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今更自己紹介 鬱病クネクネオタクの隙自語

 初めまして、鬱病クネクネオタク美緒48歳折り返しの外科室と申します。昨日仕事(非正規)をしていた時に、突然自分の人生をnoteにまとめておきたいと思い、筆をとった所存です。正直、自分は恵まれている方なのか、辛く苦しんだ方なのかすら、分かりません。でも、自分は多分ちょっと苦しかったので、これをよんで甘ちゃんだと言われると塩をかけられたナメクジになっちゃうかもしれません。
 そんなわけで、オタクの隙自語、始まります。

***幼少期
 あまり覚えていません。親はふたりとも不倫や遊び(パチスロや飲み会)で忙しそうにしていたし、幼い頃に親に言われた言葉で今でも覚えているのは「お前は望んで出来た子供じゃない!(デキ婚であるため)」「子供は親の所有物だ!」「そんなに家が嫌なら出ていけ!」と怒られることは日常茶飯事でした。
 ここで私は自分の嫌なことを蓋して捨てる、ブラックボックスを作りました。それにより、嫌だと思った自分をブラックボックスに捨て、「何故この人はこんな感情的になれるんだろう」という考え方を身につけました。ブラックボックスについては、また別のnoteを書きたいな、と思っています。
 学校生活が始まってから、徐々に遅刻癖が目立つようになりました。忘れ物は、したくないから全部の教科書を毎日背負ってました。高校生の時には、朝起きて準備して、登校したら昼休み時間でした、とかザラでした。担任は心底呆れていましたが、テストの点数は普通に取れていたためお咎めは緩かったです。

***商業高校卒業前後
 私の親は私が小さい時から「離婚したらどっちについていく?」とよく聞いてきました。私は毎回適当に合わせて喋っていました。
 その日は私の誕生日プレゼントを選ぶ日で、母親とデパートへ言ってました。ふと、その時母親が嬉しそうに「今の相手、凄くいい人なの。上手くいったら弟が一人増えるよ」と報告して、私は何故いま自分の誕生日プレゼントを選んでいるのか理解できなくなり、その後のことはいまいち覚えていません。

 就職先もどうでもよすぎて自分で選ぶことが出来なかったため、数枚選んだものを親と先生に見せて決めてもらいました。就活自体は自我が無いのが幸をなしたのか、相手が望むであろう答えをペラペラ喋っているだけで終わりました。
 就職した事務職。そこでは仕事は無いが仕事をしなければいけない、寝てると怒られるので何かしないといけないが、何もしなくていいと言われていました。普通の人はここで「仕事をしてるフリ」で遊べる最高の環境だったかもしれません。最初のうちは私もExcelを数式を壊さない程度にいじったりWordで好きな曲の歌詞を書いたりして遊んでいました。しかしそれも怒られました(まあ当たり前)。しかし後から気がついたことですが、自分はどうやら仕事中は何も考えなくていいから仕事をしていたいタイプみたいでした。そこからどんどんと病んでいき、頭痛薬を過剰に飲みながら仕事をして、朝起きて体が動かなくて泣いて希死念慮に苛まれたことをキッカケにその会社は辞めました。ちょうど一年間ほどでした。診断は適応障害でした。

***無職期間(一年半)
 実は前の会社に働いている時、辛すぎて親に隠れてこっそりメンタルクリニックに通っていました。何故ここで親に相談しなかったのか、今思えばめんどくさいだけだったと思います。しかし結局バレて、親に泣きながら抱きしめられて「分かってあげられなくてごめんね」と言われて頭を撫でられた時、自分が自分でない感覚がしました。ハッキリ言って、嫌でした。親がそんな態度をとるのが理解出来たから、内緒にしていたのに。優しくして欲しかったのは、小学生の時だった。
 しかし、その後は親が会社と連絡し、気がついたら傷病手当でしばらく過ごしていけるようになりました。その間、とにかく非日常にこだわり、よく低予算で一人旅をしました。あと、読書をよくしました。元々学生の時から厨二病だったので中原中也や中世ヨーロッパ、ペスト関連の本を読む方ではありましたが、より一層変な本(人文学や精神医学)を好んで読むようになりました。この時期にイラスト(二次創作)もぼちぼち行いインターネットに上げるようになりました。インターネットにのめり込みよくない遊び(お薬ドカ食い気絶部)を覚えたのもこのあたりです。元々頭痛薬のODはしていましたがら、意識して咳止めなどでODするようになったのはこの辺りからです。リスカはしませんでした。痛いのが嫌だったので、手軽で痛くなさそうなODばかりしてました。

