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「大和」と書いてなぜヤマトと呼ばれるの?〜邪馬台国と大和〜

久しぶりに「ぼーっと古代史」を載せます。
「大和」と書いて、なぜヤマトと呼ばれるようになったのか?
呼び慣れちゃってるから、不思議に思った人は少ないかもしれませんが、
なぜダイワじゃないの?「ダイワ朝廷」とは呼ばないのはなんで?
実はこれには、面白い裏歴史があるとみて、検証しました。
では、行ってみましょう!


まず、日本の昔の国名、「倭国」について考えてみましょう。


古代中国は、周辺諸国の固有名詞をみんな卑しい漢字で表記しました。
「東夷」の夷も、「卑弥呼」の卑も、「邪馬台国」の邪も、みんな侮蔑や下賤の意味を含めて当てたんですね。「悪字」ってヤツです。

「倭国」の倭も“人に委(ゆだ)ねる”という、国名としてはあまりふさわしくない意味なんですが、漢字を知らなかった当時の倭人はこの文字をそのまま国名に使っていました。
ところが後に、漢字を知った日本人は、
「倭って文字ヤバくね?国名には相応しくないし。こんな漢字はダメだよ!」
となり、
「倭」から「和」にし、別の意味を持たせます。

今も日本的なことを、「和風」と呼んでいますが、
この ”和”の意味となると、
和議・和睦・平和・共和・・・など、複数の者がともに手をむすぶことであり、
”和国”とは、国と国がむすびついて、大きな連合をつくる、その”連合体”をさす言葉になります。例えば複数の国がひとつの国として機能している「アメリカ合衆国」の「合衆国」とほぼ同じ意味。

ということは、古代「倭国」とは、”部落国家が連合してできた国”となり、
北九州の邪馬台国連合は、まさに30国が手を組んで出来た「和国」だったと言うことができます。
(あ、言い遅れましたが、私は邪馬台国九州説をとっている立場です)

 
では、近畿地方で興った「和国」は、なぜ「大和国」と呼ぶようになったのでしょう?
それは、そのままズバリ”大きな連合国”と解釈していいと思います。
北九州政権を併合して、出雲も併合して、大連合となり、
のちに自らを大連合国=大和国と称したのではないでしょうか。

さて、ではなぜ「大和」をダイワと言わずに、ヤマトと発音するのか……?

古代にはこうした当て字が多く存在します。
たとえば「飛鳥」と書いてをアスカと発音するのは、“飛ぶ鳥の明日香”という枕詞がそのまま地名として呼ばれるようになったから。

「服部」という人名もそう。なぜこれをフクベと言わずにハットリというかと言うと、かつて朝廷で服を作る部(職人)だった彼らは、機織りをするのが主な仕事だった。
それで機織り部のことを、ハタオリ、ハッタリ、ハットリと転化していったんですね。

このように当て字は大きく分けて、枕詞から来たもの、発音が訛ってできたものとがあります。が、
「大和」をヤマトと発音するようになったのは、それらとは少し違う経過があったんじゃないかとにらんでいます。


私の考えを言うと、ヤマトの音をあえて意味のある文字に当てれば、
「山門」または「山戸」

山の門・戸、つまり山の出入り口に相当する扇状地を、かつて「ヤマト」と呼んでいたんじゃないか、と。
「峠」とか、「山の背」「頂」「尾根」などと同じように。ヤマトとは、固有名詞ではなく、一般名詞だったと思います。

ところが3世紀はじめ、
纏向の三輪山周辺の扇状地あたりに興った国がありまして、
山門で興った国だから、彼らは「ヤマト国」と称し、
やがて彼らは、周囲の豪族や国々をとりこみ、近畿地方に連合国を築き、さらに北九州政権を駆逐し、出雲を併合し、和国を統一する”大・和国”をつくりました。

そして人は、国の中心部・纏向のヤマト国を、そのまま国全体の異称に置き換えて使うようになり、
「大和国(ダイワ国)」と書いて「ヤマト国」と発音するようになったんだと思います。

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まったく次元が違う例だけど、ホッチキスという文房具がありますね。あれはステープラーのこと。
ある会社が商品化した「ホッチキス」という製品が売れすぎて、世間に広く席巻してしまったため、ホッチキスという個の名前が、ステープラー全体を指す言葉になりました。

”ヤマト”もこのように、「大和(ヤマト)」と言えば、奈良県大和地方を指しますが、
ここの王が国全体を席巻してしまったため、ヤマトと言えば「大・和国」、つまり日本国全体の異称にも使われるようになったというわけです。

こうして、個の名称が全体を示す名称へ転訛しました。

よく「邪馬台(ヤマタイ)=大和(ヤマト)と、音が似ているから同一王朝であり、邪馬台国が大和にあった証拠のひとつだ」という声も多いのですが、それは邪馬台国も大和国も、山の扇状地から興った国で、同じような地形から名付けたために、似た国名になったんじゃないかと私は思っています。
九州福岡県の「山門市(旧名)」をはじめ日本にヤマトという地名が多いのも、同じような理由からきたものでしょう。


ちなみに、山の門に対し、海の門は「水門」。
「水門(ミナト)」は「港」「湊」であり、こっちは今も一般名詞として使われています。

もしも大和政権が、海ぎわの水門より興って全国を統一した国なら、
「大和朝廷」と書いて「ミナト朝廷」と発音し、
「大和魂」と書いて「ミナト魂」と読んでいたことでしょうね。

     (拙著「邪馬台国は隠された」のエッセイから一部抜粋しました)



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