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できるのに肯定感低い

超感覚の方って、
実は、ものすごく“できる”んです。

何がって

勉強とか仕事とか。

手を挙げたにせよ、推薦されたにせよ、
学級委員とかリーダーとか
そんなポジションにいたりしてきた。
いなかったとしても、
周りがよく観えていて

どこか、
こうしたらこう、こうなるからこう・・

みたいな感覚が働くんです。

できちゃうことが当たり前でみんなも
こんな感覚あると思ってて、
逆にみんなができることができない・・
と思っている。

超感覚の方からよく聴く言葉が

「私、人より3倍頑張らないと・・」とか
「みんながやっていることが思いつかずできなくて・・」とか
「勉強ができない(頭わるい)」とか

できていることが当たり前だから、
自分が『できている』のに気づかない。

で、

私はだめ
私はできない

と"思い込み続けて"きている。
まるで催眠術のように

わたしはだめ〜
わたしはできない〜
わたしはばかだから〜

あなたは眠くなる〜、、みたいに(笑)

事実を観てみると、

人が褒めてくれたり
人に凄いねっていわれたり
カリスマ店長といわれたり
社長になってたり
何かわからないけど
仕事任せられていたり。

しているのにも関わらず、

自己肯定感が低い、、

これはですね、思うに

本当は
人より観えてる
人より分かってる
人が観えていない事まで観えてる
(目に見えないものという意味でなく、
こうすればいいと分かってるという観えてる)

何故なら、

今ここに常にいて、
今ここで何をすればいいかを考え行動して、
結果それが未来に繋がってて

できる

でも、自分の周りの人達は

過去に縛られ
未来に囚われて

あれこれ考えすぎて

恐れの根っこに引っ張られ
不安の種を撒き散らし。

これがいい、悪いでなく、

恐れや不安に過剰になりすぎて
今ここの自分の安全とか
今ここの自分の楽しさとか
感じる事なく
色々考えて行動しちゃう。

失敗も少ない代わりに
体験も少ないから
想像力が乏しくなって
相手を思いやるとか
共に歩んでいくとかよりも

自分を護るのに必死になっちゃう。

社会的ルールとか
世間体とか
皆んなと同じとか

それに沿って歩んでいく。

護る為に“鈍感”によりなって。

この学校、
この仕事、
この人との結婚、
子供は
老後は、、

これはこれでいい。
自分の安心、安全を求めてるんだから。

でも実は超感覚の人はこれが苦手(^^;
今ここが大事だからね。


でも、
周りがそうで
周りがそれを求めるから

自分はダメ


と、
ずっと感じ続け生きてきている。

いやいやいやいや。
それ、
思い違いですから!

と、何人の方々に言ってきたか。
(まぁ、私もこれに気づいたのはここ最近だけど)

それでも、
今までの傷が深すぎて
催眠術をかけてきたのが長すぎて
すぐ、
他人から何か言われたり
自分には違和感あるけど
みんながそう思ってる、やってる事を
見聞きしちゃうと

すぐ、すぐ、すぐに!

私はダメ

に、すっっっと入ってしまう。

しゃーない。それは。
無意識にしてるから。

でも、でももし、
これを読んで何か響いてくれたなら

あ!また催眠術師○○が出てきた!

(○○は自分の名前でも他人の名前でも勝手につけた名前でもいいから入れてみる)

って言って

あぶないあぶない。
また、沼に入るところやった(//∇//)

と気づいて考えるのをストップする。

これを意識的にやっていく。

逆催眠ができるなら

私はわたしでいい
とか
私は安全
とか
私は何とかできる
とか

自分が、自分を労う言葉を
繰り返し繰り返し言う。


それだけでも、
変化出てきます。


もし、変化できない、、
と感じているなら
誰かに助けてもらうといい。

誰に?

自分の感覚で

この人は感覚的に心地よい!

と感じる人に。

ブログを書いてる誰かでもいい
身近にいる人でもいい

誰かが世間がいいという人でなく

“私が”いいと感じる人に、、

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