***アルバイトチャレンジ1
 傷病手当の期間が迫るにつれて、親に仕事を催促されます。当たり前です。自分は正社員で探すのが怖かったので、高校生の時に結婚披露宴会場でのアルバイトが楽しかったのを思い出して、近所のカフェでアルバイトをはじめました。周りの子は同い年(20〜22)から少し年下(19〜20)の学生が多く、適当に話も合って、店長もわりと適当だったのでそれなりに楽しくやっていました。しかし、遅刻癖は治りませんでした。それでも現場は優しく、私の遅刻をカバーしてくれたりしたので、私も夜伸びたりヘルプ出たりと、何だかんだ上手くやってました。
 しかし突然でした。休憩室でまかないを食べている時に、適応障害になった時の体の重さが突然意味もなく再発して、何もかもが悲しくどうでもよくなってしまいました。その日どうやって帰宅したか覚えていませんが、近いうちに私は「正社員を探す」という適当な理由で辞めました。職場も仲間も不満はなかったため、本当に訳が分かりませんでした。(労働という行為自体は無条件で嫌ですが、職場や職場の人間にも不満がなかったが故にここで抑うつ状態になったのが理解出来ないです)

***転職と無職、そして再就職
 ここからはしばらく適当な企業にずっと面接言ってました。自分は本当にどこでも良かったので求人票を見て特に違和感なければ片っ端から応募しては落ちるを繰り返していました。今思えば、前職の離職理由を馬鹿正直に適応障害と言っていたのが原因だと思います。
 そして、この間は無賃の無職。前のアルバイトで少しだけ貯めてた貯金なんてすぐ無くなります。親に圧をかけられた結果、親が選んできた企業に正社員で入社することになりました。

 その会社は接客業なのですが、自分は接客業は好きなので問題なかったです。しかし、現場の人間があまりにも合わなさ過ぎました。
 私はメモのとり方が分からないため、教えてもらったことは全て感覚で覚えます。それを当時の上司に人格否定に及ぶまでの説教を受けました。「貴方の年齢ならメモをとるのを学んでいるのは常識なの」。もちろん上司の言うことは間違っていません。しかし、自分は前もって「私はメモをとる事がとても苦手で、改善として要点だけでも書くように努力していますが、人よりメモをとらないと思います。しかし、何度かやれば必ず覚えることが出来ますし、要点を見れば思い出すことは出来ます」と伝えていたにも関わらず、メモを取らなかったという一点で客前で怒鳴られたのは、とても精神的にキツかったです。
 そしてこの会社にはあらかじめ「自分はずっと前職の適応障害による抑うつ感が治らず通院しています。そのため、遅刻や当欠でご迷惑をかけると思います。もちろん、そうならないように努力していくつもりです」と伝えた上で採用されました。しかし、いざ私が体調不良で休むとなると、電話口であからさまに呆れた態度で対応され、次出勤したら「貴方の代わりをAさんがしたんだよ。何かお礼とかするのが常識なんじゃない」と言われました。確かにAさんには私は迷惑をかけて謝る道理はありますが、第三者がお礼を強要する雰囲気は違うのではないか?と疑問で仕方なかったです。
 この会社の愚痴はまだまだ続きます。
 こうしたことがあり。徐々に体調を崩して当欠や遅刻が増えながらも働いていた頃、社員(同期)から呼び出されました。「お前、挨拶もしなければ愛想が悪いって、みんなが言ってるぞ」と。私はそれを聞いて疑問で頭いっぱいでした。なんとか口にした言葉は「挨拶はしていますけれど。勘違いではないでしょうか」でした。確かに、この頃とても憂鬱であったため愛想は悪かったかも知れません。しかし接客な場に出たら切り替えることが出来る自信はありました。実際、お客様と会話をすると喜ばれたことしかありません。怒っているお客様の話を一対一で聞いて、落ち着かせて、最終的に笑顔で退店していただいたこともあります。では、同僚に関しては?同僚は常に私のことを腫れ物を見るような目で見てきて、裏で悪口を言っているのが本人に分かるような体たらく。そんな人たちに愛想良く振る舞う方が難しいと、私は思うのですが、甘えなのでしょうか。そして、挨拶については絶対にしていました。断言できます。むしろ、私は挨拶をして無視される立ち位置でした。
 その上。社員(同期)が「みんなそう思っているよ」という主語のデカイ言葉までこちらを脅してきた事実に、また辟易しました。もう、どれだけ仕事が楽しくても長くいるバイトや社員に嫌われているなら、私に居場所などありません。

 しかし、私は変なところで何も考えない、他者のことはどうでもいいと思うのでこんな状況でも働き続けました。そうしたら、スキルに関係なく皆が嫌がる雑用しかさせてくれなくなりました。(シフトは上位のバイトと社員(同期)で作っているため、嫌がらせや自分たちが楽するシフトに調整可能)
 私はこの現状がおかしいと思い、店長に直談判しました。「この職場には嫌がらせが横行しています。具体的に、こう直すべきです」と。それに対して店長の答えは「外科室さんって、意外とプライド高い?笑」でした。この時点で私はこの人と会話する価値を感じなくなりました。

