とりあえず「働く」をいちばん後回しにしてもいいんじゃない?《障害福祉で働いて思ったこと》*全文無料
こんにちは「よるべ」と申します。
最近、とりあえず「働く」をいちばん後回しにしてもいいんじゃない?という考えが形になってきたのでまとめてみます。
いま無職や休職中だけど、なかなか就労に向けて動けない。
そんな方の参考になりましたら幸いです。
障害福祉分野の話が出てきますが、対象者は障害の有無に限らずにお話しできたらと思います。
本当に「とりあえず働かないと人生のスタートラインに立てない」のか?
私は元々ひきこもりで、現ニートですが、少し前まで障害福祉の分野で働いていました。
主に精神障害の方を対象に、一緒に作業して工賃をお支払いする「就労継続支援B型」という作業所に所属していました。
そんな環境で利用者の方に接していて、私の心境の変化、価値観の変化がありました。
「とりあえず働かないと人生のスタートラインに立てない」
そんなふうに自分のひきこもり時代から思っていましたが、就労継続支援B型に通う彼らを見て、そして自分も働いてみて、本当にそうなのか?と疑問に思うことが増えました。
就労継続支援B型の問題点
建前上、通所日数が増える=良いこと、になっている
就労継続支援B型は、障害のある方が自分のペースで支援員のサポートを受けながら仕事をする場所です。なので通所する日数というのは、ご本人の希望する日数に合わせる、というのが理想の姿です。しかし、通所した日数で事業所は収益を得ているので、そういう制度のシステム上、事業所としては本音ではなるべく週5日通所してほしいのです。通所の日数が増える=より回復に向かっているという解釈をして、職員は利用者に日数を増やすように促してゆきます。
通所日数が増えても家に帰ると、、、
しかしたくさん通所できていても、利用者の日常生活はボロボロの場合がままあります。自宅がごみ屋敷のようになっていたり、家族と同居している方だと、炊飯器でご飯を炊いたことがないという方も何人かいました。
就労継続支援B型事業所で得られるものは?
就労継続支援B型の工賃(給与)は生活保護や障害年金に対して、微々たるもの。令和3年度の平均工賃は16,507円だそうです。一日じゃないですよ。週5日毎日通ってひと月でもらえる金額です。時給にすると、233円だそうです。
では、お金じゃなくて仕事自体のやりがいがあればよい、と思いますよね。手持ちの資金のない就労継続支援B型は、下請けの内職作業をやっていることが多いです。単純作業が多く、将来何かに生かせる、といった仕事の発展性はほとんどないです。(ちなみに、初期投資の資金を持っている就労B型は、パン屋さんなどの店舗を持っていることも多いです)
就労B型の利用者は、卒業して、最低賃金以上の仕事に就く人は少なく、ずっとそこに留まってしまうことが多いです。(そもそも就労B型は、高齢の方または一般的な就労が困難な方が対象という制度設計なので、留まることが一概に悪いわけではないです)
通い続けることの副作用みたいなもの
私は支援者として、就労継続支援B型という場所にいると、利用者が通えば通うほど生きがいのある主体性のある生活から離れてゆくような、そんなジレンマをずっと抱えていました。
日常生活ボロボロで特に生きがいや趣味もなく、微々たる工賃を得ながら夢を見ることもなく、発展性のない単純作業を無欲に無感情に機械的に毎日やり続ける利用者。
これは極端な利用者像(イメージ)かもしれませんが、自分の意思が弱い大人しいタイプの人は下手するとこういう利用者像に限りなく近い状態で、特に問題なく何年も過ごしてしまう可能性が高いです。
彼らはなぜそれでも通うのか?
そんなデメリット、副作用がありつつも、なぜ就労B型に利用者は通い続けたのか?
正直彼らの本音はわからないし、たとえ聞いたとしても、支援者に耳心地のよい優等生的な答えしか返ってこない気がします。
なので、これから述べることは、あくまで私が利用者と関わって得られた、感触のようなものになります。あくまで私個人の主観的な予測です。
漠然とした不安を抱えている
利用者は、常にぼんやりとした言葉にならない不安のようなものを抱えているように見えた。その不安から福祉や支援者にとりあえずつながっていたいのではないだろうか。「何か」が起きたときに福祉や支援者がなんとかしてくれるかもしれないから。
(ちなみに50代の利用者の母親が、度々「うちの息子をどうぞよろしくお願いします」という雰囲気でたくさんの差し入れを持ってきていた。家族も漠然とした将来への不安(特に親亡き後の)を持っているのである。)
つまり、仕事ややりがいや賃金ではなくて、「関係性」を求めている。
(うーんすごく福祉っぽいこと書いちゃったw)
「働く」以外の人生設計を思い描けない
冒頭の「とりあえず働かないと人生のスタートラインに立てない」につながる話ですが、障害の有無に関係なく、一般的にこういった価値観を持っている人は多いのではないでしょうか?
