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29「MとRの物語(Aルート)」第二章 6節 「神風連 史話」リライト

いつも本当に、ありがとうございます。
今日は調子がいいのでもう少し。

(目次はこちら)

「MとRの物語(Aルート)」第二章 6節 「神風連 史話」リライト

「神風連 史話(しんぷうれん しわ)」  作者:M

  時は明治6年。季節は夏。
  いわゆる、「明治維新」の、最後の最後の大舞台が始まろうとしていた。
  多くの武士達の、哀しいほどの願いを託された5人の男達が、
  村の大神宮に集い、神の言葉を授かるための、
  儀式をとり行おうとしていた。

  「太田黒さん! 我々も、神の言葉を見届けたいのですが!」

  「ならん。すべてを一人で執り行うこと、それがこの儀式、
   宇気比(うけい)の習わしだ」

  ぐぬぬう、と黙り込んだ男。
  それは壮年で、厳しい顔立ちをした、加屋霽堅(かやはるかた)だった。
  太田黒がもっとも頼りとする男、それが加屋であった。

  「うむ。太田黒殿のいいぶんもごもっとも、じゃが……」
  そう言ったのは、すでに還暦を超えた老人、上野堅吾。
  彼もまた、眉間に深いしわの彫り込まれた、生真面目な男だった。

  あとの2人。
  斉藤求三郎と、愛敬正元(あいきょうまさもと)は、
  かたずをのみ、太田黒の返事を待っている。
  
  太田黒は笑顔で、そんな4人の顔を見つめ、そして言った。
  「大丈夫だ、俺は神を信じる。俺たちは、死ぬも生きるも一緒だ」
  
  彼らは武士だった。あざけりも込めて、彼らは神風連と呼ばれた。
  彼らには多くの武士の、願いが託されていた。
  それは、
  「武士の魂である刀を奪われるくらいなら、死んだ方がましだ!」、
  という思いであった。
  太田黒以下、4人は、そんな多くの武士達の思いに突き動かされ、
  明治維新の大舞台、「神風連の乱」へと、突き進んでいく。
  だが、そんな彼らの出鼻を、神はくじいた。
  太田黒がとりおこなった、儀式で得られた神の答えは、
  「不可」、つまり事(反乱)を起こしてはならぬ、というものだった。
  ぐぬうう、とうなる加屋。
  
  「そんな……。神は我らの死さえも欲さぬと申されるのか」、と求三郎。
  「うろたえるな。一度ならず何度でも、宇気比(うけい)を行えば
   よいのだ!」、とまさもと。

  彼らがなぜそれほどまでに、侍の魂、「刀」にこだわったのかと、
  あえてここで述べるまでもないだろう。
  「侍」というものは、主君に仕える者。太田黒ほか、多くの九州の
  侍達にとっての主君とは、天皇だった。刀は、そんな天皇陛下を
  お守りするための、ただひとつ、彼らに許された武器であったのだ。
  幕府はそんな彼らの武器を、奪おうと試みている。
  ならばそんな幕府は倒すまで。それがならぬなら、ともに死すまで。

  かつて、太田黒らの師である、林桜園(はやし おうえん)先生は、
  こう言った。

   幽(かく)り世(よ)には生死なく、
   現(うつ)し世(よ)の生死はそもそも、
   いざなぎ・いざなみ二柱の神の、
   御宇気比(みうけい)から起こったのである。

   しかし、人は神の子であるから、
   その心身にもろもろの罪穢(つみけがれ)を犯さず、
   神ながらの古道を履(ふ)んで、
   直く、正しく、清々(すがすが)しければ、
   現し世から死・滅の境を脱して、
   天に昇って、神となることが出来るのである。

   ※新潮文庫・「奔馬(豊穣の海・第二巻)」
          三島由紀夫著 P.85より引用、改行位置など調整

  太田黒らにとって、桜園の言葉は、絶対であった。
  さらに桜園は、こうも言った。

   昇天秘説の訓(おし)えについて述べよう。
   凡(およ)そ天に昇るには、
   必ず天(あま)の柱か、天の浮橋によるべきで、
   この二つの道は異ならぬ。
   天の柱、天の浮橋は、
   その身の穢(けが)れた俗衆には見えず、
   ましてそれを伝って昇るなど思いもよらぬ。
   俗衆その身の汚穢(おえ)を祓(はら)いて、
   清々しい心にて古(いにしえ)にのぞめば、
   それらの道は、おのずから眼前に立ち現れ、
   それを伝いて高天原(たかまがはら)にぞ至りける。

