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フィクション

写真と暮らしている。

この家では手の届くところにカメラを置いておくことにしている。光がわたしに届いたらすぐシャッターを切れるように。

朝、光の筋をみつける。
しっかりとした光をみたくなり、のそのそと布団から出ることにした。ぶくぶくという湯が沸く音を聞く、体にいい気がするから毎朝白湯を飲む。
白湯を飲み始めてからなんとなく調子がいいような気がする

わたしは写真と共にある。

湯を沸かし、今日の豆を選び、コーヒーを淹れる。コーヒーを飲みながら朝ごはんを作る。
毎朝同じことをくりかえす。

私のそばには写真がずっとある。
寝顔やあくび、お化粧中、食べ終わったものや散らかる部屋も写真に残す。
全て赤裸々に。

人に奪われたものたちを、プレゼントしている。優しさや信じることを。

わたしたちは写真と共にある。

写真と共にいると写真からわかるものがあるのだと知った。傷ついたこと、穏やかな気持ち、大切なものに向ける優しさも全て写るから。

私の写真を見て、助けを求めているように感じたと言った。

そうだった、眠れない夜も、死んでしまいたいくらいどうしようもない時も涙を流しながら写真を撮った、そんなの誰も知らなくて。
私は人が作り上げた像でしかなかった。
仕方がない事だとわかりつつ…

それでも、写真の中に本当はしようもない人間なんです、見つけてください、私はここにいますよ、本当はキラキラとしたシーグラスのような気持ちを沢山持っているのですよ。
見つけてください。
見つけてください。
と込めていたのです。
それが、言わずして見つけてもらえた時。
星がきらりと流れて寿命を迎えたように。
写真に込めた思いや私の眠れない夜は消えたのでした。

私は何ができるだろうか。
そう考える時間が増えた。
昔読んだ本で愛とはなにかを教わった。
孤独だと人は死ぬ事。
人に与える事ができるということはとても豊かな事で幸せなのだと。
逆に与えることのできない人は心が貧しいのだと。愛する事は相手を信じるという事なのだと。

これは生きていく上で、恋だとか愛だとかなくても必要だと思う。



隣人を愛せとはよく言ったもので、私も誰かの隣人なのですね、そしてあなたも…

-フィクションです。

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