まちづくりとささやかなシアワセ
まちづくりへの目覚めと創造デザイン
ワタシが住む街は東京の中でもJRの路線名にもなっている自然豊かな西の地域だ。
とても広い地方都市なのでその路線だけでも数駅にわたっている。(乗り換えをすると無人駅になったりするがもっと続いている)
この街に暮らし始めて20年ほど経てようやくその良さに気づいたワタシが取り組んだのはまちづくりの活動だった。
電車に揺られること30分程で立川や国立方面の人気度が上がる街へ立ち寄ることができる。
ワタシはなぜかそのあたりで創造デザインという形でまちづくりを学ぶことになった。
そこで課せられた課題は知らないことが多く新鮮で楽しいものではあったけどデザインのデの字も一切学んだことも興味もなかったワタシにはとてもハードルが高いモノばかりだった。
まちづくりについて学んだこと
なかでも大きな課題はプロジェクトを考えることだった。
ただし考えるのは簡単だった。
思いつくままやりたいことを言葉にし絵にし妄想しだんだんと中身を詰めていった。
この課題は小さなデザイン教室の卒業制作のようなものだったのだけどワタシはなんとなく気づいてしまっていた。
まちづくりの活動あれやこれや
瞬発力だけは自信があるワタシは実際に始めてしまっていた。
絵を描くことが好きだったこともありまちの人をつかまえてはスケッチさせてもらいながらおしゃべりやら交流をしたりしてみたのだ。
調子に乗ったワタシはこの街の推しのスポットでもある織物工場をリノベーションしたミニシアターに併設した小さなカフェで映画鑑賞座談会的なものを開催してみようと思いついたのだった。
プロジェクトを考えることと実際にやってみることとは全然違っていた。
まず人が思ったように呼べなかったのだ。
落胆したワタシは結局数回開催しただけで諦めてしまった。
プロジェクトではなく日常だという気づき
課題とは別に数名で立ち上げた割と大きなイベント型プロジェクトにも参加したことがあった。
これは自分の街ではなかったし結果的にうまくはいったのだけどその過程において問題点を発見するにはかなり役立った。
さらにコレジャナイ感に気づいてしまったワタシは逃げるように教室から抜けることになったのだった。
常々ワタシがこの街に感じていることは閉じられた世界に新参者はなかなか入って行きづらいしそこに居合わせた人たちに声がかけづらいということだ。
その空間になにかきっかけさえ見つかればそれは打ち破れるんじゃないかと思っていたワタシは色々試してみたのだけどそう簡単にはうまくいかなかった。
どれだけまちづくりに積極的に取り組んだ街であってもそこに住む人々にその意識がなければそれは成り立たないのではないか。
それを望むような住民がそもそもいないのではないか。
活動を重ねるうちにだんだんとそう思うようになったワタシはプロジェクト自体を拒否してしまったのだった。
そんなこんなでまちづくり活動のあれこれに疲れ果ててしまったワタシはもはや街のアピールに情熱を傾けることにした。
これが意外と楽しかった。
住んでいながらまだまだ知らない場所も多くあちこちへ出かけて行っては新たな発見をしまちについて考え可能な限り街の人たちと交流するようにした。
ワタシの願うまちづくりとはそんな日常にあるのだと気づいた。
再開発がじわじわとすすんでいる。
いっぽうでは少子高齢化による過疎化の懸念もぬぐえない。
それでも今ワタシはこの地に住んでいて愛着もある。
他の街と比べていたってはじまらない。
憧れはあるけど真似をしたところでそうなるとは限らない。
このまちにはこのまちに合うやり方がきっとあるはずだと思っている。
少しでもまちの賑わいが増えて活気あふれる地になることを願ってその魅力を味わい伝え興味を持ってもらえたらこんなにうれしいことはない。
そんなささやかな楽しみを見出しながらまだまだここに住み続けようと思っている。
※イラストについては過去に描いたものであるためテイストがバラバラですことをお許しくださいませ。
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