香菜さんの男子禁制酒場(2) 「この世で最も嫌いな女、それは美味しんぼの栗田」
「あら、珍しい」
居酒屋「円」の古い木枠の扉を開けて入ってきた客を見て、カウンターに立つ香菜さんは高い声を出した。
「来ちゃったわよ」
企みの笑みを浮かべてカウンター席に座ったのは、ちょっと太めな中年女性だった。
「どうしちゃったのよ?繁美さん?主婦がこんなところで」
カウンターの端っこで飲んでいた常連のタクさんが声をかける。
繁美さんと呼ばれるその珍客はスーパー茜屋のベテランパートで
あり、お惣菜コーナーのチーフである。
「あら、やだ、タクさん。あんたいたの?」
「『いたの?』はないでしょう?『いたの』はー」
タクさんがビールグラスを片手に声を荒げる。
「だって、職場の人とあんまり飲みたくないから。あ、祐介君と飲めるのは嬉しいけどね」
タクさんの隣で居心地悪そうに微笑む祐介を繁美さんは見る。
「はー。のっけからエイジハラスメントだよ」
タクさんが枝豆をさやから押し出して、苦い顔で噛みしめる。
「夜、初めて来たけど、昼間と随分雰囲気が変わっていい感じじゃない?」
繁美さんがコードを脱いでカウンター席に座った。
「え?昼間って?ここ、ランチやってるんですか?」
夜にしか『円』に来た事のなかった祐介が驚いた表情で香菜さんに 聞いた。
「あ、違う違う。ほら、緊急事態宣言の時にね、お昼にお弁当出してて、 たまに繁美さんが買いに来てくれたの」
「敵情視察にね、チェックしてたの」
繁美さんが不敵な笑みを浮かべる。
「ここのお弁当も茜屋弁当の参考にしたのよ。パクリよ、ちょいパク」
スーパー楓屋は、コロナ禍にオリジナル弁当を数種類開発し、これが大好評で沢山売れに売れた。そのお弁当を作ったのが繁美さんなのだ。
「あらー光栄です」
香菜さんが嬉しそうな微笑みを浮かべる。
「私も何度か買ったんです。茜屋プロデュースのお弁当。この町のいろんなお店の名物が入っていて、お買い得ですよね」
オリジナル弁当は、コロナ禍でお客さんが来なくなったこの町の飲食店や、お惣菜屋に声をかけ、人気のメニューや惣菜を詰め合わせにしたものだった。
外出できないお客さんとお客さんが来なくて困っているお店を救うWin-Win弁当 として注目を集め、地元のテレビ局が取り上げて繁美さんはZOOM 取材を受けたりしたのだ。
「どうしたのよ、今夜は。忙しい年末に家の事、ほっといていいわけ?」
タクさんが聞くと繁美さんは吐き捨てるように答える。
「一年に一度くらい主婦が外で飲んで何が悪いってのよ!あ、ビールでお願いね」
「こわー」
繁美さんの剣幕に、タクさんと祐介は思わず身を縮める。かなりの迫力だ。
「そうそう。なんなら一年に一度と言わず、週に一度飲みにきて下さい」
香菜さんが海の町で作られた地ビールの瓶と足付きグラスを繁美さんの 前に差し出した。
「ほんと。そんな生活だったら最高。あら、このグラス、可愛いじゃない」
「ふふ。流石にお目が高い。最近、仕入れたイッタラ のものなんです」
「イッタラ ってフィンランドのメーカーですか?」
「あら、祐介君、流石女子力が高い。ここぞってお客さんの為に何客が仕入れたんだけど、冷製スープとかジュレとか食器にも使えるかなと思って」
「イッタラ だかバッテラだか知らないけど、どういう事よ?俺達には普通のグラスでさ。客を差別していいのかね」
「うっさい。うちでグラスや皿をいくつも割っといてそんな台詞を言うな。出入り禁止にならないだけありがたく思え!」
ピシャリと香菜さんがタクさんに止めを刺す。
ぽってりとした可愛らしさを感じさせるフォルムの足付きグラスに繁美さんはビールを注ぐ。レモン色をしたヴァイツェンの細かい泡がグラスの中でモコモコと成長を遂げる。その泡にキスするように繁美さんは一気にビールを喉に流し込む。
「ちょっとちょっと。乾杯もしないで何よ」
タクさんが繁美さんに絡む。
「えあ〜。うまい!あんた、さっきからうるさいわね。別に乾杯したい気分じゃないの」
繁美さんは既に半分以下にしてしまったグラスに残りのビールを注ぐ。
「人様が作った料理を食べながら一人、美味しい酒飲むって時間を過ごしたい時があるの!」
「嬉しいなあ。そんな時間を過ごす店に選んで貰えて」
香菜さんは内から喜びがあふれ出すように言って、繁美さんの前にお通しの豆皿を出した。その上には、五百円玉サイズの小さなコロッケがのっている。
「はい、これ一口コロッケ」
「ビールに合うのきたわねえ」
