サステナビリティ研究家 石原祥子さん | いま一度、「サステナビリティ」という言葉を捉え直す
サステナビリティを継続的に学ぶラーニングコミュニティ「Sustainability College」。月に2回の授業のうち、1回は多種多様なフィールドで活躍されているゲストをお招きした「講師回」、2回目は生徒同士の交流や知恵を交換し合う「ゼミ回」を行っています。
「#サスカレ授業参観」では、講師回のダイジェストをお届け。講師による45分間の講義とそれを受けた生徒たちからとめどなくあふれる質問たち...。「Sustainability College」が普段どんなふうに学びを高めているのか、その様子をレポートしていきます!
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11月講師回にお越しいただいたのは、スウェーデンのウプサラ大学大学院の石原祥子さん。サスカレのいきもの係(アシスタント)の濱岡桜さんが交換留学でウプサラ大学に通っていた経緯で、今回ご登壇いただきました! 環境・開発学センター(CEMUS)にて学生主体の学びの場をサポートしつつ、スウェーデンの研究事情にも明るい石原さん。
サスカレでは「サステナビリティ」には正解がない、というスタンスを前提に、互いの意見を尊重することを大切にしてきました。これまでの講義回は、具体的な企業の事例を聞くことが多かったサスカレですが、今回はその一歩手前のお話。
「サステナビリティ」という同じ言葉を用いていても、細やかな考え方の違いがあり、捉え方にもさまざまなグラデーションがあります。その幅を認識したうえで、自分にとってのサステナビリティとは何なのか、また、自分(自社)はどんな社会を目指していきたいのか、自らが掲げる旗印を一度見つめ直す、とても興味深い回となりました。
ウプサラ大学大学院 社会科学研究科 社会経済地理学専攻 博士課程
石原 祥子さん
ウプサラ大学・スウェーデン農科大学共同修士課程 持続可能な開発・発展専攻を勉強するために2013年にスウェーデンに渡り、現在まで在住。2015-2018年には、同大学の環境・開発学センター(CEMUS: Centre for Environment and Development Studies)で授業コーディネーターとして、学生主体・参加型の学びの場のデザイン、ファシリテーションを担う。現在はCEMUS研究フォーラムに所属しつつ、ウプサラ大学大学院 社会科学研究科 社会経済地理学専攻 博士課程に在籍。
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Q1. 経済成長と環境負荷を減らすことは両立できるのか?
「サステナビリティ」に関する議論をするなかで、考え方を大きく2つに分ける重要な視点が「デカップリング」というものです。「デカップリング」とは「連動しなくなる」という意味。経済成長をしながら環境負荷を減らせるという視点を「デカップリングできる」、逆に両方の実現は難しいとする立場を「デカップリングできない」と表現しています。
いま、多くの場所で見聞きする「SDGs」や「グリーン成長」というのは、基本的には経済成長させながら環境負荷も減らしていくという立場。しかし、その両立は本当に可能なのかというのが大きな争点となっています。
脱成長や抜本的なシステムチェンジが必要だと説く人は、「デカップリングはできない」という前提のもと議論を繰り広げます。「脱成長」というのは、経済成長に依存した社会システムから脱却すること。「ソ連の繰り返しになるのでは?」とおっしゃる方がいますが、そうではありません。地域やコミュニティ単位で、今よりも経済の民主化を目指すこと。この「脱成長派」の中でも、国家が大きな役割を担うと考える人と、地域や市民による草の根ムーブメントが大切だとする2つの思想に分かれています。
今までの脱成長の議論は、経済成長に依存した社会を批判することに力が注がれてきました。しかし、最近では具体的な提案も出てきています。研究者の中でも脱成長を唱える人はまだまだ少数派ではあるものの、少しずつ議論が進んできているフェーズです。
Q2. 脱成長のアイデアはおもしろいと思っています。ただ、今まで生きたことのない世界です。何かネガティブな影響も起こるのではないでしょうか?
