の先生とはリノちゃん大きくなったね〜!ほぼ寛解だよ!と笑って話していたので①で既にダメージが大きくて、②以降はちょっとちゃんと聞いてなかった。多分こんなことを言っていたような)。その場では明るく「ほー!!」とか「まだ結婚も当分ないです〜!」と言っていたけど、帰り道は鉛が体に入ったように色々なものが心にズシンと来て、マスクの下でちょっと泣きながらとトボトボ家まで歩いて帰りました。笑

体調が悪いことを周囲の人に言えばきっと心配をかけるし、皆大変な中こんな暗いことを話したら反応に困っちゃうな、と誰にも言えず、自分の日記にだけ、毎日怖くて、不安で、自分が壊れないか心配で心配でたまらない気持ちを書いて過ごしていました。

「大変だけど、勉強することたくさんで楽しいよ!」と周囲に言いながら、内心もやもしていました。他のことをして忘れても、ふとした時に痣が目に入るとシュン…ってなっちゃう弱い自分と戦う毎日。

「私の人生、これでいいの?」
「私って、何がしたいんだ?」
「私、なんのために海外大学行ったの?」

日々違和感が蓄積されていきました。

コロナ禍 x 就職

この会社を選んだのは、働いている方々が本当に素敵だったから。私は長期リモートインターン→採用だったのだけれど、インターンをしながら、一人一人違う武器を持って働く皆さんがアベンジャーズのように見えました(アベンジャーズ見たことないけど。笑)

ただ、私が思考停止をして就活をしていたのも事実で、元から負けず嫌いだからオファーが欲しすぎた笑&もう2度とボスキャリに行きたくない&コロナ禍で就活もしたくないという気持ちが先行して、私がなりたい姿と、その姿になるために得たい経験を言語化できていませんでした。

働き始めて、労働量や業務内容は想像とは合致しているものの、私が思い描く将来像とは乖離がありました。条件・お給料・ネームバリューも最高だけど、「我は!全身痣だらけでも!働きたい!ウォー!」とは思わなかった。伝わる?笑

なんとなくあった違和感がたまたま体の不調として現れ、それが私の場合数値として出たことでプチンと糸が切れた、そんな感覚でした。なんとか自分の中で落ち込んだモチベーションを引っ張り上げ、まだ起きていないことを案じても仕方ない、起きてから心配すれば良い、大丈夫大丈夫!と1週間懸命に仕事に励んだものの、気力だけの頑張りは長くは続きませんでした。

期待に応えたい。せっかく手に入れたこの良いポジションを手放したくない。久しぶりに新卒入れたばかりなのに申し訳ない。面白い人ばっかりの同期や知り合いを増やしたい。お金だって魅力的。とにかく、自分の弱さが心から情けなくて、ダサくて、カーテンも開けられずに、ただずっと泣いてました。でもよく考えてみる、と私が残りたい理由は全部他人の軸でした。

私って人生で何したかったんだっけ?

産業医の方とお話しし、私の数値も低いし一旦体を休めようと1ヶ月お休みをいただきながら今後を考えることになりました。

家にいても悲しくぼーっとするだけなので、一人で京都旅行に行きました。いつも通りノープランで、適当に街を歩き回りながら、天龍寺というとっても素敵な寺に辿り着きました。SoE中にすみません…と思いながら一人で寺に入り、私とおじさんしかいないお寺の中、畳の座るスペースで1時間弱、ただただ美しい庭園を眺めてました。

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綺麗な景色を見て美味しいものを食べながら、その時ふと、今自分が死んだら、自分に正直に生きなかったことを心から後悔するな、と思いました。

夢見る少女みたいなこと言うなよって思われるかもしれないけれど、私は、自分が一生懸命生きた証が欲しいと本気で思っています。それが例えば誰かの心を1ミリでも押せた、みたいな形に残らないものだとしても。

ついに決断する私。

チャリンコ大冒険

私は小学4年(9歳)の時に免疫系の難病と診断されました。ぶっちゃけ今もこれは何なのか、色々よく分かってません笑。小4&中2年の時危険なレベルに悪化して入院。高校〜大学は、驚くほど元気でもしかして〜これ寛解ジャ〜ン?!と思っているくらいでした。

中学2年生の一番多感な時期、この病気が悪化し入院と自宅待機で半年くらい学校に行けないことがありました。使用する薬の副作用で顔がお月様のようにまんまるくなったり、一生懸命筋トレした体(当時ゴリゴリのチアリーディング部に所属)が骨と皮みたいになって、部活も勉強も全部みんなから遅れてしまうのが悔しくて。なんで今?何で私?まじなんやねん?と思っていたけれど、

