地獄でなぜ悪い?あなたの声も100年先の誰かに届くはず|『虎に翼』を見て考えたこと
これは星野源が2013年に発表した『地獄でなぜ悪い』の歌詞である。私は当時からこの曲が好きだ。『化物』『不思議』なども好きだが「星野源の好きな曲は?」と聞かれたらとりあえずトップ10に必ず入れる曲だ。
『地獄でなぜ悪い』は同名の映画主題歌として書き下ろしされた。歌詞は映画の内容に沿っているが、星野源がくも膜下出血による入院生活のなかで味わった「地獄」や、クリエイターとして楽曲を発表し続けることの「地獄」を踏まえながら書いているのは明らかである。
・・・はて?地獄とはなんだ。
取り急ぎ、社会人になってから日本が地獄なのはよくわかった。支離滅裂なロジックで関東大震災でのジェノサイドに追悼文を出す気がない都知事とか、そういう分野も含めて地獄のような社会に私は生きていると気がついてしまった。
現在30歳の私が生きてきた時代は全部「失われた30年」らしい。生まれた日から詰んでいるんだ。じぇじぇじぇ!
ちなみに浜田省吾は1986 年の時すでに『J.BOY』で日本を「頼りなく豊かな国」と歌っていた。・・・なるほど。
しかしそんな " J.地獄 ” を生きる私に勇気をくれたドラマがある。
連続テレビ小説・通称朝ドラの『虎に翼』だ。
『マッサン』『まれ』『あさが来た』を最後に、朝ドラをしっかり見ることはなくなっていたが、これはかなり話題になっていたのでしっかり見た。
結論から言って『虎に翼』は大傑作だった。
熱心な朝ドラウォッチャーがどう思うか知らねえけれど、ドラマ史に確実に残り、そして語り継がれる作品だった。というか語り継ぐ使命が視聴者にはある。最終回を迎えた今、このドラマを通じて考えたことを100年先の誰かのために書きたいと思う。
『虎に翼』は「はて連帯」の物語
私がこのドラマで最も感動したのは「はて連帯」の尊さである。
主人公の猪爪寅子/佐田寅子(伊藤沙莉)は「女が法律を学ぶこと」「女が家庭に入らず仕事をすること」「夫婦同姓のこと」などに「はて?」と立ち止まり、抗議の声をあげる。
多くの場合、当時の「社会通念」に反しているので「何を言っているんだ」と一旦突き返される。しかし 「社会通念」に主人公パワーでへこたれずに闘い、周囲にポジティブな影響を与える。基本はその繰り返し。
ちなみに主人公の行動がすべて上手くいったわけではない。挫折もするし、失敗もするし、キャパオーバーになってダウンすることもある。キツイ言葉選びをしたり、酒を飲んでまぎらわしたり、あまり正しいとは言い難い手段を選ぶこともある。そういった面も描いているフェアなドラマでもある。
さて「はて連帯」とはなにか?
