23「MとRの物語(Aルート)」第一章 19節 湯船と構想

多少強引だけれど、第一章を終えさせてみる。
ここまで読んでくださったみなさま、おつかれさまでした!
第五巻執筆の話になると、難しくてとたんにRちゃんが寝そうになる。
どうしたものか……。

(目次はこちら)


「MとRの物語(Aルート)」第一章 19節 湯船と構想

 かわいいよ、かわいいよMさん、という、Rのはじけるような思念が、俺の心にうるさいほど響いてくる。しかしとがめるのもかわいそうだ。俺は我慢することに決めた。俺に出会ってから、Rの思考はいい方向へと向かっている。俺がそう仕向けている部分もあるが、ほとんどは、Rによる自発的な変化だ。いや、それだけか? もしかしたらこうやって、常時心と心を触れ合わせていることによる、共鳴とか共振のようなものも、あるのかもしれない。かつて魔族を操り、この世界を支配しようとした俺とは思えないほど、俺自身の性格も、変わってしまっている。「入れ物」の脳の性能や性質によって、思考や感情が縛られることはあるのだけど、ここまで変質してしまうこともあるのだという事実は、この俺にとっても、驚きだった。神はそんな俺を許すのだろうか? それともそれこそが、神の意志なのか。

 Rが服を脱ぎながら、鼻歌を歌い始めた。さっきあれほど、常識を覆すような出来事が起きたというのに、この気楽さはなんだ。いや、この娘はそうなのだ。ちょっとしたことに、敏感に動じてしまうこともあるが、他方、とんでもない事態にけろっとしていることもある。それがこの娘の、非常に危険な部分でもあるし、俺がこの娘に、深く興味をそそられる部分でもあるのだ。

 浴槽に半分ほどたまったお湯に、Rが身を沈めた。Rの心が喜んでいる。歪んだ形でしか心を動かせないRにしては、素直すぎる反応で、俺はそんなRをかわいいと思った。Rが俺の心に触れようと、心の指を伸ばしている。

 どうした?

 ん? ばれちゃった?
 プロット、うまくいってるかなって気になって。

 ああ……。
 まだ考えてなかった。
 まあ、ずっと以前に、ある程度は考えてあったから、
 いきなり書きながら、考えてもいいかもしれないけどね。
 
 そうなんだ。
 今どこまで考えてあるか、少しだけ、教えてもらってもいい?

 うん……。
 まず、俺がこの世界で、「豊穣の海」の執筆をしていた頃、
 それは五巻構成となるはずだった。
 だがその頃、いろいろあって、俺はそれを四巻構成に変更した。
 さらに俺は、その最終話を、1971年に発表するはずだったが、
 それもある事情により、1970年に、前倒しせざるを得なくなった。
 つまり、「豊穣の海・第四巻」は、
 俺にとって、不本意極まりない出来栄えだったんだ。
 しかしもう、第四巻の書き直しは難しいから、
 まったく違った方向から、第五巻としてのアプローチを加え、
 「豊穣の海」を、完全なるものとする。
 具体的に言うとね、俺は最初、第五巻で、
 物語の語り手を、殺すはずだった。
 だが結局、発表した第四巻の最後で、語り手である本多君は、
 生き延びてしまっている。これをなんとかしたいんだ。

 なんとかするって……、殺すの?

 いや、それだとつまらないな。
 Wikipediaで調べてみるとわかるが、
 俺の考えた「豊穣の海・第五巻」の概要は、
 もう公開されてしまっていて、
 たぶんファンなら誰でも、知っているはずだ。
 そんなものを、俺は書かない。ならばどうする?
 答えは簡単だ。別の視点、別方向のインパクトを加える。
 例えば、高速道路を走る車に、斜めからの衝撃を加えると、
 重いはずの自動車が、まるで空き缶のように、
 軽々とジャンプする。
 俺が今考えているのは、そういうアプローチだ。
 登場人物、時代、世界観、そのほとんどを変えて、
 「豊穣の海」という作品そのものにぶつける。
 すると、「豊穣の海」の世界はいったん崩壊させられ、
 その後あらたな「豊穣の海」が、読者の脳に再構築される。
 ゲシュタルト崩壊、というやつだな。面白いだろ?

 うーん……、むずかしくてよくわからないよ。

Rはあくびをかみ殺している。この娘にはちょっと、難しすぎたか。

 簡単に言おうか。
 時代は現代にする。平成の、今だ。
 そこに、現代の日本の世相や事件を、登場させる。
 例えば安倍総理、小池都知事などの政治や、
 地球温暖化、pm2.5、イスラム国などの、世界規模の問題。
 そういったものを……、

Rの身体が、左右に不規則に揺れ始めた。とうとうお風呂の中で、居眠りを始めたようだ。これでも駄目か……、これでも退屈なのか……、俺は平成の日本の若者に、絶望しかけていた。

 おい、R、起きろ。溺れるぞ。

 う、うん……、むにゃむにゃ。

まあ、しょうがないな。Rだけじゃない。もっとやわらかく噛んで、優しく口移しで与えないと、今の若者は、消化しきれなさそうだ。純文学とは、そんなヤワなものであってはならない。少なくとも、俺の時代には、文学とは硬派のたしなみだった。石原新太郎のような、気骨のある男がリードする晴れ舞台だった。日本は本当に、変わってしまったな。まあ、悪い方向だけじゃなく、いい方向にもだが……。俺も少し執筆スタイルを、今風に変えないといけないかもしれないな。そうだ、今を生きる人達は、変化をし続けている。俺も変化し続けなければ。それが神の望むことなのだから。そうしないと人間は、生きてはいられないのだから。

MとRの物語・Aルート 第一章 再生 <了>

<つづく>

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