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【短編小説】愛と絶望のアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ(コン・ポモドーロ)

素晴らしい芸術作品は、それを観た人間の心を傷つけるという。
作品は、痛みや腫れっぼたさ、熱や鬱陶しさに変わっていき、人はそれを何らかの方法で癒していく。時に化膿し、その毒とも言えるようなものは全身を犯し、作品を観た事への後悔すら覚える。

とにかくその日、僕はうんざりしていた。
マーケティング、ブランディング、マネジメント、DX、コーチング、タスク、フィードバック、ローンチ、レスポンス、、、
そんな言葉を我が物顔で吐きまくり、得意気な顔で何かを作った気になっている人間を見るのに、うんざりだった。
彼らの“社会的好印象“を押し付けてくる髪型や服装が恐ろしく似合って無く、ひどく醜く感じた。
大概の男は腹が出ていて、彼らは決まって12時になるとゾロゾロと飯を食いに出る。

僕はハイライト・メンソールを取り出し、火を付けた。
オフィスビルの14階にある喫煙所から昼飯を食いに出かける男や女を眺めていた。
アマゾンの奥地の先住民、ネイティブアメリカンや世界各地にいるシャーマン達は、タバコを神聖な儀式に使う。タバコの煙という半物質に近いものを使って、完全な非物質である悪霊、または神と交信をはかる。
そう思いながら、現代では文字通り煙たがられるタバコを灰皿に捨て、ビルの下に目線を送り、意図的に僕は見下した。

僕は見下している。
摂理から外れ、傲慢な態度の人間達を。
マーケティング、ブランディング、マネジメント、DX、コーチング、タスク、フィードバック、ローンチ、レスポンス、、、とか喚いているが、実は何にも創れない人間達を。

村上龍の「愛と幻想のファシズム」の中にこんな一節がある。

『スポイルされた熊は、神の銃で射殺される』

つまり、摂理から外れた強欲な存在は、“淘汰“にあうって事だ。

僕はその日、オフィスを早めに出て、行きつけのバーへの向かった。
僕は金融システムに跪いた多くの人間を見下しているが、農家や漁師や林業、その他様々な自然から授かりものを摘出出来る人に対しては多くの尊敬を抱いている。

僕の見下している人間の殆どは、食べ物はスーパーやコンビニにあるものだと思っている。居酒屋で金を出せば、鳥が串に刺さって出てくるものだと思っている。

僕は地方都市に住んでいるが、時間があれば海へ出かけ、魚を釣ったり、畑をレンタルして少量の野菜を作ったりしていた。
たまに地元の漁師と会話になる事がある。
彼らの目には傲慢な澱みがなく、会話や意思疎通が簡潔で、屈託がない。

狩猟、採取から調理、そして口に運ばれるまでの時間を愛している。
魚を殺すんだ。自分の手で。釣った魚に、苦しまないようにナイフを入れ神経を断つ。
生命が終わったんだ、という瞬間を見る。目に灯がなくなる。
そして、それを調理して食べる。

そのバーは耳の聴こえない女性が切りもりしている。
ドアを開けると、来る時間が早かったのか、いつもの古いフランス映画はまだモニターに映し出されていなかった。
僕は軽く会釈すると、彼女は席を目で指した。

僕はタンカレーのボトル指差し、ソー、ダ、で、と声を口にした。
彼女は素っ気なく愛想なく、軽く頷くと、氷をグラスに入れた。

オーセンティックな店内の雰囲気なんかを無視して彼女は美しい音楽をかける。
彼女は耳が聴こえないのに、素晴らしい音楽が流れている。
Ten Years Afterの「I'm going home」が小音で鳴っている。
アルヴィン・リーが素早いピッキングを繰り返し、I'm going homeと叫ぶ。
「家に帰る!家に帰る!家に帰る!」と。

一昨日、僕は釣りに出かけ、高速道路をBMWで家に帰っていた。
その日は東北の北部に出向き、アジやサバ、メジナを狙っていた。
夕暮れに海面がザワザワして、25mプール2個分くらいの面積が沸き立った。
その面積がだんだん僕の方に近づいてくる。
僕は釣竿を置き、目を疑った。
それは何万匹のサバの群れだった。顔だけが銀色に輝き、体は半透明な幼魚だった。
あまりに美しく、そして恐怖を覚えた。
美しすぎるものは恐怖に変わる。

1人の客がドアを開けた。
女性だった。
その女性は雲間に燃えるような光を放つ太陽のような長い金色の髪の毛で、僕は少し目が眩んだ。
その金色の髪の女性は店に入るなり迷わず、真っ直ぐ僕の席の隣に座り、こう聞いた。

「何を飲んでるんですか?」

僕は、ボウモアの12年にグラスを変えていた。
「あ、ウイスキーです・・」

僕は女性に慣れていた。仕事柄、色んなシュチュエーションで美しい女性と関わる事が多かった。
金持ちのお酒のアテンドや、接待、そこにいる女性は大概、綺麗だ。
僕なりに彼女達の扱いを熟知していたし、彼女達に持つ共通の自己顕示欲に少し、退屈もしていた。しかし、僕はその女性に緊張した。