このドラマでは世の中の理不尽に対して主人公だけが「はて?」と考えていたわけではなく、「はて?」を抱く人は身近にたくさんいることを描いている。そして人々がその「はて?」を起点に連帯していく様にこのドラマの痛快さがある。主人公は実のところ最初に「はて?」と声をあげたに過ぎないのだ。
さらにその「はて連帯」は時空や人の輪を軽々と超えてつながりあうぞとこのドラマは示している。誰かの「はて?」は脈々と受け継がれ、仲間を呼び寄せ「はて連帯」となり、長い時間をかけてようやく世の中を変える。
終盤で最大の見所となるのは、実在する事件をモデルにした裁判である。ドラマの演出上、まるで最高裁長官が歴史にその名を残す「異例の判決」をしたかに見える。しかしこれはかつて最高裁長官の師匠が「はて?」と声を上げたが「社会通念」に負けたことに対するリベンジでもあった。
師匠の「はて?」を受け継いだ弟子が問い直す。すでに他界したはずの師匠や弟子仲間も「はて連帯」し、ひとつの結論を導く。彼ひとりが下した「異例の判決」ではないのだ。
そしてこの最高裁長官を取り巻く「はて連帯」の中には、主人公・寅子よりも最高裁長官との関係性が薄い人物も含まれていた。
そもそもこの裁判は、被告人の事情を汲み取った弁護士が司法に「はて?」と声を上げたところから始まった。ちなみにこの人物は法廷で「クソ」を連発するなど弁護士ならやめたほうがいい言動ばかりする人である。疑問として「はて?」を抱くより先に「怒り」で燃えている人である。
少し属性は違うかもしれないが、ただこの裁判においてはその弁護士も最高裁長官と同じ「はて連帯」の中にいたのだ。雨垂れ石を穿つ。終盤で最も心を揺さぶられた展開だった。
ちなみにこのドラマは後半にかけて「幽霊」演出がやたら増えるのだが、私は「はて連帯」には「幽霊」も加わることができる、というメッセージだと受け取っている。
女の地獄はなぜか世襲制だ
このドラマでは必然的に主人公・寅子にばかり目がいくが、脇役とされる人物たちもそれぞれの「はて?」を抱き、その「はて?」を嘲笑する「社会通念」との闘いと連帯が描かれる。
ただしこのドラマにおいて「はて?」と立ち止まり声を上げるのは多くの場合が女性であり、「バカを言うな」と壁になるのは男性である。
あの敗戦をきっかけに新たな憲法ができたのに、女の地獄はまだまだ続くと描いているあたりはヘテロシス男性として見ていて胸が痛かった。
ざっくり「母・主人公・娘」それぞれの世代における「女の地獄」を提示していた『虎に翼』だが、私は小説版『82年生まれ、キム・ジヨン』を連想した。映画版ではオミットされていたが、原作のキム・ジヨンは世代が変わっても地獄が終わらないことをファクトベースで示してくるのがキモだと思っている。映画版もいい作品だと思うが、未読の方は原作小説もぜひ。
遥か彼方から投げつけられる「はて?」
そもそも「社会通念」とはなんだろうか。私が小学生の頃は「男は黒・女は赤」が当たり前だったが、私が中学生くらいの頃には「女の子が黒いランドセルを背負ってもいいじゃん」みたいな空気があった気がする。
そして現在は「男の子」「女の子」も一旦立ち止まって考えるのがスタンダードだし(だよね?)、ランドセル不要論さえ出ている。やたら重いもんね、ランドセル。
正直、そういった変化に戸惑いがないといえば嘘になる。私は独身だが、仮に将来「男の子」が生まれたとして、その息子が「ラメ入りピンクのランドセルが欲しい」と言ってきたら、ちょっと考えてしまう気がする。
頭では理解していても、どれだけジェンダーやフェミニズムを勉強しても、結局かつて染みついた「社会通念」が「こんにちは!ご無沙汰しております!」と顔を出すのではないかと常に恐れている。
しかしランドセルの色に限らず、誰かが「はて?男だからとか女だからとか関係ないのでは?」と声を挙げたことで世界は常に良い方向に変わってきた。
あくまでも「誰か」だ。歴史に名を残すことのない「誰か」が遥か彼方から投げつけた「はて?」で世の中は変わっている。「保育園落ちた日本死ね!!!」もその一つと言っていいだろう。
遥か彼方からやってきた「はて?」をスルーするのは簡単だが、その声の主と同じように、自分のことのように置き換えて考えてみることは大事だ。
このドラマの特に序盤では、主人公・寅子が啖呵を切り始めると第三者が「わきまえろ」と声を塞ごうとするが、聞き手は「いや、続けて」と言ってとりあえず最後まで話を聞こうとする。「はて?」を投げかける人は大抵立ち場をわきまえていないが、その声にこそ耳を傾けることで変化する「社会通念」に歩み寄れる気がする。私も明日から実践しようと思う。森喜朗に届け、この想い。
