31「MとRの物語(Aルート)」第二章 8節 「松風」のシーン・リライト

二章8節「松風」のシーン、をリライト。
Rちゃんの理解力が高すぎたのと、生意気すぎたのをカット。
削れた部分を、サイコ・ライティングにて補修。
これならなんとか納得の出来。

(目次はこちら)

「MとRの物語(Aルート)」第二章 8節 「松風」のシーン・リライト

本を読む、Rの息が深い。ときおり、すぴー、という音も聞こえる。
どうやら眠ってしまったようだ。そんなRを、Mが見つめている。

「やっぱり……、松風でスローダウンか。
 いや、これじゃあスローダウンどころか機能停止だ。
 でも、無理やり起こすのもな……」

Mがしばらく待っていると、やっとRの頭が、ゆっくりと上がった。
「ね、眠いよーーー」
「おはよう。コーヒーでもいれようか」
「うん、お願い」

Mは立ち上がって、水切りカゴからマグカップを二つ取り上げ、
水道ですすいだ。まるでRの奥さんのようになってしまっているMだが、
割りと楽しみながらやっている。
何より、以前自分が書いた小説に、
忌憚ない意見をくれるRの存在は、うれしかった。
お湯が沸いた。フィルター付きのレギュラーコーヒーを、
カップに乗せてお湯を入れる。

2つのカップがコーヒーで満たされた。いい香りだ。

「ありがとう」、Rがコーヒーを口にした。
「いえいえ、もう慣れっこだよ。
 ところで今は、松風のシーンかな。
 そこも結構、挫折者が多いんだ。少し解説しようか?」
「うーん……」、Rは黙り込んだ。「ちょっと待ってね」

わかった、とMが言おうとした時、Rが顔を上げた。
「ぷはあああ!! 駄目だよMさん、やっぱり解説お願い!」

「うん、じゃあその前に、今そこを読んで、
 どんな風に感じてるか、教えてくれるかな?」

「うん……」、Rはペラペラとページをめくる。
どうやら、松風のシーンがスタートして、数ページは
読破していたようだ。

「ちょっとね、無理して読んでたんだけどね、
 『能』ってなんなの?」

能、というものに、今の若者は全くと言っていいほど興味がない。
「意識高い」とか、「意識高い系」という言葉はあるが、
そういう言葉では表せないほど、
能というものの存在は、若者から消えて落ちている。
すでにそれを予想していたMは、PCのページを見ながら
説明した。

「Wikipediaから引用しよう。

 "能とは、日本の伝統芸能である、能楽の一分野。
  江戸時代までは猿楽と呼ばれ、
 狂言とともに能楽と総称されるようになったのは、
 明治維新後のことである"」

「うーん……」

「今の若い人には、馴染みが薄いだろうな。
 由々しき事態ではあるが、今は時代の流れと割り切ろう。
 そして、これが能の演目の一つ、『松風』だ」

Rが、Mの差し出したノートPCを覗き込む。
『松風』の名場面を切り取って編集した、動画だった。

【動画より】

  薄暗い、すべて木造の舞台。
  局所的に、強いスポットライトが当たっている。
  磨き上げられた床は、小説の記述通りに、輝いている。

  悪く言えば不気味な、よく言えば質素で古風なお面を付けた演者が、
  そんな舞台で、ゆっくりと舞っている。

動画を見終えたRが質問した。

「この二人は?」

「松風(まつかぜ)と村雨(むらさめ)。
 在原 行平(ありわら の ゆきひら)の寵愛を受けた女性二人。

 行平は、西暦818年生まれ。天皇の孫にあたる身分だ。
 この話は、行平が須磨という地に左遷された時に、
 であった姉妹、松風、村雨と恋に落ちた。
 だが数年後、行平は、今度はその土地を去らねばならなくなる。

 そこで彼が詠んだ句。

  立ち別れ いなばの山の 峰におふる
   まつとし聞かば 今帰りこむ

 松風はね、行平と別れたあと亡くなった、松風、村雨が、
 幽霊となって浜を歩き、旅の僧の力をかりて、成仏する、
 という、人気の高い演目だ」

「うーーーん……。
 小説を読んだ感じだと、そんなお話には思えなかったよ。
 もっと不気味な、真っ暗な中で、2人の女性がさまよい続ける、
 みたいなお話かと思ってた」

「そうだな……。能とか、松風に触れたことがない人の多くは、
 そういう印象を受けるようだ。
 だがそれが能の魅力だ。明るい舞台が、
 空想次第で月の輝く夜の浜辺になったり、
 遠い地で待つ恋人の情景を、まざまざと映し出したり。
 空想が無限の可能性を生むという点で、小説と同じだな」

「ふーん……なんとなくわかったよ、あ、でも……」

「うん?」

「この能のシーンって、唐突にここに入ってるけど、
 どういう意図があるのか、聞いてもいい?」

「ああ……」

Mは、能のシーン挿入の意図を、ネタバレにならない程度に、
Rに語った。Rは納得しないながらも、理解はしたようだ。
ちょっと冷めかけたコーヒーに口をつけたあと、
また小説に視線を落とした。

日差しの加減が変わったのか、室温が若干あがる。
ホットコーヒーより麦茶がよかったかな、と思いつつ、
Mもコーヒーに口をつける。
暑さはまだ厳しいが、もうすぐ夏は終わる。
ちょうどRの読書も、その前には二巻読了まで行きそうだ。
次の読了のご褒美は、何にするかな、と、Mは考える。
Mは、生前自分が住んでいた屋敷と、娘の顔を、ちら、と
思い浮かべたが、すぐにかぶりを振った。

 駄目だ。
 そこまではRを、巻き込めない。
 そもそも俺の転生の目的は、娘ではなかったはずだ。
 それは何だった? 思い出せ。思い出せ。

Mは眉間に皺を寄せ、部屋の隅の一点を見つめて考える。
MとRを、全く意味の異なる二つの沈黙が、包み込む。
夏の時間は、じわじわと流れてゆく。

<つづく>

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