「ウイスキー、、、それは美味しいのですか?」

金色の髪の女性は、透き通るような白い肌で、化粧は殆どしていなかった。
僕は、鯖の半透明の幼魚の群れを思い出した。
美しく、怖いのだ。

それは美味しいのですか?それは、、美味しいのですか?
僕は何度かその女性の言葉を頭の中で反芻した。

「さあ、どうしてだろう何故このスコッチを飲んでいるのか、急に分からなくなった」

「スコッチ?ウイスキーではないのですか?」

「スコットランドで造られたウイスキーをスコッチって呼ぶんですよ。このウイスキーはスコットランド沖のアイラ島で作られたからアイラウイスキーとも言いますね」

「色んな呼び方があるんですね。私もそれを飲んでみたい」

僕は耳の聴こえないマスターに自分のグラスを指差し、2本の指を立てた。

「私、金星から来たんです」
彼女はボウモアのロックを一口飲んで、酒の感想も言わず、自分は金星から来たと言った。
店内の音楽がチャールズ・ミンガスに変わっていた。前衛的なジャズだ。耳の聴こえない女性が何故、ミンガスを選ぶのかが全く分からなかった。

黄金のような髪色をした隣にいる女性からそんな事を聞かされても、不思議と驚かなかった。

「知ってますか?今の地球人は、20と幾つかの他星人の遺伝子が混ざり合ってるんですよ。遥か昔に私たちのチームもその遺伝子実験に参加しました。遥か昔といっても、地球の方々とは時間の感じ方、、感じ方というより時間の概念が違います。
あなたは40歳くらいでしょうか。私は10万年以上も生きています。生きているといっても、物質と半物質と非物質の間をグルグルしながら存在してます。
『生きている』という概念自体、あなたとは違います」

彼女の言葉はハッキリ聞こえていた。
しかし、僕は昼間の会社での会議について思い出していた。全く前進しない会議、生産性が無く、意思決定者がいない。それぞれの保身と言い訳の連続であり、くだらない事で笑い合っている。僕はいつからか、それは小雨のようなもので、軒下で時間を潰していたら、いずれ空は晴れて、僕は1番に会議室を出ていく、そういったものだと思うようになった。
しかし会議が終わると、ランチに誘われ、次はあの高級外車に乗りたい、限定モデルにしたい、日本からアメリカに渡った野球選手が昨日ホームランを打った、
夜、飲みに誘われ、俺はこうゆうやり方で成り上がった、お前ももう少しこうすればワンランク、ステージ上げれんのにな、しかし、あいつはダメだな。あいつには強く言ってんだけどな。見ろ、ああゆう飲み方する女はな。。

ワンランク、ステージ上げる?
わんらんくすてーじあげる?
・・・・

「どうしましたか?」
彼女のグラスを見るとボウモアを飲み干していた。
僕は彼女の分をオーダーすると、

「どうして、金星から来たんですか?」
そう彼女に聞いた。

「あなた方でいうと、旅行でしょうか。さらに調査や学びの体験を兼ねています。
普段5次元や6次元を行き来する私たちとって、この3次元にある肉体に入り、地球に来るのはとても危険な事なんです。
食事をしたり、排泄をしたりというのは、とても辛い事なんです。
例えるなら、あなたが未開拓な土地に住む先住民の村へ行くようなものです。
突然、攻撃してきたりした、怖いでしょ?」

彼女は頭がおかしい人なのか、もしくは僕がからかわれているのか。
普段だったらそう考えて良い筈だ。しかし、今日の僕はとにかくうんざりしていた。
あの品の無い連中と酒を飲むより、この美しいイカれた自称金星人と飲む方がよっぽど気分がマシだった。

「どうして僕に声を掛けたんでしょうか?」
僕はスコッチをぐいぐい飲む彼女に聞いた。

「それはあなたが正確に絶望されていらしたから、、ですよ」
彼女は至極当然という態度でそう言った。

「絶望?確かに僕は色んな事に嫌気が差してはいますが。正確に絶望しているとはどうゆう事なんでしょうか?」

「あなたは正しく絶望している、という意味です。例えば、あなたが暮らしているこの日本という国にも、絶望している人は沢山います。お金や人間関係、家族だったり。
しかし、あなたの絶望はそれらとは切り離された絶望です。
私たちは特殊なデバイスで、その人間の愛の強度だったり、絶望の種類を分析できます。
正しい絶望が出来ない人には、正しい希望も抱けません。履き違えた絶望を抱える人は、履き違えた希望にすがるのです」

