見出し画像

55「MとRの物語(Aルート)」第三章 16節 スパゲティ・カルボナーラ

第三章は、流れ的に、今回で終りのつもりだったんだけど、
気付けば第17節に、続く感じに。なぜそうなったのか。
たぶんその答えは、「女神」が知っているはず。

(目次はこちら)

 その夜、母と二人で夕食(Rの作ったスパゲティ・カルボナーラ)を食べながら、豊饒の海三巻読了と、ご褒美の指輪の話をした。そこでRは、Mからもらった指輪が、母親がこっそり用意していたものだと知った。

「ええ?! そんな! Mさんと内緒ごとなんて、ひどいよ!」

母親は、ぺろ、と舌を出して言った。

「ごめんね。たまにはRちゃんを驚かせたくてね。それより3巻読了の私からのご褒美は、三保の松原への日帰り旅行にしたいんだけど、いい?」

「え? みほのまつばら? 何それ……」

三保の松原とは、静岡の景勝地。清水港の東にある、半島の松林である。Mをはじめ、多くの小説家、作家、文豪達が、この地を訪れ、その作品にしたためていた。Mの作品で三保の松原が登場するのは、「豊饒の海・第四巻 天人五衰(てんにんのごすい)」においてである。つまりRの母は、Rが第四巻を読む前に、四巻の舞台となる土地の一つである三保の松原を、Rに見せておこうというつもりなのだ。

「えー? それってネタバレ?」

「そうね……。ある意味ネタバレになっちゃうかもね」

「ある意味……? どういうこと?」

二人の横で、コーヒーを飲みながら黙って聞いていたMが、二人の会話に割り込んだ。

「三保の松原はね、ある意味、第四巻におけるただの1シーンとしての意味しかないんだけれど、ある意味、豊饒の海という作品全体を暗示する、すごく重要な風景でもあるんだ。Rには第四巻を読む前に、その風景を見ておいて欲しい。そう思って、俺がお母さんに頼んでおいたんだ」

「Mさんが?」

「うん……。詳しくは、Rが四巻を読み終えてから話したいんだけど、四巻は、特に、三保の松原と清水港は、実際に見てもらってから読んで欲しいと思うんだ。一巻から三巻まで、俺の風景描写がすごくわかりづらいというのは、もうRにも感じ取ってもらっていると思う。それでね、四巻では、現実の三保の松原と、清水港を見てもらってから、Rに俺の描写を、読んでもらいたい。それが今の俺の、切実な願いなんだ」

「いいけど、それって私じゃなくてもいいんじゃない? Mさんは、あの世にいるいろんな人の、記憶を見れるんだよね? だったら、その松原を見て、その後Mさんの小説を読んだ人も、きっといたんじゃないかな?」

「そうだな……。その通りだ……。じゃあ、逆にこう言おうか。俺はそういう人達の感想に触れて、そしてRと出会って、こう思ったんだ。Rには、三保の松原と清水港を見てから、天人五衰を読んで欲しいんだ。駄目かな?」

RはMを見た。Mは、悲しそうな目で天井を見上げていた。その右手は、コーヒーカップに触れたまま。

「Mさん、なんでそんな悲しそうな目をするの?」

しばらく黙って考えたあと、Mは言った。

「それはね。俺がうまく表現しきれていなかったんだ。俺は完璧な小説を書いたと思った。だから自刃も躊躇せずにできたんだ。でも、それは俺の過大評価だった。俺の描写は、完璧ではなかったんだ。R、お前には俺の、伝えたかったものをすべて読み取って欲しいんだ……。駄目かな?」

ぽろ……、とMの目から涙がこぼれた。MはRからそれを隠すように、天井の隅に視線を移動した。

「ううん? 駄目じゃないよ? Mさんがそうして欲しいなら、私はそうするよ」

Mは何も言わなかった。Rの母が言った。

「じゃあ、次の土曜日に清水港にいって、おいしいものを食べて、そのあと松原にゴー!」

「ゴー!」Rが右手を突き上げた。テーブルのお箸に手が当たり、あらぬ方向へと飛び、母とRは笑った。Mもそれを見て、思わず噴き出した。

<つづく>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?