あと「働かざる者食うべからず」という世の中の空気もまだまだ強いです。
生活保護や障害年金、または貯蓄があって金銭を得る必要は特にないのに、「働かなきゃ」と思ってしまう。働きたくなくても「働くつもりはあります」というポーズは取らないといけない空気がある。
なので就労B型の利用者は、一般的な就労はあきらめているが、「働く」以外の人生設計を思い描くことができない、のでとりあえず働く場である就労B型に通っているのではないだろうか。
もっとちゃんと支援がしたかったなあ
こんな風に言語化してみると、支援者としてやるべきだったことが見えてくる。利用者にぼんやりとした不安があるのなら、それをもっとはっきりさせて一緒に対策を考えるとか、「働く」以外のその人らしい人生設計の可能性を示してあげるとか、できたらよかったな。でもできなかったな(泣)
そしてバーンアウト(燃え尽き)した私 ~自分の立て直しへ~
こんなモヤモヤとしたジレンマを抱えながら仕事をしていたら、当然と言えば当然の結末、福祉職員によくありがちなバーンアウト(燃え尽き症候群)に陥り、この就労継続支援B型は退職となりました。
いま職場から離れて、このようにモヤモヤを言語化できたけど、当時はほんといろいろなネガティブな感情と混ざってぐちゃぐちゃになっていたな。(あと職場自体がハラスメント体質のブラックだったし)
なんかこのまま心折れたままの自分が悔しいんだと思う。だから、こういった挫折体験を余すところなく咀嚼して、煮込んでスープにして自分の血肉にして、あわよくば誰かのためにもなったら、と筆を執ったのだと思う。
上記の体験をもとに、自分の人生・生活を見直してみる。
仕事より家事能力のほうが大事じゃない?
貯蓄があったり、親の遺産があったり、それが尽きてゆくゆくは生活保護を受ける、となったときに、そこそこ豊かで健康的な生活を送るためには、家事能力・生活力が必須となります。精神障害の方で、生活保護で必要な生活費は確保できているが、金銭管理ができなかったり、家事ができなかったりで支援が必要な人もたくさんいました。家事ができない方はヘルパーさんが入ったりするのですが、ヘルパーさんは人手不足でなかなか見つからない。ヘルパーさんは高齢者の方に人手が割かれ、今後益々不足状態になるでしょう。なので正直なところ利用者には、こんなところ(就労B型)なんか通ってないで、実家暮らしでも家事能力を磨いた方がいいよ!と言いたかった。それは自分自身の生活でも言えることなので、いま料理をがんばっています。(毎日コンビニ弁当やワ〇ミの宅食でよければしなくていいけど)
とにかく家事能力は、働く/働かない、結婚する/しない、関係なく必要だと思う。
「仕事」に色々な要素を求めすぎている
勉強不足で海外はどうなのかよく知らないのですが、日本人は「仕事」を美化しすぎていて、色々な要素を詰め込みすぎているのでは?と思うのです。
やりがい、楽しさ、誇り、社会参加、役割、責任、人間関係、仲間、承認欲求、成長、自己肯定感、お金、安心感、所属感、居場所、地位、名誉、アイデンティティ、ライフワーク、、、、
こんな状態ではたしかに「働く」以外の人生設計は思い描けないし、「とりあえず働かないと人生のスタートラインに立てない」
あと、「仕事」にそれだけたくさんのものを求めて一生懸命働くと、意外とリターンが少なくて私みたいに燃え尽き症候群になってしまうかもしれないし。「仕事」に一点集中してリターンを期待するリスクは結構大きい。
「仕事」「働く」を解体する 自分の欲しい要素からスタートする
この記事の前半部分では、就労B型の利用者はそこで「働く」ことに何を求めていたのかを考察してみた。安心感だったり、関係性だったり、居場所だったり、所属感だったり、世間体だったりするのかな?と思います。
でもそういった自分の欲しい要素は、「仕事」でしか得られないわけではないです。むしろ「仕事」をしすぎることで、失ってしまう何かがあるのなら、違う方法で満たした方が合理的です。就労B型の利用者であれば、上記のように主体性が損なわれたり、自分の趣味の時間や生活の豊かさがなくなったりする可能性がある。
私の場合だと、イヤイヤ仕事を頑張った結果、昼食のお弁当を用意する気力が奪われて、毎日カップ麺になってしまうとか、ジムに通う余裕がなくなってかなり太ってしまうとか、ストレス解消のため不要な買い物をしてしまうとか。
なので、自分が豊かさや幸福を感じられるには何が必要なのか?からスタートする。めんどくさいけれど、私の人生を立て直すにはこういう作業をしていかなければならない。
そして、それを満たすにはどんな方法が自分に最適なんだろうか?
焦ってとりあえず「働く」を選択しない。同じ失敗はしたくない。
そして最後に残った要素を「働く」で解消すればよい
自分に必要な要素を棚おろしして、色々な方法を模索して自分に合った方法で満たして、そして最後に残った要素があれば最低限度の「働く」で解消すればよい。
それはお金についてもそうだなと思う。自分が幸福だなと思える生活にはいくら必要なのか、今いくら貯蓄があるのか、資産を運用したらいくら利益が出せるか、不要なものを売ったらどのくらいの金額になるか。そんな風に棚おろししていって、どうしても必要な金額を算出する。その最低限の金額を働いて得ればいい。(ファイナンシャルプランナーがひきこもり支援をするときこんなことやってますね)
ここまで来れば、「とりあえず働かないと人生のスタートラインに立てない」と必要以上に力んで自分で働くハードルを上げて、身動きとれなくなってる状態から、かなり身軽に動けるようになるんじゃないかなと思う。
というか、生まれたときからもう人生はスタートしてる。家で毎日食べて寝ているだけでも、それが自分の人生だもの。そこに豊かさや幸福を感じられればそれはそれでいいじゃない。
おわりに
気楽な気持ちで、この記事のタイトルを決めて書き始めたのですが、自分でびっくりするくらいの大ボリュームになってしまいました。
すごく言いたいことが溜まっていたみたいです。
ほんとはもっと気楽に書いて、気楽に読んでほしいのに、こんなめんどくさい長文最後まで読んでくださる方いるのでしょうか。。。
noteを書くこともまた、私にとっては自分に必要な要素を満たす行為なのだなぁ。
本音を言える場所、私が私でいられる場所、私の言葉を受け取ってくれる人に出会える場所。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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