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一年前の日記を読み返してみた。

こんちくわ🫶
連休最終日の昼下がり。
何にも状況は変わっていないけど、ふと去年の今頃、何してたかなって日記を読み返してみる。

・病んでた
・断捨離してた
そしてその次の日記には、今年の1月になっていた。

一昨年のものも、ひっぱり出してみた。

・コロナのワクチンの副反応で体調不良を訴えたいた
・急な孤独を感じていた
・好きな人を好きなことに必死だった
・自分が何者かみたいなことに悩み、死にたいと思っていた
・転職を考えていた(みたい、記憶にない)

読んでいて、はずかしくなるような、気持ちを綴りまくっているけど、
その時は、それがいっぱいで、それに苦しめられていたんだと思う。

そう考えると、今のわたしの日記は「具体何が辛くて、何は辛くなくて、どういう感情なのか」が明確になっていると感じる。
わたし、変わったんだなあ。

とにかく未来が不安で、心と体が追いついていなかった、過去。
理解できる。過去の出来事も、今は「過去のもの」として、自分の中に収められてるよ。
だから、過去のわたしよ、安心したまえ。

許すことは、何語だったか忘れたけど、ほどくことだと、本の中でハーバード大学の偉い人が言っていた。
わたしは、今、過去の出来事を許せているよ。
だから、大丈夫。
未来のわたしは、もっと許せるようになっている気がする。

あと、過去の自分はスピリチュアルなことに嫌悪感を抱いていたけれど、何にも頼れずに未熟なままで、朽ち果てていくのであれば、
頼れる何かを頼ることは、賢いことだと思うよ。
過去の自分よ、今すぐ瞑想をするのだ。(笑)
スピリチュアルなように聞こえることは、何も怖いことではない。
その思想や、行動に支配されないよう自分を持ち続けることが大事だと感じる。

・ジャーナルをつけること
・朝晩ヨガをすること
・瞑想すること
・お香やキャンドルでリラックスすること

わたしを見つけるための、呼吸方法だとしてわたしは続けて行きたい。
(ちなみに↑がスピリチュアルなことだと、今は思わないけど、過去のわたしはそう思っていた。無知だよね。わかります)

目まぐるしく、いろんな出来事があったと感じる「厄年の3年間」
わたしは、確実に前に進んでると確信できた振り返りでした。
さて、お昼ご飯食べよう。

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