日記 2023/10/22 先new観
あまり話したことのない年下の人に、とあるアーティストの名前を羅列して「誰々とか、そっち系聴いてそう」と言われてなんだか不穏な気持ちになった。
まだそこまで打ち解けていない間柄の人と話すとき、先入観を提示して事実と比較してみるという会話を取る場合がある。話題の切り口が難しいと、自分のイメージを先に話すことで相手が話しやすくなるというパターン。私もたまにその方法を取ることがある。「何何が好きということは何何も好き?」とか。でも今回は言われてみて、「む、?」という感情になる。私は自分のことを殆ど開示していないので、完全なる先入観・偏見での発言だった。
好きなものは純粋に好きなものとして尊重されるべき。何が好きかで人間性をカテゴライズするのは違う。彼女の発言は「つまりあなたはこういう人」というニュアンスを含んでいて、それが私は気に食わなかった。ひとつのアーティストを言われるならまだしも、複数でグループ化されたことも尚更。いや、待てよ。ハッとして立ち止まる。それって、私がカテゴライズしてそこにジャッジを下していることになるのかしら?不快感を抱くということは、私が勝手に彼らに負のイメージを抱いているからでは。私に罪がある…?
私は好きなものに対して、信念のような、ポリシーのような、とにかく強い思い入れがある(多くの人がそうであるように)。ときに精神的な支えになり、思考のヒントになる。私はそうした方々や彼らの創作物を通して、やるせない日々に希望を見出したり(陳腐だね)、置いてきてしまった大切な人や物を思い出したり、新しい眼差しで景色を見たりできる。多分それを完全無視した上での「〇〇っぽい」と一蹴されたことが、嫌だったのだと思う。
特に大人になってからは、人と話すときなるべく先入観を持ちすぎないように、持っても表に出さないように心がけて話すようにしている。好きなものが見た目に出ることもあるから、先入観やイメージを抱いてしまうことがあるのはある程度仕方ない。でも、その気持ちは第一印象の段階で置いていく。あとは相手との対話で、私しか知らないあなたが見えてくるはず。その過程が私はすごく好きなので。
その年下の子に「イメージですけど、彼氏と同棲してそう」と言われて流石に意味がわからなくて大笑いしてしまった。ここまで来るとちょっと面白くて、もう少しあなたの先入観聞かせて、と思ってしまっている自分がいることは、偽れない。