70「MとRの物語(Aルート)」第五章 2節 3つの願い
今回も推敲なし。できは二の次。いえーい。
「MとRの物語(Aルート)」第五章 2節 3つの願い
少年の頃のMと手を離したRは、次の瞬間、自分が薄暗い部屋の、赤く火のおこった火鉢(ひばち)の前の、座布団に座っていることを認識した。がら、と板戸が開いて、少年がお茶を運んできた。
「どうぞ」
「ありがと」
Rは温かいお茶をふくみながら思う。これもすべて夢。でも過去を書きかえることの出来る、重要な夢。私は現代のRの身体の中で夢を見ながら、過去のMさんの夢に、入り込んでいるんだ。過去の人と未来の人は、こうして夢の中で会うことが出来る。そうして未来の人は、過去の人の意識を、変えることが出来るんだろう。そういえばさっき私を変えようとしていたと思われる、聡子さんも、私の時代よりもさらに未来からきた、誰かなのだろうか? 「未来人」、というSF的な響きに少しうっとりしながらも、RはこのMさんの世界に意識を集中しようとする。そう、この少年の姿をした、美しく利発そうで青瓢箪(あおびょうたん)なMさんにとってもまた、私自身が未来人なんだわと考え、Rは身を引き締めた。お茶をお盆の上に置き、Rは少年を見た。少年はやはり険しい表情で、怪しむようにRを見つめている。私にはこの少年の、……未来のMさんのために、何ができるのだろう?
「きみたけ君?」Mの本名を呼ぶR。
「はい!」Mが叫ぶように答える。
そうか、とRは思った。Mの表情は、Rを怪しんでのものではないのかもしれない。Mは確か、大正という時代に生まれて、昭和への元号の移り変わりを体験した。今RとMの意識が存在している、このMの夢の中の設定が大正なのか昭和なのかはわからないけれど、平成生まれのRとは、まったく違った常識が、Mさんの中にはあるのかもしれない。Rの生きてきた平成では、目の前に眉間に皺を寄せた子供がいれば、不満を持っているか、怪しんでいるかのどちらかなのだろうけれど、少なくともこのMさんは、すでにRへの警戒を、半分ほど解いているように思えた。力強く答えた声の張りに、不安や恐れは微塵も感じられなかったからだ。Rは表情を崩して言った。
「静かでいいおうちだね。Mさんは、こんなすごいおうちに住んでいたんだね」
「Mさん? 僕はMさんじゃないよ。Mさんって誰なの?」
RはMに内緒で、Mのことをネットを使って調べていた。MはRがM自身のことをネットで調べるのを嫌っており、できれば俺の過去を知ろうとしないで欲しいと言ってはいたが、Rの記憶を読んで、確認まではしようとはしなかった。RがこっそりMの過去を調べていたことは、きっといつかはばれるのだろうけれど、そうなったらその時だ。私にも知る権利があるのだ、とRはその行為の自己正当化をすでに終えていた。ともかくRはすでに、幼少の頃のMについての情報に、少しばかりであるが触れていた。Mの生まれ、Mと祖母の関係、Mの女言葉、そしてMの最愛の妹のこと……。Mの本名が「きみたけ」であることも、その情報の中に、含まれている。ついでに言えば、「M」というペンネームを提案したのが、M自身ではなく、Mの恩師であったこと、その時M自身は、本名を名乗りたがったというエピソードを想い出し、RはMを、本名である「きみたけ」で呼ぶことにした。
「そうだよね、きみたけ君は、きみたけ君だね。Mさんというのは、気にしないでいいよ」
きみたけの眉間の皺が、すこし深くなったように見えた。あ、これはホントに私を怪しんでいる表情だ、とRは直感した。
「ねえ、あなたの名前は、Rさんだっけ? 遠い遠い世界から来た人?」きみたけが言った。
「あ、そうそう、私はR。えーと……」
