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歴史が語る痛みに敏感になろう!『リアル・ペイン 心の旅』【映画感想】
あらすじ
ニューヨークに住むユダヤ人のデヴィッドと、兄弟のように育った従兄弟ベンジー。現在は疎遠になっている2人は、亡くなった最愛の祖母の遺言によって数年ぶりに再会し、ポーランドのツアー旅行に参加することに。正反対な性格のデヴィッドとベンジーは時に騒動を起こしながらも、同じツアーに参加した個性的な人たちとの交流や、家族のルーツであるポーランドの地を巡るなかで、40代を迎えた自身の生きづらさに向きあう力を見いだしていく。
レビュー
TBSラジオ『アフター6ジャンクション2』の人気コーナー【週間映画時評 ムービーウォッチメン】課題映画になったので感想メールを送りました。このレビューはそのメールの全文です。
1:もしかすると今年ベストかも・・・
『リアル・ペイン 心の旅』見てきました。傑作でした。
演出と撮影が素晴らしく、「土地」の持つ歴史の重みが映像から香り立ってくる逸品でした。
スピリチュアルに興味のない私ですが、「土地」がもつ霊魂のようなものを観客に浸透させることに成功している映画だと思います。例えば広島に旅行に行ったとき、ふと目に入った原爆ドームを見て厳かな気持ちになるような。沖縄に行ってガマに入ったとき、その異様な静謐さに身震いしてしまうような。そんな感覚です。
2:名シーンがありすぎるのだが・・・
この映画の核は、当然ながらベンジーという複雑な内面を持ちながら強烈なカリスマ性を持った人物と、そんな人物に対し愛憎入り混じる複雑な感情を抱く従兄弟・デヴィッドの関係性にあると思います。ディナーのシーンで、デヴィッドが吐露するベンジーへの想いは間違いなく本作の白眉です。
しかし本作で私が一番グッと来たのは、その土地の持つ栄枯盛衰の歴史を俳優の演技と演出によって観客に体感させてくれたことです。その象徴はマイダネク強制収容所でのシーンです。ただただ俳優たちの顔をとらえているシーンですが、そこで起きた人類史上最悪の惨劇が寒々と伝わってくる名シーンだったと思います。
3:痛みを学ばない者に明日はない
「負の遺産」は世界各所にあり、加害者側も被害者側もそれに直面するのは「痛み」が伴います。そうした歴史の「痛み」を学ばないことには、現在進行形の「痛み」を理解することができず、未来には進めないとこの映画は語っている気がします。
「ユダヤ人ってホロコーストで酷い目にあったんですよ」という印象だけを持たせないような工夫が本作にはされていると思います。明確にそのようなメッセージが示される映画ではなかったと思いますが、この映画を見て、いまイスラエルがパレスチナ・ガザ地区におこなっているジェノサイドを正当化する人はいないと思います。
やはりその視点からも、とにかく素晴らしいのはベンジー役のキーラン・カルキンでしょう。イギリス人ガイドに対して「知識」とかいいから、いまこの瞬間に「痛み」を感じましょうと提案する姿勢。ぜひ彼にはアカデミー賞でしっかりと評価されてほしいと思います。
ジェシー・アイゼンバーグは俳優としても素晴らしいですが、監督としてもこれは本物だと思いました。前作『僕らの世界が交わるまで』は未見なのですがきっと素晴らしい映画だと思うので、ぜひぜひウォッチしたいと思っています!
あとがき
今週も「ちゃんと課題映画を見ましたよ」という意思表示のための感想メールになりました。なんせこれを送信したときには番組始まってましたから。採用されたいという感情はまったくありませんでしたね。
ベンジーというキャラクターをどうとらえるか、そこが分かれ目というのはちょっと意外な意見でした。私は彼を終始好意的に見ていたので。
言われてみると確かに「ツアーの主旨を理解していない、羽目を外してハッパを吸いたい、歴史を学ぼうとしない薄っぺらいアメリカ人観光客」という視点で彼を見ているとこの映画全体の印象が変わるかもしれませんね。
SNSであったり、知人の「見たよー」という感想を聞いたりしていると、デヴィッドとベンジーの関係が良かった!とか、ベンジーの「痛み」に感動したとか、そんな声が多い印象を受けました。確かにこの映画は彼を起点に円環構造になっていますし、そういった感想を否定をしたいわけではまったくありません。
ただ私はメールでも主張したとおり、「歴史を学ぶとはなんだ」ということを問うている映画だと思っており、そこを高く評価しています。
メールでは原爆ドームと沖縄のガマを取り上げましたが、それ以外の例では、約1年半前に広島の呉に旅行に行ったときには『この世界の片隅に』が頭をよぎってしんみりした気持ちになりました。約80年前の戦時中の人々はどんな気持ちでこの海を眺めていたのだろうか、と。
ユダヤ人やユダヤにルーツをもつ全ての人がそうではないとわかっている上で書きますが、この映画を見て「ホロコーストの被害者だから何をやってもいいんだ」って考えている人がもしいらっしゃるならそれは間違っているとハッキリと言いたい。「痛み」がわかるなら同じ痛みを他者に与えてはいけないでしょ。日本人にとっての原爆・沖縄地上戦と同じです。
絶対にアホでしかない米国大統領の「ガザを所有する」発言はアホの極みでしかない。歴史を辿っていけば絶対にそんな発想に至らないんですよ。百歩譲ってそんな発想に至ったとしても言葉遣いには神経を使うはず。詳しくは名著『ガザとは何か』を読もう。
映画本編とは直接関係のない話が続きましたが、この映画はそういう思考を促す作用があると思うんですね。というか、映画というメディアはそういうものであってほしいですね。
想像力を刺激する。その刺激は痛みを伴うかもしれない。
でもその想像力を働かせるクセをつけておかないと、この社会をサバイブできないと思うんです。そして『インサイド・ヘッド』ではないですが、ヨロコビばかりではなくカナシミも多い人生ですので、「痛み」を刺激する映画もたまには見たほうが絶対にいいと思いますよ(謎に上から目線)。とにかく「歴史」、とりわけ「負の遺産」こそ武器や防具になるはずです。
他者への共感って、そういうところから生まれるものじゃないですか?
ベンジーに対して独自目線でツッコミを入れる宇多丸さん評はこちら。