3年ぶりの帰省。
ずっとコロナで地元に帰らなかった。
別に、特段帰りたいとも思っていなかった。
僕の実家は東京からそれほど遠くない。バスで2、3時間といったところの田舎。
今年の連休も帰る予定はなかったけれど、
1ヶ月くらい前に、母から突然LINEで「帰ってきてほしい」
と言われたので帰った。
理由は特に聞きもしなかったし、母も言ってこなかった。
何か買ってきてほしいのある?
って聞いても、「特にないけど、お菓子とか?」
って言っていた。
だからバスに乗る前に、適当なお土産屋さんで
お菓子を数種類買っていった。
3年ぶりにバスで通る道は、工事が終わっていて、
いつの間にか車線が増えて、綺麗になっていた。
トンネルをくぐるたびに、視界を緑が占めていく。
山の中にポツンポツンと民家があって、
田んぼで揺れる稲の波をバスの窓からぼんやりと眺めていた。
それからしばらく目を瞑っていたら、地元のバス停に到着した。
母が車で迎えにきてくれていたので、乗り込むと
「さて、今回のトラブルは・・・」
と、母が帰ってこいと言った理由を説明し出した。
なんのことはない、暗証番号を忘れたから手伝ってということだった。
それなら、そもそも電話ですむ用件じゃないのと思ったが、
母に言われるままに銀行やらに付き合った。
1時間もかからずにそれらは終わり、僕が実家に帰ってくる理由は無くなってしまった。
学生時代に好きだったお弁当屋さんの、生姜焼き弁当を買いに行って
食べたのだけど、原材料の値上がりからか、少し寂しいお弁当になっていた。
母も久しぶりにそこのお弁当を食べたようで、「昔の方がおいしかったね」
って言っていた。
その日は久しぶりの友人に会ったり、お酒を飲んで眠った。
次の日に起きると、1人で墓参りに行った。
面倒なので、母から自転車を借りて。
地元で自転車に乗るのは、余計に久しぶりなことだった。
数年前の台風の被害にあった、この土地は、
それこそ直後は青いビニールシートがそこかしこにある感じで、
”傷跡が残る”といった具合だった。
それから数年が経って、僕が目にするのはさら地ばかり。
母がいうには、「家を壊すのも金がかかるから、みんなやっとさ」
ということらしい。
確かに、被害を受けた建物はずいぶん無くなったけれど
昔からあった家や、旅館がことごとく取り壊されて
何にもない土の一面になっていたことは、僕には衝撃だった。
それと、実家は庭や畑があったのだけれど
庭はコンクリ、畑やそこに続く道は全て除草用のシートで覆われていた。
実家は地面が隠されていた。
「草取り、やりきれないもんね」
と言っていた。
そうして近所を見てみると、昔からある家はほとんどが同じように
除草シートで地面を覆っていた。
”傷跡が残る”
とは、一体いつまで感じることなのだろう。
そんなことを思いながらお墓まで自転車をこいだ。
ほとんど誰ともすれ違わない。
車も数台見送っただけで、誰もいない交差点で
信号機だけが青、黄、赤。そしてまた青。
という仕事をしていた。
おそろしいくらいの静けさだった。
天気も良かったので、空は青く高かった。
耳をすませば、波の寄せては引いていく音が聞こえる。
お墓は変わっていなかった。
きっと文句を言いながらも、時折母が手入れしにきているのだろう。
思えば、お墓参りを自分1人でしているっていうのも初めてなことだったかもしれない。
母から渡された線香を三つくらいに分けて、あげた。
街がそんな感じなので、お墓にも誰もいない。
お寺の前の道路を通る人もいなかったので、
僕はお墓に腰を下ろしてタバコを吸った。
それからそのまま東京行きのバスのチケットを買って、昼前には地元を後にした。
東京に戻ってきてもう1週間近く経とうとしているが、
なぜだかすごく疲れている。
今までは、バスで2、3時間も乗っているせいだ、とか
実家は居心地が悪い、とか
って思っていたけれど。
疲れの原因は、あの静けさにあると今は感じる。
東京は音も視界も賑やかで、
それとのギャップに疲れているような気がする。
なんでもないのに、無駄に時間に追われている感覚がして。
数分おきにやってくる電車も、便利で毎日助かっているのだけれど
やっぱりどこか焦らされているように感じる。
たった24時間の滞在だったけれど、まだ僕の感覚は東京に順応していない。
実家とは、地元とは、そういうものなのか
とも思う。
やっぱり、どう足掻いても
自分の中の原風景というか、心が落ち着くものは
地元にあるんだと感じます。