63「MとRの物語(Aルート)」第四章 3節 鮎の奔流・その1
さっき「鮎の遡流(そりゅう)」というタイトルで投稿したんだけど、
「鮎の奔流」に変更。こちらの方が、よりMさんっぽいね。
川の流れは、時間、運命などを表し、これを全身全霊でさかのぼり、
上流での産卵をめざす、高貴な鮎たちを描きたいという思い。
「MとRの物語(Aルート)」第四章 3節 鮎の奔流・その1
Rは今日も、「豊饒の海 第四巻・天人五衰(てんにんごすい)」にしがみつき、猛スピードで読み進めていく。トイレでも、学校でも、家に帰ってからも。何かを口に入れるのも忘れ勝ちとなるRに、家ではMが甲斐甲斐しくお菓子やコーヒー、ジュースなどを運んだ。かつては天才小説家と呼ばれ、それを当然と思っていたMだが、そんな自分が今はRの下僕(げぼく)と化していた。Mはそんな状況を、楽しんでいた。何よりRの、小説への没頭が嬉しかった。それだけでMにとっては、何よりのご褒美だった。MはノートPCで調べものをしながら、時折Rの顔と開かれたページを、ちら、と盗み見た。
第四巻の冒頭には、Mが予言しておいたとおり、静岡県清水市の、通信所が舞台として登場した。そこに務める少年、安永透(やすなが とおる)。彼の眺めている海の描写が、難解ながらも美しい、とRは感じた。
潮は少しずつ満ち、波もやや高まり、
陸は巧妙きわまる浸透によって犯されてゆく。
日が雲に覆われたので、海の色はやや険しい暗い緑になった。
そのなかに、東から西へながながと伸びた白い筋がある。
巨大な中啓(ちゅうけい)のような形をしている。
そこだけ平面が捩(ねじ)れているように見え、
捩じれていない要(かなめ)に近い部分は、
中啓の黒骨の黒っぽさを以(もっ)て、
濃緑の平面に紛れ入っている。
日が再びあきらかになった。
海は再び白光を滑らかに宿して、
南西の風の命ずるままに、
無数の海驢(あしか)の背のような波影を、
東北へ東北へと移している。
尽きることのないその水の群の大移動が、
何ほども陸に溢(あふ)れるわけではなく、
氾濫(はんらん)は遠い月の力でしっかりと制御されている。
雲は鰯雲(いわしぐも)になって、
空の半ばを覆(おお)うた。
日はその雲の上方に、静かに白く破裂している。
※新潮文庫・「天人五衰(豊穣の海・第四巻)」
三島由紀夫著 P.6より引用、改行位置調整
海と月と太陽。それは「豊饒の海」という作品における、大きな3つのモチーフであり、それらのキーワードは何度となく、作中に出てくる。そしてその3つの関係が、時おり遠慮がちに提示され、何かがほのめかされている。ここではそれは「氾濫(はんらん)は遠い月の力でしっかりと制御されている」、という部分である。この奥ゆかしいほのめかしが、Rには読み取れたか。いや、一読しただけでは無理かな、とMは思う。豊饒の海という作品を何度も読むことにより、それらの関係が、またそれらの意味する所が、だんだんと明らかになっていくのだ。簡単に言えば、日は男性を、月は女性を、海は彼岸を表す、と言ってしまうと少々乱暴すぎるが、少なくともそういう、言葉の背後に潜む「何か」を読み取ろうとしないと、Mの文章は、難解きわまる駄文と成り下がる。その点Rは、その「何か」を特定できないながらも感じ取り、きっとあとでわかると考えてさらっと読み流した。MはそんなRの思考を読み、ほっとした。
(作者注:上記は私の解釈であり、Mさんの真意とは異な
る恐れが多分にあります)
安永透は本多透となり、第三巻までの流れ以上に淡々とした感じで、ストーリーが進んでいったが、やがてその全体に、暗い雲が影を落とし始める。それは青い空を覆う、鰯雲(いわしぐも)の群なのか。
