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『HOW TO HAVE SEX』を見て「Only yes means yes」について考えてみよう【映画感想】

『HOW TO HAVE SEX』を見た。

タラ(ミア・マッケンナ=ブルース)は親友のスカイ(ララ・ピーク)とエム(エンヴァ・ルイス)と3人でギリシャのクレタ島へとバカンスに行く。3人はこの休暇でハメを外す気マンマンである。3人の中で唯一のバージンであるタラは「初体験」を旅の目標にしている。たまたまホテルで隣の部屋になった男子グループとつるみながら、毎日昼から酒に溺れて踊り狂うのだが・・・。

※ここから先、ネタバレも含みますので事前情報なく見たい方などはご注意ください。また作品の性質上「性加害」について触れています。トラウマなどを喚起する心配のある方は閲覧を控えることをおすすめします。


数多のセックスコメディとは全然違うぞ!


「いかにして初体験を済ませるか」というティーン映画でいえば、グレッグ・モットーラ監督の『スーパーバッド』、近作だとエマ・セリグマン監督の『ボトムス 最底で最強?な私たち』などが挙げられる。しかしどれとも異なる視点がこの『HOW TO HAVE SEX』にはある。

それは「不本意な性体験を打ち明けることの重要性」である。

童貞・処女が負け組のようなこの社会・・・


多くの人が成長の過程で「ローティーンの恋愛」と「ハイティーンの恋愛」の違いを明確に意識しはじめると思う。それはズバリ、セックスの有無だと思う。性体験の有無が学生生活において勝ち負けを決めていて、成績が悪かろうが容姿がへっぽこであろうが、「非童貞は勝ち組」「童貞は負け組」という空気感の中で生きてきた経験が私にもある。ヘテロ男性である私は、〇〇歳まで童貞だとおかしいとか惨めって思われるんじゃないかと怖かったことがある。

(※たとえば「18歳童貞」と「18 歳処女」がこの社会において同じ扱いをされてはいない、という現実はあると思うがそれは一旦置いておこう)

無論、様々な性的指向が広く知られる世の中になり、例えば「恋愛感情を同性にも異性にも抱かない人」について日本映画『そばかす』を代表に描かれる機会が増えている。とはいえ、やたらと周囲が恋愛やセックスについて騒ぐから「恋愛もセックスも興味がない自分は異常なのかもしれない」と悩むのであって、性体験をしたい人も興味もない人も「セックス」の強迫観念から逃れられない社会になっている。

「性的同意」についていま一度考えてみよう


さて、本作では3人が親友同士としてつるんでいるが、タラは親友2人が離れていくことに恐怖を感じていることが示唆されている。その親友2人は「この旅で何人とヤれるか勝負しよう」などとバージンのタラにしてみればかなりセンシティブな言動を繰り返す。性的体験で遅れをとっているタラにはかなりつらい。

恋愛のステップ、日本っぽくいうと「まずはお友達から」の段階をすっとばして肉体関係を結ぼうとするタラは「本当にこれでいいのか」「自分は本当にこれを望んでいるのか」をひたすら悩んでいるように思える。そしてそれを酒でなんとかごまかしている。ある程度人生経験を積んだ大人から見ると彼女の葛藤は痛々しくて見ていられない。

タラは劇中2回セックスをすることになる。好感を抱いていたバジャー(ショーン・トーマス)ではなく、どうみてもヤリチンでクソ野郎のパディ(サミュエル・ボトムリー)と経験する。

異論はあると思うがここでは1回目については「性的同意」があったと私は解釈している。少なくとも演出としては「性的同意があった」ように見せていると思う。

しかし2回目は間違いなく性的同意のないレイプだ。初体験を済ませたことをとりあえず自慢げに親友に語って見せたタラも2回目の「性暴力」にはショックを隠せないでいた。

最近、日本でも「性的同意」というワードがかなり議論されるようになった気がする。私が本作の最も注目すべき点はこの「性的同意」についてだと思う。本作は性的同意のないセックスは絶対NGという大前提のもとに、さらに踏み込んでみて「では性的同意があればすべてOKなのか」という問いを投げかけていると思う。

「No means no」 ⇒「Only yes means yes」


ビーチでの初体験が「性的同意があった」ように見せている(※そう解釈出来る余地もあるようにしているということであって、あの描写を「レイプ」だと見る人もいるだろうしそれは否定しません)
が、タラは最後にはあれは「不本意な初体験だった」と回想することになる。

「No means no」 という言葉があるがそれはもはや古いらしく、いまは「Only yes means yes」が持つべきアティチュードのようである。

あのビーチの場面、ひたすら「No」と言っていたタラがなし崩し的に「Yes」に転じてしまったことが本作最大の悲劇だと思う。つまりタラにとってあの初体験は「積極的なYes」ではなかったのだ。それが自分の意思ではなく友情とのジレンマの中で生じたのだと思うと、それなりに人生経験を積んだ身からすると辛いものがある。

パディの「有害な男らしさ」やバジャーの「男は男の失態に甘い」とか、男性側の問題も指摘しつつ、本作最大のメッセージは不本意な性体験で傷ついてしまったことを内面化してしまうことがなによりも怖いことだということではないだろうか。

惨めでもオープンになればきっと傷は癒える


ラストシーン、エムだけがタラの異変に気がつき、タラの経験したことを知る。私は男社会で生きており、セックスにまつわる情けないエピソードトークを男同士だと割と話すことがあるのを知っているが、女性同士はどうなんだろうか。

男女問わず、男女でもない人も含め、自分の性は自分でコントロールすること、苦い経験をシェアすることにオープンになることで、きっと傷は癒える。完治とまではいかなくとも少しは回復に向かうのではないだろうか。そう予感させてくれるラストはとても良かったと思う。

ただ、私の趣味としてはパディとバジャーが調子に乗って沖に泳ぎに行ってサメとかピラニアに喰われて悲惨なことになるタイプの映画のほうが大好きですけどね!!!!!!!!!!!!!!!

https://culture-pub.jp/hths_movie/


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