2ちゃんねるで有名な「発達障害の処世術」を考える
筆者は大学生のころ、2ちゃんねるで「発達障害の処世術」と題した箇条書きの教訓を読んだ。
当時はアルバイトや人間関係がどうしてもうまくいかず、日々藁にもすがる思いでこの世界をどう生きていけばいいのかを考えていた。
一覧にすると長いので下記のリンクでまずはその内容を一度確認してみてほしい。
筆者は辛い学生時代を乗り越え、いま新卒で入ったJTCで働き始めて3年ほどが経つ。
発達障害を持つ人間が一つの職場で3年も働けているということで我ながらよく長続きしているなという印象である。
ただしかしながら、入社してから評価は全くされず、職場でも肩身の狭い立場になってしまった。
その理由は発達障害の処世術に忠実で無かったというよりは自分を律することができなかったからだと感じている。
今回の記事ではこの社会人生活3年間を通して得た経験や反省をもとに、2ちゃんねる版「発達障害の処世術」について考察したいと思う。
人並みの幸せは諦める
たしかに多くの発達障害者は人間関係では孤立し、仕事では無能の烙印を押されて、家庭でもトラブルが起きがちである。だから人並みの幸せを送るのは難しいかもしれない。
筆者も最初は人並みの幸せは諦めていたが、それでも諦めきれずに恋愛工学の本を読んで彼女を作り、童貞を卒業できた。就職活動においても筆者は語学力はあったため、なかなか就活生に認知されていない「東京以外」に本社があり、かつグローバルに展開している企業を狙って面接を受けていた。
結果的に地方都市にしてはかなり良い待遇で働けている上に、その年収と勤務先が大きなアドバンテージとなり、マッチングアプリを通して多くの女性に出会うことができた。
つまり、自分を客観的に分析し、致命的な部分は必死で改善し、その上で戦略を立てて行動すれば十分に人並みの幸せを手に入れることはできると筆者は考えている。
障害のことは人前では一切口にしない
遅かれ早かれ周囲の人は薄々気がつくかもしれないが、絶対に自分からは口に出すな。
どうしても相談したいことがあるのなら、職場や地域社会など自分の衣食住の根幹を成すコミュニティとは一切関係の無い人に話すべきである。
どちらに進んでも悪い方向にしか行かないのだから、悪い中でもマシなほうの選択肢を選ぶしかない
発達障害は組織において要領よく立振る舞うことができない。つまり会社であれ、趣味のサークルであれ、町内会であれ、長期的な人間関係を要する場面では必ず何らかの不都合が生じる。
もはや人間関係の難しさや無能扱いはリスクではなく、必ず起きるダメージ、つまりは「コスト」として織り込んでおくべきであると筆者は考える。
例えば会社選びについては会社の安定性やビジネスモデル等の客観的に誰でもわかる現実的な要素を踏まえ選ぶべきであり、決して憧れや印象で決めてはいけない。
親しげに近づいてくる奴は見下して優越感を感じようとする自己愛性人格障害者か、いいように利用したり搾取しようと企む性悪定型のどちらかしかいないと心得るべし
これまでの学生時代の経験から、普段は筆者に対して冷たい態度を取っておきながら突然優しくなったり、フレンドリーに接してきた人物は大体においてどこか「見下して笑ってやろう」か「都合よく利用してやろう」という心理が見え隠れしており、実際にそうだった。
また、発達障害は何故だか知らないがマルチ商法の人間とお近づきになりやすい。
マルチ商法の人間は孤独で寂しい思いをしている人間に対して見せかけの「仲間の輪」に入れ、夢を膨らませたところで金を搾取する。
ただし、自分に対して優しくしてくれる人、関係性の輪に入れてくれる本当に良い人も実際にいる。
彼らのような人を疑って、本当に大事にするべき人まで弾かないようにするためには、相手の言葉よりも行動をよく観察することが大事である。
沈黙は金以上なり
発達障害でもADHD傾向があれば快活な人、ASDであれば思慮深い人だと何故だか第一印象だけは良いケースが往々にしてある。
その後の組織内における評価を下げないためにも、できるだけ喋らない方が良い。
細心の注意と継続的な投資が必要な人間関係を自分自身のキャパを超えてまで広げると、かえって敵を増やすだけになる。
だから会社やコミュニティではできるだけ黙っていること。
飲み会や宴席にはなるべく参加しない。参加しても一切喋らない
筆者は社会人一年目の飲み会や宴席において下記1~8とは真逆なことをしてしまい、多くの先輩社員からひんしゅくを買い、お叱りを受けた。
これにより筆者の社内における評価は社会人一年目にしてかなり下がったと思う。
学生時代の話、恋愛を始めとした女性関係の話、家族の話、趣味の話等々、プライベートの話は基本的にしない方が良い。
むしろホステスになった気持ちで相手の話を聞く、広げることに注力し、自分自身は聞く側に徹するべきである。
冗談やジョークを言わない
口に出すのは挨拶と感謝と謝罪だけにすべし
人前で趣味や遊びの話は絶対に口にしないこと