そうですね、いろんなレベルで本当に多くの影響が出ると思います。よくある議論ですが、収入というモチベーションがなくなったら社会は堕落してしまうんじゃないか、など。人は何のために働くのか、意味が問われますよね。
私たちは、実は対価を得ない時間にも本当にさまざまことをしています。掃除や料理や子どもの世話、友達の話を聞いてあげたり。それらには給料が発生しません。いまは、経済という指標で価値が認められる活動に対してお金を払っています。しかし、子どもの世話や友達の話を聞くことだって、人を幸福にする大切な行為ですよね。
そういった価値感に変化が生じたり、新しい弊害が出てくることは間違いないと思います。ただ、アカデミックの立場としては、それらの弊害を踏まえたとしても、脱成長を進めていくことができるのではないかというのが、いま起きている議論です。
Q3. 脱成長を説く人たちのなかには、国家がリードするのか、市民がリードするのか、という二派に別れるというお話がありました。
こういった議論のときに、企業という存在が抜けがちなのが気になります。経済成長が求められなくなる社会において、企業が果たすべき役割はどんなものでしょう?
企業が果たす役割は本当に大きいと思います。いまの企業は収益を最大化させることが一番の目的になっています。今後求められうのは、ソーシャルビジネスのように、そもそも企業の目的を収益ではなく、社会活動に据えること。その上で、収益はソーシャルゴールに再投資をしたり、従業員に分け与えるといった新しいビジネスモデルを友人の研究者は模索しています。ビジネスだけれども、NPOのような仕組みですね。
あとは、従業員みんなで会社を所有して、株主のためではなく、民主的に運営していくのもいいですよね。脱成長の社会では実際にどんな企業が存続して、どんな活動をしていくのか、実際にさまざまな組織でお仕事されている皆さんとぜひ議論してみたいテーマです。
Q4. 人は自分の幸せのために成長を求めますが、実はお金をたくさん手にしても幸せになれるとは限らないという話をよく耳にするようになりました。「幸せになりたい」という想い以外で、人々が成長に向かいたがる理由を聞きたいです。
私は経済学者ではないので詳しくはないのですが、経済成長が重視されるようになるまでにはさまざまな経緯がありますよね。自動的になったのではなく、戦後、GDPは標準化して国際比較しやすいということもあり、さまざまな社会課題を解決する目標として、政治的に重要になっていった過程がありました。
“成長”というのは、未来はいまよりもよくなっているという考えに立脚しているように感じます。実はそれって結構近代的な考え方なんです。それ以前は、別に未来にそこまでの期待を寄せていなかった。なんとなく年功序列で給与が上がっていくイメージを持っている人もいるかと思いますけど、それはお金が重視されてきた世の中の影響を受けている部分はあるだろうなって。
たとえ給料が増えていかなくても、質的な成長は存在している。社会全体の話も大切ですが、自分自身に置き換えて“成長”という言葉を見直してみるのもおもしろいですよ。
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「Sustainability College」の講師回では、毎回講師からの宿題が出されます。今回は、こちら!
いろんなレイヤーで語ることができる「サステナビリティ」に対して、自分自身や自社がどこにいるのか、またこれからどこに向かおうとしているのかを考えます。その上で、世の中全体が持続可能な社会を目指すにあたって、どんな立場が必要になってくるのかを考えてくること宿題です。(サスカレの宿題は強制ではありませんよ^^)
ぜひこの記事を読んでくださったあなたも、石原さんとの議論をヒントにしながら、考えてみてくださいね!
次回の「#サスカレ授業参観」では、NPO地域再生機構 平野 彰秀さんの回をお届けします!お楽しみに。
今後のサスカレの予定
【おまけ】今月のサスカレニュース
サスカレに参加している生徒や学級委員長の近況など、ちょっとしたニュースを毎月お届け!
▼ソーシャルアクティビストとクリエーターを繋ぐコミュニティ
「NEWHERO」 Facebookグループ
https://www.facebook.com/groups/737118857079319
▼オールインクルーシブファッションブランド「SOLIT」試着会
12/12 岡山、12/14-15 香川、12/18 徳島
https://solit-japan.com/blogs/journal/trial-fitting
▼12/5まで FABRIC TOKYO「WhiteFriday/すべてのスーツに、物語がある。」を開催
https://studio.fabric-tokyo.com/white_friday
▼「GOOD NATURE HOTEL」宿泊レポート公開
https://parismag.jp/life/31743
執筆:佐藤 伶