   ※新潮文庫・「奔馬(豊穣の海・第二巻)」
          三島由紀夫著 P.112を手直し

  「武士の魂である刀を奪われるくらいなら、死んだ方がましだ!」
  そのような悲痛な叫びをあげつつ、太田黒達を頼った、
  その数、170余名。
  彼らに、死に場所を与えることが、太田黒達の使命……。

  いや、そうではない。
  あくまも第一の目標は、武士の本分を、魂を、取り戻すことだ。
  それがならぬ場合の死、という選択である。
  だが、太田黒は早い段階から知っていたのだ。
  170人余名の、そのほとんどの死が近いことを。

  侍が、「軍隊」に取って変わられようとしていた。
  日本刀は、「サーベル」に変えられた。
  憤る熊本の侍達。そんな彼らの思いを、神は汲み取ってくださった。
  太田黒が行った、二度目の儀式、宇気比(うけい)で、
  神が「可なり」と告げたのだ。太田黒と4人は、ほっとした。

  「失敗ならば死、成功したとしても死」

  純粋な彼らの暴走が、今始まった。
  熊本城を占拠する者達、幕府の要人を暗殺し、火つけをする者達。
  
  夜に乗じて、その企みは、最初はうまくいった。
  だが冷静さを取り戻し、西洋の兵器である「銃」を持つ、
  幕府の軍隊の、冷徹な人海戦術の前には、なすすべもない。
  新風連の男達は、次々と銃弾に、倒れていった。
  無謀なる者は、日本刀を掲げて玉砕し、
  賢明なる者は、闇に乗じてひとまずの撤退をした。

  だが、失敗ならば死、成功したとしても死だ。
  撤退した者たちも、潔く自決して、この乱は終末を迎える。
  
  太田黒、民家にて義兄に介錯されて死亡。
  また官兵に追われた同士達が、自刃。
  その他多くの同士達も、数日のうちに自刃。
  清々しいまでのその死にざまに、官兵達も敬服し、涙した。

  こうして、壮絶なまでの失敗に終わった、神風連の乱であったが、
  彼らの死は、決して無駄であったわけではない。
  彼らの起こした神風連の乱は、
  秋月の乱、萩の乱へと、その影響を及ぼし、
  西郷隆盛の起こした、西南戦争につながり、
  そして「侍」の時代は、幕を閉じるのであった。
  彼らは日本の華として壮絶に咲き、壮絶に散ったのである。

  以上が私の知る、明治10年に起こった、「神風連の乱」である。

  <了>

「ふう」、Mが息をつく。
「だいぶすっきりしたね」、Rが感心したように言う。
「すっきりどころか、これだとダイジェストでしかないんだけどね。
 少し理解できたら、もう一度原文にチャレンジしてくれるかな?」
「うん、わかったよ」

これで少しは、読むスピードも速くなるだろうと、
Mが思ったとき、Rが顔を上げていった。

「Mさん、さっきアインシュタインの話をしたよね?」
「ああ……」
「アインシュタインの記憶も、今のMさんにはあるの?」
「それは……、例外の一つだな。
 ほとんどの人間の記憶は、その人間が死んだら、
 俺の中に吸収される。だが、例外がある。
 
 日本人以外の民族、そして、日本人の中のごく一部の者。
 前者はわかりやすいが、後者は俺にも、その仕組みがわからない」

「ふうん、じゃあMさん、英語ぺらぺらというわけじゃないんだね」
「いや、英語ならぺらぺらだ。俺は単身、ニューヨークに旅したこともあるぞ」
「そうなの!」
「ああ、だが断る!」
「え?」

英語の宿題の答えを教えて、というRの心を先読みして、
Mは断った。悔しがるRを横目で見ながら、Mは思っていた。

 そうだ……。
 忘れていた。俺が転生した目的は、小説ではなかった。

 それがもう少しで、出てきそうだ……。
 アインシュタイン、がその鍵か?

 相対性理論、原爆……。
 だめだ……、思い出せそうで、思い出せない。

神によって消し去られた、「復讐」、というキーワードを、
Mが思い出すとしても、恐らくまだまだ先のことのようだ。

<つづく>

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