繁美さんがコロッケを一口で食べてしまう。
「あつっ、あふっ。あら?これってジャガイモじゃなくて里芋?」
「そう。里芋を潰したものなんです。ねっとりして、クリームコロッケみたいでしょ?」
「いいわねえ!クリームコロッケよりカロリー低いし、簡単だし。また中に入ったクリームチーズと粗挽きコショウがガツンときいてるわ。ビールにも合うし、コショウを少なめにしたら子供のお弁当のおかずにいいわね」
繁美さんは残りのビールを飲んだ。
「これ、真似していい?茜屋スーパーのお弁当に」
「どうぞどうぞ、嬉しいです」
「ありがとう。やっぱり外で食べるのって勉強になるわねえ。それにこの サイズの揚げ物をさあ、たった一つだけ揚げたてで食べられるのって本当に贅沢よねえ」
繁美さんは唸るように言う。
「やっぱ、今夜、この店に来て良かったー」
「やばい、嬉しい。繁美さんにそんな風に言って貰えて本当嬉しい。お店続けてて良かったー。コロナでもうやめちゃおうかと思ったけど、本当に良かったー」
繁美さんと香菜さんがお互いを褒め合う。香菜さんなんか、涙ぐんでいる。
「なんか、いいですね。そういうの」
祐介がしみじみ言った。
「俺もお客さんにそんな風に思って貰える仕事が出来たらいいなあ」
「あら、出来てるじゃない、祐介くん」
「そうですか?」
「そうよ。あなたの移動スーパーで買ったものをたまたま車で山から降りてきたからって、茜屋スーパーで買おうとするお客さんいるのよ。祐介君の名前だして」
「え?本当ですか?」
「本当よ、お弁当とかお惣菜とか。茜号で買ったのが美味しかったからって」
「えーなんか、嬉しいな」
祐介は目尻を下げて照れ臭そうに微笑む。
「うわ。何、この気持ち悪い感じ」
タクさんがケッという感じで持っていたグラスを置いた。
「エセヒューマンの空間って感じ、俺、耐えられないからやめてくんない?」
「ちょっとあんたねえ、いい加減にしてよ。口から出る言葉、全部否定じゃない」
香菜さんがタクさんと一触即発となった瞬間、繁美が言った。
「じゃあ、その気持ち悪いエセヒューマンの空間をぶっ壊していい?」
繁美さんが意地悪い笑みを浮かべる。
タクさん、香菜さん、祐介の三人は驚いた表情で、繁美さんの次の発言を待った。
「あんた達さ、この世で一番嫌いな女って誰?」
繁美さんの唐突な問いに三人は顔を見合わせた。
「何それ、どんな問いかけよ?」
「いいから。パッと思いついた女が誰か、言ってみて」
「えー誰だろう。苦手な人は結構いるけど『この世で一番嫌い』となるとなー」
香菜さんが上を見上げて考える。
「え?苦手な人、いるの?」
「そりゃいるわよー。いない訳ないじゃん。聖人じゃあるまいし。 生きてたら苦手な人の一人二人、いや、三人四人、五人…?
でもこの世で一番嫌いとなるとなー」
香菜さんが天井を見上げて考える。
「こえーなー」
「そう言うタクさんは?」
「うーん。俺はいないなあ。若い頃、借金して貢いだキャバ嬢とか『あいつめ、結局金目当てで』とか、そりゃ思う事もあったけど。もうこの歳になるとねえ。あーいい勉強させて貰いましたって感じかな」
「へえー、あんたキャバ嬢に貢いでたんだー。へえー」
「あ、繁美さん、今の話、うちのに言わないでね!頼む!」
「まあ、それはあんたの今後の心がけ次第よね」
「脅しかよ。人がせっかく正直に答えたのに。あ、ねえねえ祐介君はいるかな?」
話の矛先を変えようと、タクさんが慌てて祐介に話を振った。
「え?俺ですか?いやあ、いませんねえ。まず、嫌いな人があまりいないんですよねえ」
祐介が曖昧な笑みで答えた。
「あら、流石、祐介君ね。最近の若者は徳が高い子が多いわよねえ」
「若くないですよ、もう三十超えてますから」
祐介が慌てて否定する。
「まあ、あれだ。お前は好き嫌いの前に、人に興味がないからな。
サイコパスだサイコパス」
「ひどい!ひどいなあ…」
祐介は芝居がかった調子で頭をカクッと深く下げる。
「ああ、危ない!グラスにぶつかるでしょ」
「だって人の事をサイコパス呼ばわりですよ!」
「なんか、あんた達の答え、つまらないわあ」
繁美さんが三人を薄目で見つめる。
「じゃあ、繁美さんがこの世で一番嫌いな女は誰よ?」
「よくぞ聞いてくれたって感じよ」
繁美さんが小鼻を広げる。
「私がね、この世で一番嫌いなのは栗田よ」
「栗田って?」
「『美味しんぼ』のク、リ、タ」
「はあ?」
タクさんが素っ頓狂な声を出す。
「そんな。ク、リ、タって噛みしめるようにまた」