さて私が言える「はて?」はなんだろう
私はどこにでもいるサラリーマンとして仕事をしている。何度かこのnoteで触れてきたがアルコール飲料を製造する仕事だ。「若者のビール離れ」どころか最近は「若者のアルコール離れ」が話題になっている中ではあるが、それでも私は毎日「お酒をつくること」と真剣勝負をしている。
そこに絶対の信念があり「お酒文化」を残さねばならないという使命を感じている。コスト削減のために品質を下げるなんてことを私は許さない。それは「お酒文化」を残すためには悪でしかない。
例えばウイスキーという酒がある。ウイスキー最大の特徴は「熟成」である。例えば「〇〇12年」という商品があるとすると、それは最低でも12年以上熟成されたことを意味している。
12年以上前の誰かが「品質よりコストを優先」した結果、痛い目をみるのは12年後の誰かである。逆にいえば現状に対して「はて?」と立ち止まり「コストよりも絶対に品質を守るべき」と声をあげた時、そのときは風当たりが強いかもしれないが12年後の未来にはつながる。
余談だが、もしこのあたりに興味がある方は「ジョニーウォーカー黒ラベル」を流通年代ごとに飲み比べてみてもいいかもしれない。同じ12年モノでも流通している年代で味が異なるので面白い。
いま流通しているものは単純計算で2010年ごろの思想で作られたウイスキーが12年以上熟成した結果である。いまジョニ黒のメーカーが何を考えているかは知らんが、もし2024年に誤った舵取りをすると2036年以降に大変なことになる。ウイスキーはそういう酒だ。
話をもとに戻すが、経営者と労働者は「いい緊張関係」を維持する必要があるのはわかっている。さすがにコスト度外視の結果、リストラや倒産になるのは困っちゃうので「経営」が大事なのはわかる。ただ先述したとおり私の責務は「お酒文化を守る」ことであり、それは「品質を守る」ことだと信じている。
だから「数字で仕事をする人々」が品質を無視した提案をした時は「はて?」と声をあげなければならない。それが私たった一人だとしても。
『虎に翼』はたった一人だとしても、小さな声だとしても、「はて?」と声をあげることは決して無駄にならないと教えてくれた。
声をあげればどこかから同じ地獄で「はて?」と悩む仲間が歩み寄ってくる。歴史に名を残すことなく、100年先も憶えられてるかなんて知らねえけれど、いまこの時代に私が声をあげることで100年先にも「お酒文化」が残っていたらこんなに幸せなことはない。
同じ地獄でさよーならまたいつか!
私は仕事として「お酒文化」を100年先まで残したいと真剣に考えている。本当にただのサラリーマンなので末席の末席に過ぎないのだが、100年後の「お酒文化」の継承者に私の魂が届いたら嬉しい。受け取る側はありがた迷惑かも知らんけど。
でもきっと私が感じている地獄と似たような思いをするはずだ。私が現世から「さよーなら」しても魂は通じあうかもしれない。だったら気持ちよく「またいつか!」と逝ける気がする。唐突ですが、そんな意味でも米津玄師の主題歌は本当に最高としか言えませんよね。
なお、私が仕事や私生活で抱く「地獄」と世の女性たちが生きる「地獄」を同一視する気はさらさらない。ただし女性たちの「地獄」に共鳴し、「はて連帯」に加わることならできそうだ。同じ地獄のファイターになれそうな気がする。そんな男性キャラクターが『虎に翼』に出てくるのもありがたい。
自分の会社には「あの人が出世したのは女性だからだよね。女性初の○○が誕生した!みたいなアピールを会社がしたいだけだよねえ・・・」みたいなことを言うジジイが残念ながらいる。女性が躍進すると「下駄を履かせた」などと言われるが、生まれた日から「下駄を履かせていただいている」男性がその下駄を脱ぐのがまず先である。
そのジジイに「はて?」と言う勇気を残念ながら今の私は持っていない。でも『虎に翼』を見ておきながら黙っておくわけにはいかない。次にそんな場面に出くわしたたら「その人が優秀だからではないですか?」と言わなければならんのだ。
長々と何を書きたいんだとそろそろ思い始めてきたが、こうしてnoteに何かしら書き残すことも、いつか誰かに思わぬ形で影響を及ぼすかもしれない。そうやって開き直る勇気も抱けるようになった。ありがとう『虎に翼』。
死してなおも残るものを残そう。
死してなおも残る声をあげよう。
そんなに難しいことじゃないはず。
私はあなたと共に地獄と闘いたい。
同じ地獄で待っています。