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家父長制は「砂上の楼閣」だ!落とし穴に気をつけろ『聖なるイチジクの種』【映画感想】
あらすじ
家の中で消えた銃をめぐって家庭内に疑心暗鬼が広がっていく様子をスリリングに描いたサスペンススリラー。2024年・第77回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞し、第97回アカデミー賞では国際長編映画賞にノミネートされるなど高い評価を獲得した。
「悪は存在せず」などで国際的に高く評価されながらも母国イランでは自作映画で政府を批判したとして複数の有罪判決を受けたモハマド・ラスロフ監督が、2022年に1人の女性の不審死をきっかけに起きた抗議運動を背景に、実際の映像も盛り込みながら描きだす。
テヘランで妻や2人の娘と暮らすイマンは20年にわたる勤勉さと愛国心を評価され、念願だった予審判事に昇進する。しかし仕事の内容は、反政府デモ逮捕者に不当な刑罰を下すための国家の下働きだった。報復の危険があるため家族を守る護身用の銃が国から支給されるが、ある日、家庭内でその銃が消えてしまう。当初はイマンの不始末による紛失と思われたが、次第に妻ナジメ、長女レズワン、次女サナの3人に疑惑の目が向けられるように。捜索が進むにつれて家族でさえ知らなかったそれぞれの顔が浮かびあがり、事態は思わぬ方向へと狂いはじめる。
レビュー
TBSラジオ『アフター6ジャンクション2』の人気コーナー【週間映画時評 ムービーウォッチメン】課題映画になったので感想メールを送りました。このレビューはそのメールの全文です。
1:命がけの快作!
『聖なるイチジクの種』見てきました。
監督・キャスト・スタッフたちが文字通り命がけで製作した渾身の一本。イラン政府に対する挑発的な内容でありながら、決してイランだけの問題ではない、全世界に向けた現代的なメッセージが示されていました。それでいて意外なほどエンタメ性にも富んでおり、非常に見応えのある一本だったと思います。
2:これはイランだけの話?
誰を頼りにして自分たちの生活を守ればよいのか、つまり自国の政治や司法を本当に信頼してよいのかが揺らいでいる昨今。ここ日本でも「オールド・メディア」とSNSの対立構造が浮き彫りになる事例が見受けられるように、本作の主要女性キャストである母と姉妹がどの情報源を信じるべきかがわからず苦悩する姿は決して「イランの話」ではないと感じました。
家族の間で「父親」への信用が揺らぐことと、国家を司る組織への疑念を重ね合わせる語り口は見事でした。それを女性キャストの目線から見せる前半パートはとてもよいのですが、やはり本作最大の魅力はスリリングさがドライブしていく「拳銃の紛失」以降にあると思います。
父・イマンは「イラン国家」そのもののメタファーでしょう。彼は拳銃を紛失して以降、自分がこれまで積み上げてきたキャリアの崩壊を恐れ理性を失っていき、最も信頼していたはずの家族、つまり国民に対して疑心暗鬼になってしまいます。信頼すべき相手との問題を暴力的な方法で解決を試みる様は、政府への痛烈な批判であり、皮肉ともとれます。
しかし重要なのは、これが「イランの話」で終わらないところにあると思います。権力やマチズモの象徴たる「拳銃」を巡って追いかけっこをするクライマックスには、全世界に蔓延する家父長制や権威主義が「砂上の楼閣」であることを端的に示す「落とし穴」が用意されてあり、その巧みさに思わずうなりました。ある人物が砂の中に沈んでいくビジュアルに込められたアイロニーも非常に切れ味が鋭かったと思います。
3:まあカタいこと考えなくても面白い映画
個人的には「理性的に振る舞おうとするも焦りや苛立ちからマチズモが暴走して破滅する」という点で同じくイランの巨匠アスガー・ファルハディ監督の「セールスマン」を想起しましたが、本作はもっとわかりやすくエンタメ性を持っていた気がします。
最初に拳銃が無くなっていることがわかってからの「モノ探し」、クライマックスの「ヒト探し」で繰り広げられるカメラワークのさりげない超絶技巧は絶品でした。劇場パンフレットで矢田部さんも言及していましたが、「誰が銃を盗んだのか」を巡るサスペンス、女性に支配的な態度をとる男性など、カメラの技巧も含めヒッチコックの作品群なども連想しました。
監督やキャスト、スタッフの安全を祈るばかりですが、まず1本の映画として面白いので多くの人に届けられればよいなと思います。そういうことが、きっと監督たちや、イランで人権活動を行う人たちへのサポートになるのではないかと信じています。
あとがき
意外と「お父さん、かわいそう・・・」という感想もあったようですね。そりゃ正直いって私も独身とはいえ働く男性ですから「家族にいい暮らしをさせるために頑張ってきた父ちゃん」に同情はしていました。そういう気持ちに無理にフタをすることはないのかもしれませんねぇ。
宇多丸さんの評論を聴きましたが、寓話としての「種」と「弾丸」が理路整然と語られていて、まーホントに流石だなと思いました。アジアンドキュメンタリーズはガザのドキュメンタリーが無料公開されているのを見て以来活用していないのですが、今回の評論を聴いていると本当にすごく勉強になりそうで魅力的ですね。
しかしこれ以上サブスクを増やすのは経済的にチョット・・・というのも偽らざる気持ち!