雑学的な知識を人前では見せないこと
自分の得意分野の話題になっても一切口を開かないこと
はしゃがない。笑わない。
「心を開け」「自分を出せ」「言いたい事があるなら言おうよ」といった言葉に騙されるな
発達障害者が「馬鹿になれ」を真に受けて実行すると怒りや恨みを買うか、さらにバカにされるかしかないことを心得るべし
これとあともう一つ、「会社の飲み会や宴会でアルコール類は飲まない。どうしても必要ならば最初の一杯だけに留める」と個人的には追加したい。
定型の言う事には必ず裏があると心得るべし
下記の処世術にも共通するが、相手が発した言葉の背景、相手の顔の表情、声のトーン、その後の行動などを言葉だけでないあらゆる要素を鑑みて判断すればよい。
定型=嘘つき、二枚舌ということを心得るべし
また発達障害者は相手の言葉を字面通り受け取ってしまうが、そもそもコミュニケーションというのは言葉だけでなく前述した通り、表情や声や立ち振る舞い方など様々な要素から成立している。
例えば共有言語を持たない外国人とコミュニケーションをする場合、多くの人は身振り手振りや顔の表情や行動、声のトーンからお互いに意思を推測する
これこそコミュニケーションは言語情報だけではないことの証左である。
職探しは給料の額面よりも休日の多さ、残業の少なさ、一人作業が多い仕かどうかを基準に選ぶ
前述した通り、人間関係の難しさや職場における無能扱いはリスクではなく、必ず起きるダメージ、つまりは「コスト」として織り込んでおくべきであると筆者は考える。
例えば会社選びについては会社の安定性やビジネスモデル等の客観的に誰でもわかる現実的な要素を踏まえ選ぶべきであり、決して憧れや印象で決めてはいけない。
なるべく大規模な職場を選ぶこと
上記の通り
人間関係はトラブルしか生まない
前述した通り、細心の注意と継続的な投資が必要な人間関係を自分自身のキャパを超えてまで広げると、かえって敵を増やすだけになる。
人間関係を作るなら、会社など特定のコミュニティにおいては手広く人脈を広げようとするのは禁物である。
まずは直属の上司だけとコミュニケーションするとか、自分の半径5メートル以内の人間関係をしっかり固めてから、新しい人との関係を構築していくと組織で自分の悪い評判が広まったり、敵が増えたりするリスクを減らせる。
たとえ半径5メートルで上手く行かなくて、ダメージを限定的なものにすることができる。
この戦略を取るためにもなるべく大規模な職場、つまり大企業で勤めることをおすすめする。
人付き合いやコミュニケーション、ビジネスのハウツー本は発達障害者にとっては何の参考にもならない
実践することができるのであればハウツー本は大いに参考になる。
筆者は藤沢数希氏が描いた恋愛工学の名著「僕は愛を証明しようと思う」を読んでから彼女を作ることができた(長続きはしなかったが)。
絶対に自分を出さないこと
会社や町内会など自分の衣食住の根幹を成すコミュニティにおいて自分を出すことは控えた方が良い。
沈黙は金以上だし、口に出すのは挨拶と感謝と謝罪だけにするべし。
孤立や孤独は発達障害者の運命だと思って諦めること
発達障害は学校や会社など長期的な人間関係が求められる場面においてその評価を維持することが難しく、最終的には孤立するケースが往々にしてある。
だからあくまでも学校は学歴を得る場所、会社は金を稼ぐ場所と割り切り、自分の趣味や得意分野で自分と相性の良い人との関係を大事にすることでこの問題は解決できると思う。
他人と会話がしたいならネットの掲示板だけに留めておくこと
筆者は英語や中国語を学生時代に学んだおかげ多くの友達をSNS上で作り、実際に会ってさらに関係性を深めることができた。
重要なのは外国語を学ぶことである。
日本語だけでSNSやネットの掲示版を読んでいた場合、発達障害者は特にマルチ商法に引っかかったり、マウント合戦や愚痴の言い合いなどレベルの低い人たちと付き合うことになってしまう。
その点、英語や中国語を学ぶと様々な経験や知識を持った世界中の人たちと友達になれる。また国際交流を積極的にしようとしている人はポジティブでフレンドリーな人が多く、自分自身の成長につながる。
なので、外国語を切り口にSNS上で友達を作るというのは一つの案として筆者はおすすめしたい。
上記の通り、2ちゃんねるで有名な「発達障害の処世術」について筆者の経験や反省をもとにそれぞれの教訓を考察してみた。
これらの教訓は発達障害が人生において抱える広範囲な問題に対処しうる処世術であるが、実際問題としてこれらの処世術を実践するのは意外と難しい。
実社会で痛い目に遭ってからでないとこの教訓の意味の理解や実践はできないだろう。
だから筆者は、特に発達障害を持つ学生の方に言いたい。
失敗できる今のうちにたくさん痛い目に遭っておけ。リスクは必ず起きること、つまり「コスト」なのだ。このコストをどれだけ払い、場数を踏めるかが大事なのだ。