確かに僕は、お金や人間関係、家族そういったものは幻影であると感じていた。
何故かというと・・

「まあ、今日はそんな難しい話をして、あなたを困らせたくありません」
彼女の話すトーンは常に穏やかで一定だったが、急に声色を変えた。

「久しぶりに食事というものがしてみたいんです。あなた、何か私に食べさせてくれませんか。最後に地球で食事をしたのは5万年以上前です。
20数個の他星人遺伝子を持つあなた方は特に、爬虫類やそういった攻撃性の高い遺伝子の影響下にあります。あなた方の脳は何層かになっていて、1番古い脳は爬虫類の脳の構造に似ています。
あなたは私に性行為を求めていますね。
それは致し方無い事です。
私たちは普段、様々な方法で愛の密度を高めたりしているんですよ。
しかし、私は今、地球人の女性です。そして、あなたに3次元的な好意を持ってるんですよ」

僕は彼女と店を出て、タクシーで僕の部屋に向かった。

「爬虫類が悪、というわけでは無いです。
友好的な愛のベクトルを持った爬虫類種族もいます。あなたはびっくりするかもしれないでしょうが、蟻のような風貌の人類もいます。カマキリのような人類もいます。羽の生えた人間も、魚やオットウセイの風貌の人間もいるんですよ
私たちは善や悪といった二元論に意識を持ちません。愛と調和、そして然るべき事に対して然るべき行動を取るんです。」

タクシーの中で彼女は、夜の繁華街を観ながらそう言った。

その夜、僕は美しい、金星人だと名乗る女性をセックスをした。

時間が強い酸で溶かされ、過去も未来もバラバラになって、琥珀色に息遣いとか、体液とか混ざり合って、ウイスキーもなんで琥珀色してるんだろ、この部屋の蒸気が上空で雲になって、雨になって、海や川に溶け出して、スコットランドのアイラ島でウイスキーになって、僕はそれを飲んで、産道から這い出てきて、オギャーと生まれ、泣き喚き、泣き喚き、泣き喚き、窓から入って来たフクロウが僕を嘴で突いて、夜になるとまた会えるよと言った、僕はずっと1人ぼっちで生きると決めて、人間のふりを覚えた、僕は人間のふりを覚えた、フクロウはいなくなって、親だと主張してくる人間が2人立っていた

僕はパスタを茹でた。

アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ

にんにくとオリーブオイルと、そして、唐辛子。

塩と水。

材料がたったこれだけのパスタを彼女に食べさせたかった。

まず、2Lの水に対して1.5%の塩を入れる。

塩は、いわゆる“食塩“では駄目だ。絶対に駄目だ。

日本は戦争に負けた後、GHQによって塩の生産を何年も禁じられた。
代わりに、いわゆる“食塩“が市場に出回った。

・・・・・・塩の話は長くなるから、次回にしよう。

にんにくは青森の田子産のものを使う。
これも強烈に言うが、絶対に美味いにんにくを使わなければ美味いアーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノは作れない。

唐辛子は、イタリアのカラブリア産のピッコロだ。
小さいが辛味が驚くほど鮮やかだ、

ベースのオリーブオイルはそれなりのもので良い。
だが、仕上げのオリーブオイルは、フレッシュな高価なオリーブオイルを使う。

何故ならば、しつこいようだが、アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノだからだ。
旨みの要素を上げられるは食材でしかない。

パスタはガルファロ社の1.5mmを使う。

色んなアーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノがある。
色んなパスタの太さで作られる。

これも強い口調で言おう。
アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノには絶対にテフロンダイスではなく、ブロンズダイスだ。
要はパスタにコーティングがあるか、ないかの違い。

アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノには、ブロンズダイスが良く合う。

ソースと少し距離を置いた方が良いカルボナーラなんかはテフロンダイスが合う。
アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノは、ソースという概念すら危うい。
渾然一体とした料理が故、ブロンズダイスでまとめ上げた方が良い。

にんにくの切り方は世界観だ。

細かくすればするほど、香りに移行するし、
大きければ、にんにくそのものの存在感を味わえる。

僕が好きなのは薄く切ったにんにくだ。

薄切りのにんにくとオリーブオイルをアルミ製のフライパンに敷いたら、
火を付ける。はじめの火は強くても構わない。しかし、フライパンから音がしてきたら、ごく弱火にする。
ピッコロ(唐辛子も入れてくれ)

パスタの茹で時間は、麺の太さで全然変わる。

パスタを茹でた後、フライパンでパスタにソースを入れていくやり方も沢山ある。

今回は、1.5mmのブロンズダイスで、アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノを“キレ“で食べる作り方だ。

にんにくがキツネ色になると同時くらいに、少しだけ、茹で汁を混ぜる、そして乳化。
しかし、今回は“キレ“がテーマであるから乳化はほどほどに。

5分20秒くらい茹でたパスタを投入。
そこに刻んだイタリアンパセリ、風味が高いオリーブオイルを入れる。

素早く混ぜたら、皿に盛り付ける。

僕はシチリアのビアンコをワイングラスに注ぎ、金星人の彼女はアーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノを食べた。

そして
「凄く、愛と絶望の味がする」と言った。


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