”恩着せがましい”からの卒業
さて、今宵は何を書こう。
そういえば、今日嫁から
「そういえば、いつの間にか恩着せがましくなくなったよね。」
と言われた。
「昔は掃除したり、洗い物しただけで「ありがとうは?」とか感謝を要求してきてたくせに、最近そういうのパッタリなくなったね。」
と。
確かに、昔の私は恩着せがましかった。
別に親のせいにするわけではないけど、親の影響は大きいところだと思う。
わたしの母は承認欲求が非常に強く、そんな母に怒られる時は決まって
「わたしは洗濯物もして、掃除もして、あんたたちの料理も作って毎日ヘトヘトなのに、あんたは何度言っても靴下すら洗濯カゴに入れない。朝も寝坊するし、やりたいことやってるくせに・・・」
と、わたしのよくない諸行をあらゆる過去から持ち出して責め、最後の決め台詞として
「あんたは感謝が足りない!」
と、怒ることが多かった。
当時は感謝を要求されることが嫌で嫌で、「感謝は要求するものじゃなくて、湧き上がってくるものだろ?」とか思っていたくせに、
いつの間にかわたしも感謝を要求する大人になっていた。
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結婚してもうすぐ4年。
そんなタイミングで嫁から言われたのが冒頭の
「そういえば、いつの間にか恩着せがましくなくなったよね。」
だった。
自分でも不思議なくらい、今は「ありがとうは?」などと感謝を要求することがなくなった。
それどころか、別に感謝されようがされまいが別にどうでも良いとすら思っている。
なぜなら、掃除にしろ皿洗いにしろ、自分がやりたくてやっているだけなのだから。
多分結婚した当初は、掃除を”手伝ってあげている”、皿洗いを”してあげている”、仕事をしてお金を”稼いであげている”と、
嫁に対して”やってあげている”という気持ちだったように感じる。
対照的に今は、掃除を”やろうと思ってやっている”、皿洗いを”自分がやるべきだと思ってやっている”、仕事をしてお金を稼いで”家族を養いたいと思ってやっている”というように、
自分がやりたくて、自分がやるべきだという責任感があるからやるようになった。
この感情の変化はひとえに、嫁の教育の賜物だと思う。
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昭和の名残で、今でも「家のことは嫁がやるべきだ、女がやるべきだ。」みたいな雰囲気というか空気が残っている家庭は多いんじゃないだろうか。
言葉に出さずとも、今までの常識というか、男性はどこかで家事を「範囲外」と思い込んでいる節があるんじゃないだろうか。
それを我が事と認識できるかどうかで、”やってあげている”ではなく”やりたいからやる”と考えられるかどうかで、結果は大きく変わってくる。
”やってあげている”の姿勢であれば、それはいつまで経っても感謝の要求から抜け出すことはできないのだろう。
おじゅん