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そうだったなぁ

今日、クライエントさんがいらしてくださり、
セッションをして思い出したこと。

人ができることができなかった。
勉強がわからなかった。(私の場合国語以外全部^^;)
これらは、
これらはこの10数年に消化してたこと。

それ以外に・・
思い出したのが、

親を含むのコンプレックスとか
感じる痛い所を敏感に察知していたこと。

強がっているけど、、
自分の中にある痛みがあるけど、、
それを必死で否定したり、
隠していること。

自分の傷に対して、
自分の満たされなさに対して、
自分の必死に守ってきたことに対して、

その傷や満たされない感覚に対して
癒やす・・ということができず、
他人に対しての攻撃(子供も含め)で
自分を正当化しようとしていたこと・・

結構ね、、
ほんと小さい時、
多分幼稚園くらいから

感づいていた
感じていた
わかっていた

私に対してとか
TVに出てくるニュースに対してとか

否定したり、
なんかわからないけど怒ってきたり。

その時の
たまらない、なんともいえない
歪んだ顔や声色(本人は全くそう思っていない)・・

奥にある
悲しみ、苦しみ。
それを覆ううんざりする我慢とか強さとか正義とか。

それらをすべて感じていて、
でも、
子供だったから、
この感覚をうまく表現できず、
ストレートに親に言ったり、
逆に怒らせたり嫌な思いの積み重ねになるから

何も言わない

という選択しかなくて。

よく言われてました。

あんたは何も言わない
あなたは何でも1人でやるよね

言わない、1人でやるのは

相手の「本音」に対して
面倒臭さや
きっと返ってくるだろう
偽善・傲慢・保守に対するいた痛さを感じたくなくて。

でもそれを理解できる人は
ほんとにいなかったから。

もっすごくしんどかったんですよ。
ずっと。

でも、
いなかったんじゃなくて、
私みたいな思いをしている人は
実はたくさん、沢山いて、
でも、

言語化できないし
わかってもらえない経験の積み重ねだったから、

自分は変なんだ
自分が悪いんだ

ってずぅ〜っと隠し通してきたから。

だからね。
ほんと、今の時代に
どう、自分の本当の姿に対して

自分が認めて
自分が受け入れて

表現することをゆるすか・・

って大事だと思うんですよね。

自分のことを理解できない人に
表現してしまいがち・・ですが、

感覚的に
あ・・このひと・・わかる・一緒♡
ってわかると思うんです。

その

あ・・このひと・・に対して

素直になれるかどうか?

それが楽になるための最初の第1歩なんですよね。

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