Rは何を話そうかと、少し考えたがすぐには思いつかない。自分は未来にすむ美少女(?)Rで、その未来の夢の中で怪しい女に洗脳されそうになり危険を感じて慌てて「技」を使って過去にさかのぼり、暗い時の流れの中をいくつかの銀色の魚影とともに進んでたどりついた所がこの家の庭だった、というのが事実なのだけれど、そのまま説明したとして、この少年M、きみたけ君が、どこまで理解してくれるのだろう? もしかして、その説明をしている間に、現実のきみたけ君が目を醒まし、この世界は真っ白に崩壊してしまうのかもしれない。そうなったら私は、どうなるのか。この世界とともに消滅してしまうのか。それとも……。いずれにせよ、時間はあまりかけられない。Rは口を開いた。
「きみたけ君。私はね、あなたにすごく大切なことを伝えに来たの。いい? ちゃんと覚えてね。そうしてあなたは、未来を変えるの。ひとつ、あなたの妹を、しっかりと守りなさい。ふたつ、竜に気をつけて。みっつ、あなた自身を大切にして。特に、自決なんて絶対にしないで! いい?」
「自決? ……、僕が?」
あ……、しまった、とRは思った。純真なきみたけ君に、わざわざ自決というキーワードを与えなくてもよかったのかもしれない。逆にそのキーワードがMさんの自決への興味を生み、Mさんを自決に導いてしまうかもしれないことにRは気付き、戦慄を覚えた。だとしたら、私はなんて軽率で怖ろしいことをしてしまったのか……。
「ち、違うの……。みっつめは間違い。ひとつめとふたつめだけでいいの。わかった?」
「うん。覚えた。僕は未来を変える。ひとつ、僕の妹を、しっかりと守ること。ふたつ、竜には気をつける」
「そう。きみたけ君は偉いね」
「みっつ、僕自身を大切にすること。特に、自決なんて絶対にしないこと」
「……」
きみたけは、哀しそうな目で真っ直ぐにRを見た。Rはうろたえて目をそらしてしまった。その時唐突に、次のような声が、この世界に響き渡った。
「きみたけさん、きみたけさあん、どこにいらっしゃるのかしら。おちゃがしの用意が、できましたよぉ」
きみたけが、ぴくっと反応し、腰を浮かせた。「あ、おばあちゃま!」
Rは瞬時に悟った。この時代の現実で、Mさんのお婆ちゃんがMさんを呼んでいるのだ。Mさんを起こそうとしているのだ。だとしたら、この世界は間もなく崩壊する。だとしたら、Mさんを自決に追い込んだのは、もしかしたらR自身である、ということになってしまうのではないのか!
「そんなことさせない! 鮎の奔流!」
Rは両手を顔を前に突出した。それぞれ親指、人差し指、中指が立てられ、都合6本の指によって形作られた空間の内部に、静止した降雪のような光点が現れはじめ、その中央に、5mmほどの透明なガラス玉のような物体が現れた。それに向かってRが言葉を発すると、それに反応して内部に呪文のようなオレンジ色の記号が、刻まれていく。
「きみたけ君が、私の3つ目の伝言を、忘れますように! きみたけ君が、一生自分を大切にしますように! 一生幸せに暮らしますように。きみたけ君が、絶対に絶対に……」
あ……。
Rが最後の言葉を言い終わる前に、暗かった部屋は真っ白に包まれた。きみたけの姿が消えた。Rは必死に、続きの言葉を心の中で唱えた。
絶対に絶対に、自決なんて、自殺なんてしませんように……。
悲しみにつつまれながら、その世界から排除されていくRの心に、きみたけの心の声がかすかに届いた。
Rさんありがとう。僕、未来を変えてみるよ。
遠い遠い世界で、また僕とRさんは会えるんだね。
そのときまでさようなら。
Rの放った「卵」が発動し、真っ白な空間が淡いオレンジ色に染まった。その卵に刻まれた記号には、Rの最後の思いは含まれていたのかいなかったのか。Rは再び、暗い水底を泳ぐ銀色の鮎となり、R自身の「現実」へと時間を下った。Rは一心に、こう念じていた。
届いて、私の思い。がんばってね、Mさん。きみたけ君。