感情労働によるバーンアウト(燃え尽き症候群)体験《思いやりが擦り切れる》*全文無料
障害福祉で支援員として働き、5年ほどでバーンアウト(燃え尽き症候群)しました。「よるべ」と申します。
私には燃え尽き癖があり、人生で何度も経験していますが、感情労働によるバーンアウトはその中でも少し特殊だなと感じました。
こういった体験を主観的に書いているのをあまり見たことがないので、今回言葉にしてみようと思いました。
疾患として定義されるバーンアウト(燃え尽き症候群)には、3つの特徴が見られます。
①情緒的消耗感
心のエネルギーを消耗してしまった状態になる。
②脱人格化
顧客や職場の人に対して、思いやりのない非人間的な態度をとる。
精神的なエネルギーをそれ以上消耗しないための防衛反応と考えられる。
③個人的達成感の低下
仕事の質が低下し、やりがいや達成感を感じられなくなる。
その中の②脱人格化というのが、私の場合利用者に対する嫌悪感として現れてしまいました。
私は残業までして急いで目一杯作業をしているのに、利用者にはゆっくり自分のペースででいいですよ、と声を掛けなければいけないのはなぜなのだろう?
自分自身が抗うつ薬を服薬しながらへとへとになりながら働き、少ない給与から年金を支払わなければならないのに、なぜ彼らは何もしなくても障害年金が貰えるのだろう。
様々な違和感、納得できないことが静かに蓄積してゆきました。
最終的には利用者が、自分のお世話や思いやり、気遣いを無限に吸い取ってゆくブラックホールのように感じられていました。
私自身が生きづらさを抱えた元ひきこもりの当事者であり、自分自身の未熟さ、キャパシティのなさも痛感しています。
一方で、支援の質よりも量や効率(利用人数)で収入が得られるシステムがどれだけ現場を追い詰めているのかという問題にも行き当たりました。
組織からは量や効率を求められ(それと大きなトラブルが起きないこと)、利用者からは質(思いやりや気遣い)を求められ、なかなか苦しい板ばさみの状況にあります。
それにプラスして私の事業所は人手不足(人員配置違反)、労働基準法違反(休憩有給なし)でした。
元々は利用者の苦しさに共感しながら支援をしたいと考え、支援者を志したのですが、最後は拒否感・嫌悪感を取り繕って良い支援者を演じるのがつらくなり退職に至りました。
障害のある方達には生命や生活の保障をして欲しい、お世話をする役目の人は必要だ、と思う一方で、私にはその役目はもう担えない、とも思います。
今でも福祉の現場で、燃え尽きや虐待ギリギリで踏ん張って働いている人たちがいる。
利用者に対するネガティブな感情を公に語ることは、福祉に携わる者にとってはタブーのような抵抗感があるけれど、蓋をしないで語ることをしないと解決もできないのです。
このような話を語れる場が必要だし、もはや個人の意思や努力といったレベルで福祉の現場の苦しさを解決できないと感じています。
(福祉の研修などでは燃え尽き症候群の予防にセルフケアの重要性が主張されていますが、、、)
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