その経験は私にとって人生で一番学びがのあるもので、一番大事なことを教えてくれた時間でもありました。↓当時の日記から。

(中二の私、松岡修造くらい熱いw)

人生は一度きりで、人生は有限。
当たり前の日常なんて存在しない。
常に今あるものに感謝し、やりたいことは「今」挑戦する

あの時があったから、あの時誰にも知られず苦しみ、もがいて、本気で努力したから、今の私がいます。だからこそ(無ければない方がいいけれど) 私はこの病気を、いつもギフトだと捉えています。

違和感を持って辛さを我慢して働く。違和感を持ってるけど他に選択肢がないと思い込んで病気になるまで働く。最悪そのまま人生を終えていく。そういう人が沢山いるのが当たり前の世の中。自分の声を無視して、自分のヘルプサインを無視して、限界まで自分の声を無視し続ける。そういう世の中を私は本気で変えたいです。

私は、それに気づくためのプレゼントを貰った人間。だけど多分ほとんどの人は(幸運なことに)それがありません。自分が30歳になるまであと6年。何人の人の役に立てるか?二つの道、外銀に残る道と、私が自分を大切に、私らしく生きることを選択した道。どっちでさらに多くの人に影響を与えられるか?与えたいか?

私にとって、その答えは悩む必要のない簡単な質問で、夜中に鼻血が急に出たあの夜、ティッシュを鼻に突っ込んで天井を見ながら私は決めました。もう辞めよう。頑張るのは大好きだけれど、何を頑張るかはちゃんと自分の声を聞いて決めよう。私は、私らしく輝けばいいのだから。

私は、誰がなんと言おうが、自分を大切にする。そしてこれからは、自分を大切にする人として生き、決断する。

次の日会社の書類にサインし、郵送しました。

(今でも私の選択を尊重し、涙が出るほど暖かい応援の言葉をくださって送り出してくださった前の職場の方々には心から感謝しています。また頑張って、一番先にお礼を言いたいです。いつまで経っても、私の目標とする方々です。何なら元上司がくれたフロスをお守りとして持ち歩いていますw)

今のわたし。

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今週病院で諸々検査があり、1ヶ月くらいで結果も見れるので、「神様からの休日」と思って、自分と向き合いながら今の時間を楽しんでいます。今時間あるからいつかやろうと思ってた検査しただけだし、めっさめさめさ鬼元気です!なんなら前より元気です…(小声)

辞める決断をしてから、本当に本当にたくさんの人が、手を差し伸べてくださいました。今これを書いてるだけでなんか泣きそうです。泣いてます。心の底から、本当にありがとうございます。

「自分」を大切にする=
どう見られているかを意識することではなく
どう素直に自分らしい道を歩めるか、ということ

今まで、ずっと走り続けてきた。でも、それは自分自身から来るドライブではなくて他人と比較して、自分は能力が低く、見た目に魅力がなく、足りない人間で、何かを成し遂げても全部実力ではなくて運が良かっただけだと思い込み、「それが他人に知られたらどうしよう?」「いつか実力が伴ってないことがバレてしまうのではないか?」という焦りから来るものでした。この部分が変わらなかったから、今までどこまで努力しても、何かを達成してもずっと満足できませんでした。

私は今、無職だけど、人生で初めて「今のありのままの自分」のことを誇りに思っています。自分で、自分の人生を切り開くことを決めたからです。頭では健康第一だと分かっていながら、私はボロ雑巾・痣だらけになるまで、自分の気持ちを向き合うことができなかった。

でもだからこそ、声を大にして、サバンナ八木スタイルで言わせてください。本当に辛い時は、休んだっていいんです。無視できない、無視してはいけないレベルの違和感を感じたら、一回立ち止まったっていいんです。誰かが貴方になって欲しい姿ではなく、自分のなりたい姿・ありたい姿を追求していいんです。

だってそれが人生の醍醐味だから。

貴方に大切な誰かがいるとして、その人に一番願うことはなんでしょうか?成功?お金?社会的地位?多分違うと思います。一番願うのは何よりも、「心身ともに健康に、貴方らしくいること。」だと思うのです。
私はとっても不器用で、弱い人間です。でも私は、誰のものでもない私の人生を、自分の手で切り開いて生きている自分を、人生で初めて、心から誇りに思っています。これから、何が起きるか、何をするかノープランだけど私はとっても幸せです。今。

せっかくこの世に生まれてきたので、胸張って、超エキサイティングな人生を生きたい🐛🦋✨私のことを助けてくれた人々のように、いつか誰かを助けられる強い人になりたい。選んだ道を正解にする、それだけです。

大好きな富士山❤︎

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