文庫本でしか読書が出来ない私の読書の秋2021
今まではただ単純に好みの話であって、出来ないも何もないと思っていたが、時間を有り余らせながらも一向に読み進められない目の前の一冊の本を見るにこれはそういうものなんだろうと思い至る。
大沢在昌著「新宿鮫Ⅺ 暗約領域」
帯の通り前作絆回廊から8年ぶりの新作、密造銃のスペシャリスト木津と桃井のラストシーンが忘れられない1作目「新宿鮫」が1990年発行となり、現在連載中の「黒石」まで21年間続く説明不要の超人気シリーズだ。シリーズ11作と短編集1冊が発行されている、きっかけは忘れたが1作目から読み始め今作の発売が発表された時も非常に楽しみにしていた。
2019年11月の末に発売された本著、私が購入したのは2021年の8月末頃になる。およそ1年と9か月間私はひたすらに文庫本化を待ち望んでいた。どうにもこうにもハードカバーというものに手を出すことが出来ず、手に取る前から読まない自分を容易に想像できていた。ふと思い出すたびに「新宿鮫 文庫」と調べてはいたが、現在に至るまで文庫化はされていない。
購入に踏み切れずにいた私は会社員だった。重度のコンプライアンス違反が前時代のように横行し繰り返される社内では、望んでか望まずか同僚たちは我先にと退職していった。そしてある日突然出社を拒否した前任者のおかげで実力も伴わずに課長というとってつけたような役職が名前の上にくっついていた私は、報告の為だけの実像を伴わない仕事や会議のための会議、存在しない案件と夢物語のような架空の数字を羅列した現実の会議資料。一代で築き上げた企業にありがちなワンマン経営が冗談かと思うレベルで実際に行われていた。重圧と仕事量に身動きが取れなくなり、せめて自分より後の世代にはこんな文化は残してはいけないと組織改革を叫んでいたのも束の間、他人を陥れ責任逃れに奔走する上層部と、もうこの会社にいるしか無くなってしまった年齢層の人間達を視界の端に置きながら、中途半端に良い給料と自身の営業活動とは関係なく身についてしまった好成績に胡坐をかき退職の踏ん切りがつかないまま、漫然とコロナ禍の世間を眺めていた。やる気などとうの昔に消え失せ営業に行くふりをしては時間をつぶした。
当時とりあえず常に一冊の文庫本を携帯していた、何かと往復2時間程度の電車移動の伴うことが多い仕事だった。移動時間にまで仕事のことを考えるような顕著な姿勢はとうに忘れ、日報の誤魔化し方ばかりが身についていた。好んで読んだのは警察小説、ノワール、エッセイなど、営業カバンの中にしまっておいて邪魔しない程度の大きさの文庫本ばかり読んでいた。大抵は古本屋で買っていたが時折訪れる本屋の新作コーナーでは気は惹かれるものの購入には至らず、早く文庫版が出てほしいと思うだけだった。
転機は2021年の8月、オリンピックの開催に生温く盛り上がる中で起きた。漫然と、この会社にいてももう駄目だろうという、ぼんやりと漂う退職への焦燥感が徐々にはっきりと輪郭を帯び始めたころ、矢も楯もたまらず退職を申し出た。5月の半ばだった気がする。以来、膨大な引継ぎ資料の作成等を行い8月半ばを最終出勤日とし、山のように残った有給休暇を消化し退職と伝えていたが突然に会社側から3カ月から半年の退職延期を指示された。「後任が決まらないから退職日を延期すること。そもそもそっちの勝手な申し出から始まってることだから半年くらい受け入れなさい。まだ会長にも報告してないから退職を取り消してやってもいいぞ。」というのが次長職を務めていた人間からの言葉だった。
終始黙して「かしこまりました、残念です。」と返事したのち私は退職代行を依頼した。もうこの会社に付き合う気力を持ち合わせていなかった。退職代行の対応は非常に迅速で、4時間後にはゆうパックで退職に伴う書類他諸々を送付し全ての手続きが終了していた。
翌日から気が触れたように携帯に着信が来た、残された同僚や部下が上司に言われて嫌々ながらに電話していたのだろう、その証拠に数日たったら誰も連絡はしてこない。退職などあまりに見慣れた光景なのだ。家に会社の人間が来たりもしていたらしいが私は名古屋のサウナに連泊していたので全くそういったゴタゴタに関わらずに過ごしていた。猛威を振るう感染症の対策としてアルコールの提供がされていなかったため、日々漫然と続けていた痛飲を辞めフィンランド式サウナに入りセルフロウリュを続けた私は、やがて天啓がひらめくかの如く健康な精神状態を手に入れ晴れて無職という自身の一番おさまりの良い、あるべき姿へと戻ってきたのである。
無限に思える自由の時間を手にし、ふと思い立ったのがこの本の存在だ。とりあえず文庫版は出てないかと検索はしたがやはり出ていない。何かの弾みに少し大きな本屋に寄った際に意を決して買ってみた。ハードカバーの本を購入するのはいつ以来だろうか、記憶にある限りは思い出す事が出来ない。学生時代に購入した資料集が最後だろうか。取り合えず頭の片隅にあった、いつか読みたいと思っていた本をとうとう手に入れたのである。
購入から早2カ月が経とうとしている。全709Pに及ぶ長編は200P進んだところで止まっている。監禁にあったとされる権現の行方はまだ分かっていない。この2か月間私が本を読まなかったわけでは無い、馳星周のパーフェクトワールド上下巻、暗手といった元来好きだったノワール小説を読み、久々に石田衣良の池袋ウェストゲートパークシリーズで未読だった七つの試練と絶望スクールを読んだ。漫画の満州阿片スクワッドを読んだ影響から未読のまま積んであった佐野眞一の阿片王を読み、暇つぶしに昔読んだ漫画を読み返したりと本には触れ続けていたと、いま一度振り返り感じる。
元来読書は好きなのだ、中学生ぐらいから東京に遊びに行く電車内の暇つぶしに文庫本を読んだ。漫画ばかり読んで育ったが小説は一冊で長い時間をつぶせる。高校でも同じだ、近いだけで選んだ工業高校、電気の授業に何の興味も持てず大半は本を読んで過ごした、漫画や携帯ゲームに興じたり床で寝ていた同級生たち、私同様に不真面目な彼らよりは制裁が少なく不評を買った。専門学生の頃には初めての一人暮らしの部屋にこさえた不釣り合いに巨大な本棚を埋めるために古本を買いあさり没頭した。本を書くのにかかる労力や積み重ねられた知識や経験に触れること、読書という行為そのものの持つ費用対効果の高さに気づいたのはこの頃だった。飲食業とは名ばかりの酔っ払い酒場で働いていた頃、何とかして年上に気に入られて酒をせびろうと考えていた時、役に立ったのも読書の経験だった。金もない中で100円の中古本を買い読んでいた。
詰まる所、私の読書遍歴にはハードカバーの本が存在しないのだ。移動のふとした瞬間、自室でのひと時、晩酌の友には片手で持てる文庫が良い。ページ数の違いはあれど規格が同じなのもいい。収まりがいいのが好きで落ち着くのだ。読書は文庫に限る。
ここまでグダグダとハードカバーの文句を書いたのだ、暗約領域残り500P、気合を入れて読み切ってみようと思う。何をもって読書の秋というのかは分からないが、おそらく読み終わるころには冬だろう。
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