四巻での主要な登場人物は、七十六歳になった、本多くんと、通信士、安永透、そして三巻から登場していた久松慶子という、自由奔放な女性の3人。くわえて、「美醜」を象徴させられた存在である、少女二人。彼らはかつて、あるいは今、輝いており、やがてその輝きを失っていくべき存在でもある。その中で最後まで強く輝くものが、「醜さ」であるというのが、何とも人生の皮肉というものを強く感じさせる。本多は安永透を養子とし、選ばれた名士としてマナーを教え込むことにより、その牙を抜くことで、彼を生き永らえさせようとした。本多は彼を、清顕(きよあき)、勲(いさお)、ジン・ジャンらの転生者だと考えており、ならば彼は、二十歳になる前に死ぬだろう。それが彼の宿命。美しい天使達は、美しいままに飛び立つのが運命なのだ。しかし本多はそれを良しとはしない。
透には、俺と同様に、決してあんな空恐(そらおそ)ろしい
詩も至福もゆるしてはいけない。
これがあの少年に対する俺の教育方針だ。
※新潮文庫・「天人五衰(豊穣の海・第四巻)」
三島由紀夫著 P.150より引用、改行位置調整
Mは思う。ここでの「詩」と「至福」が読み解けてこそ、本多の本当の「悪意」が見えてくる。詩とは純粋な、魂からの言葉を発しつつ、それを実現することなくはかなく散っていった若者たち、具体的に言うと、「神風特攻隊」として散っていった、若者たちを表している。「至福」とは敗戦後の空虚な幸福を享受する肥え太った資本家どもや、彼らに従う労働者たちの「服従心」を、表している。つまり本多は透から、潔い死も、退廃的な生もそのいずれをも奪い、透を、生も死もない牢獄に閉じ込めようとする、悪魔のような試みをなそうとしていたのだった。運命により、輝きながら死んでいくことを約束された透は、そんな本多の企てを、やすやすと、甘んじて受け取るわけがない。羽衣を奪われた天使が、みすみすその滅びを待ち、さめざめと泣き続けるわけがない。本多の慢心は、天使である透のみならず、本多自身をも、五衰させていくことになるのだ。ふっと笑って、Mはテーブルのコーヒーカップを取り、それが空なのに気付いた。立ち上がり、Rのカップも空なのに気付いて取り上げる。
(作者注:上記は私の解釈であり、Mさんの真意とは異な
る恐れが多分にあります)
Mは考える。
そろそろRとの共同執筆の計画を、
Rとともに立てていきたい所だが……。
そもそもRに、小説を書きたいという気持ちはあるのか?
第一俺自身に、豊饒の海・第五巻を書きたい気はあるのか?
今回の転生の瞬間に見た、Rの持つ「豊饒の海・第一巻」、
太古の竜と、妹の記憶を奪われていた俺は、
それを女神による、俺への挑戦であると解釈し、
五巻の執筆を第一の目標とし、それに答えようとしたわけだが……。
女神の考える「ゲーム」のゴールは、それではなかったようだ。
俺にとって第四巻は、不本意な状況での執筆ではあったが……。
あれはあれで、俺自身納得した上での入稿ではなかったのか?
何の理由もなくなった今、第五巻という蛇足をつける必要はあるのか?
Rのカップをテーブルに置くと、Rがありがとうと言って微笑んだ。
「いや……。それより、少し休憩しようか。つまらなかったら読むのを止めてもいいし、しばらく別のことで、気晴らしをしてもいい」
「ううん、あと少しだから、一気に最後まで読んじゃうよ。今ちょっと、進みが悪くなってるけどね。でもほら、あと半分超えてるよ」
Rの開いているのは、四巻唯一のテキスト中テキストである、透の日記のシーンであった。知能が高く、聡明な少年であるはずの透が、なぜこのような、犯罪の証拠となるような日記を綴っていたのかと、生前のMは、親しい人に何度か聞かれたが、Mはそれに、答えることが出来なかったことを思い出した。第四巻における、いくつかある疵(きず)のうちの一つだと、今のMならば、正直に明かすことが出来る。資料の読み込みと取材と肉体の強化と家族とのふれあいと自決の計画で、その頃のMは疲弊しきっていた。そんな中での執筆でこれだけの作品を生みだせたことこそが、Mの強靭で驚異的な才能を示している。だがMには、そんな小さな疵さえ今でも許せない。Mとその作品は、すべてにおいて、完璧でなければならなかったのだ。
五巻を書く理由があるとしたらそこか……。
まったく傷のない、完璧な作品を……。
しかし執筆の経験のないRとの共同作業で、
そこまでRに負担を負わせていいものか……、