 そして、やっとこの職場をやめる決定的な理由が訪れます。この時の自分は駅のホームで突然泣き始めたり、嘔吐感が止まらず駅のトイレで嘔吐したり、出勤日になっても体が動かない状態でした。
 少し話題が変わります。こんなボロボロな社会生活でまとまったお金が貰えるはずもなく、私はこの会社に入ってから親に借金をはじめました。この話は後述します。とりあえず、仕事の日に仕事に対する拒否感が酷すぎる、しかし親は今の会社で借金を返してもらうことしか考えていない、と板挟みの状態で、限界でした。仕事に行きたくなさすぎて、でも親には仕事に行っていることにしないと、殴られる。そのためこの時期からエア出勤(出勤するフリをして適当な場所で暇をつぶす)をはじめました。
 話を戻します。息も絶え絶えで職場に遅刻した日、偉いバイトから個別に呼び出されてこう言われました。「障害を理由にするのは甘えだよ。ここには、障害があっても頑張っている子はいる。そんなに辛いなら、ヘルプマークでもつければ?笑」と。
 この言葉を聞いた瞬間に「あ、もうこの職場やめよう」と決心しました。遅すぎたのかもしれませんが、自分が辛いことに気づくことが出来ないので、こんなにもボロボロになってから気づくことになりました。帰って親に「今の仕事やめる!」と若干躁になりながら宣言して、先のことを何も考えずに辞めました。

***無職、そして非正規、現在
 散々だった前の職場をやめてしばらく意地で無職をしていました。しかし、親からすればスネかじりのカス。非正規でもいいからさっさと仕事を探せ!と言われて仕方なくindeed(一回目の転職の時から入れっぱなしで一生メールが届くため、おそらく私は一生無職だと思われてる)で仕事を探します。そこで結婚披露宴会場の応募がありました。高校生の時のアルバイトは本当に楽しかったので、ここならと希望を抱き応募。病気のことを伝えた上で非正規で採用。仕事をしてみると、やはり結婚披露宴、もとい宴会などを見るのは楽しい。幸いにも、ここは従業員数が多くあまりバイト同士のコミュニケーションが無い場所だったので、私にとっては居心地が良かったです。仕事も前の経験を活かすことが出来て、楽しい。天職だと思いました。
 しかし病気は襲ってきます。あんなにも仕事は楽しい(仕事中に仕事以外のことを考えていないからかもしれない)のに、あんなに都合のいい職場なのに、朝になると涙が出てきて体が動かなくなります。しかし家にいると親になぐられるため、またエア出勤をボチボチするようになりました。職場には、「心の体調不良」と嘘をつかずに伝えて「落ち着いたら連絡して」と優しい言葉まで貰いました。現に、1ヶ月普通に出勤してたと思ったら突然1ヶ月休んだりするのにら今でも働かせて頂いてます。申し訳ございません。

 問題は親とお金です。お金に余裕が無いことは理解しています。しかしエア出勤時のカフェ巡り、深夜のカラオケ(居るだけ)、気になった本やゲームも買うので親への借金は現在70万ほどです。借金が60万を超えたあたりで親に「消費者金融だけには手を出さないで」「でもこれから家にお金を入れて借金を返していって」と言われて私は「これ以上親に金を借りるのは出来ない」と解釈しました。そのため直ぐに消費者金融から40万ほど借り入れしました。しかもクレカの支払いを滞納したりリボ払いに手を出したりしています。私の体調では安定した収入はまず難しい。しかし親は適応障害は治っていると思っている、いま鬱病みたいなのは甘えと考えているため、話が通じません。

 そもそも私は人からお金を借りることに対しての罪悪感がありません。自分の感情が、分からないんです。きっと、幼い頃から嫌だと思った感情をブラックボックスに捨て続けたり、仕事中は自分を忘れられるという気質のせいで、感情輸入が出来ないか、自他の境界線が深すぎるのだと思います。多分、唯一の学生時代の友人に「10万貸して」も普通に言えます。人間として、カスなのでしょう。


***noteについて
 思考をまとめたり、詩を書いたりしたいと思っています。Twitterでは、同じような借金界隈や鬱病クネクネ界隈の人たちと喋ってみたいです。傷の舐め合いをしたいです。支払いをしたら「偉い❕」仕事をしたら「偉い❕」お風呂に入ったら「偉い❕」と相互に言い合えるような浅っさい傷の舐め合いです。

 あとは、自分の発信する好きな物について、お話出来る人とも、お話してみたいです。

高村光太郎『智恵子抄』 この世の最たる愛のうたです。全文無料で読めるので呼んでください。

Mili『Iron Lotas』 シャオありきかもしれませんが、歌詞と音楽だけでもとても好きです。聞いてください。

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私は、人間のカスですが、よろしくお願い致します。

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