いや、駄目だ。Rには楽しんで書いてもらいたい。
「Mさん?」
「ん?」
「これを読み終えたら、第五巻を書いていくんだよね?」
「あ、ああ……、実は今、どうしようかと思ってた所だ。Rが書きたいならいいけど、そうじゃないなら、書かないというのも一つの手かもしれない」
「そうなの? でも第四巻は、不本意な出来だって言ってたよね?」
「ああ、そうなんだけど、豊饒の海は俺が生んだ、正真正銘の俺の子だ。どんなに出来の悪い子でも、親にとってはかわいいものなんだ。四巻も、少しは疵があるものの、完璧に近い、俺自身のかわいい子供なんだ。そのことにね、最近俺は気付いた」
「そうなんだ、残念……、色々アイディア考えてたんだけどなあ」
「あ、Rが書きたいものがあるなら、俺は全力でサポートするつもりだが……。アイディアってどういうのか、聞いてもいいかな?」
「うん、ひとつはね、こうやってMさんと一緒に、どうやって小説を書こうかーって悩む小説。タイトルはね、MとRの物語」
「小説を書く小説、か。面白いかもしれないな。でも、ちょっと非現実的で、ご都合主義的な展開になっちゃうかもな」
「ご都合主義的って?」
カチャカチャ、とPCをいじるM。そこに表示された「ご都合主義」についての説明を、Mは読み上げた。
>御都合主義(ごつごうしゅぎ)とは
>言動や主張に一貫性がなく、
>その時々の当人の御都合に流されて行動する様のこと。
>ストーリーの進行に都合のよいように作られた、
>強引もしくは安直な設定・展開のこと。
(Wikipedia「御都合主義」より。改行調整)
「強引もしくは安直な設定、展開……。Mさんが転生して、私と一緒になって、とかもそうかな?」
「そうだな……。ただまあ、それだって、Rと俺にとっては現実だから、誰に文句を言われる筋合いもないかもしれない。事実は小説より奇なり、だな。あ、もうひとつ根本的な問題がある。あの世のことや、阿頼耶識のことは、神やあの世の存在にとって、門外不出の極秘事項だ。俺がこうやって、RやRの母親に、転生のことを話しているのを、神が見逃してくれていること自体、奇跡のようなことなんだ。それをこの世に広めてしまうというのは、例えフィクションという注意書きを付けてあっても、神は許さないと思う」
「ああ、そうだね……。うーーん、いいアイディアなんだけどなあ、しょうがないね」
「他にはアイディアは?」
「今はない!」Rはきっぱりと言った。「でも考え中のはあるから、また今度ね」
「ああ」
第四巻で本多は、「詩も至福もゆるしてはいけない」と言っていたが……。こうして詩も至福も手に入れつつある作者Mの存在を知ったら、彼はどれほど悔しがるだろう。そうだ……、これが四巻までの、豊饒の海にはなかったもの……、本多が回想で、母のホットケーキに感じていたもの。そして幼かったMが、青年だった頃に、母のホットケーキに感じたもの。それらがRとともに、「豊饒の海第五巻」に書くべきもの、なのかもしれない、とMは思った。
そして母は、小ぶりのフライパンを火鉢にかけ、
新聞紙(しんぶんがみ)に浸した油で隅々まで潤(うるお)した末、
彼の帰宅を待って作っていたらしいホット・ケーキの
白い泡だった乳液を、はや煮立っている油の上へ、
巧みな丸を描いて注(そそ)いだ。
本多が夢にたびたび想起するのは、そのときのホット・ケーキの
忘れられぬ旨(うま)さである。
雪の中をかえってきて、
炬燵にあたたまりながら喰(た)べた
その蜜(みつ)とバターが融(と)け込んだ美味である。
生涯本多はあんな美味(おい)しいものを喰べた記憶がない。
※新潮文庫・「天人五衰(豊穣の海・第四巻)」
三島由紀夫著 P.59より引用、改行位置調整
そのあと延々と記述された、ホット・ケーキの美味しさについての描写。そうだ……、あれこそが、俺の書くべき「純文学」だったのかもしれない。あのような描写が詰まったものを、俺は書けるだろうか? そうだ、Rと一緒なら、書けるかもしれない。Mは数十年ぶりに、あの母のホット・ケーキを、食べてみたいと思った。