祐介が苦笑する。
「笑いごとじゃないわよ!栗田ってのはね、本当にいけ好かない女なのよ」
「あーでも私、分かる!世界で一番って訳じゃないけど、私も栗田嫌いー」
香菜さんが興奮して珍しく声のトーンが大きくなった。
「でしょ?まずさ、何よあの女。若い時から会社の金でいいもんたらふく 食べちゃってさあ」
「そうそう!」
「あたしなんか全部、自腹よ。スーパー茜屋の惣菜開発の為に美味しいものを自分の足でみつけて、自分の金払って食べて自分の中に蓄積していったわけよ。栗田は全部、経費で落として食べてるじゃない」
「え?それってでもさ。仕事じゃん、栗田の。東西新聞の企画でさ、うまいもの 対決とかなんかする記事を書く為だろ?」
「そう、仕事よね。それは分かる。私も料理雑誌の編集者やってたから。
経費で美味しいものを店に行って食べたりしてたから。でもねえ、栗田って…」
香菜さんが言いずらそうな、奥歯にものが挟まったような感じで言い淀んだ。
「いいのよ、香菜ちゃん。言っちゃって。今夜は吐きだそう、栗田への不満を吐き出そう」
香菜さんは、ワイングラスに赤ワインを注ぎ一口飲んで一呼吸入れる。
香菜さんは仕事中は滅多に飲まないから珍しい。
「栗田って新聞社の正社員じゃないですか。同じマスコミでも私がいた
弱小編プロとは雲泥の差。もちろん、使える経費も雲泥の差だし、取材対象も大手の新聞社が相手となると対応良いわけじゃない。弱小編プロと違って。門前払いなんて扱い、そんなにないと思うのよ、栗田って」
「そうそう!」
「なんか巨大権威をバックに楽な仕事をして好き勝手美味しいもの食べているのに、なぜか本人は食文化を守って啓蒙しているジャーナリスト気取りっていうか。まあ簡単に言うと『何様よ?栗田』って感じ?」
「そう!ほんとそう!香菜ちゃん、よくぞ言ってくれたわ」
繁美さんが思わず立ち上がり、カウンター越しに香菜さんと固い握手を交わす。
「こわー。女ってこわー」
タクさんがぽかんと口を開けている。唖然という言葉はこういう表情を言うのだろう。
「俺はちょっと違う角度でダメなんです。栗田さん」
「お!」
香菜さんと繁美さんは、目は輝かせて祐介の次の言葉を待つ。
「栗田さんというか、山岡もなんですけど。出された食べ物に対してガタガタ能書きばかり語るじゃないですか。食べるものがあるだけありがたいという気持ちは 彼らにはないのだろうか。ガタガタ能書きばっか語ってないで、黙ってありがたく食えよ!って子供の頃から思ってましたね」
静かに語る祐介のその言葉に、並並ならぬ重さを感じて三人は一瞬黙る。
「まあまあ、そのガタガタ語る能書きって食の蘊蓄だろ?『美味しんぼ』ってそれを読ませる漫画だろ?そこを原作者はめちゃめちゃ取材して労力かけて書いてる訳だろ?それ否定したら話が成立しねえじゃねえかよ。そもそも論だよ、そもそも論」
「まあ、そうですけど…」
「だいたいさ、そんなに嫌いなら三人とも読まなきゃいいんじゃないの?
俺なんか、ここ数十年読んでねえけどな」
タクさんが呆れる。
「私だって二十巻くらいまでしか読んでないわよ。あの女が腹がたって読み続けてらんなかったのよ」
「だったらもう蒸し返さなくていいじゃん」
「よかないわよ。読まなくなってからの空白期間、結局、私には栗田以上に腹の立つ女が出てこなかったのよ。すごい女よ。栗田が山岡と結婚したっていうのは、風の噂で聞いたけどね。ほんとどこまでもすごい女よ…」
繁美さんの剣幕は止まらない。いつの間にか、香菜さんが飲んでいた赤 ワインのフルボトルを奪って飲んでいる。
「風の噂ってググればわかるじゃんよ。それにもう読んでなきゃいいじゃない。 だいたい結婚相手、山岡だよ?山岡みたいなグータラ男との結婚なんてどーだっていいでしょ?」
「どーだって良くないわよ!」
繁美さんと香菜さんがユニゾンで叫ぶ。タクさんは驚きのあまり、付いていた肘をガクッと滑らせる。
「あんた、山岡をただの変人グータラサラリーマンだと思ったら大間違いよ」
「そうよ!あいつとんでもないボンボンじゃない。しかも只の金持ちの息子じゃ ない。親父は海原雄山よ。山岡が持っているのは只の資産じゃない、圧倒的な文化的資産なのよ。金で換算できないわ。山岡と結婚するってのは、その文化的資産を頂くって事なのよ。とんでもない強かな女よね、栗田って」
「そこよ!そこなのよ!分かってる!香菜ちゃん!」
繁美さんは再び立ち上がり、香菜さんと硬い握手を交わす。
「飲む?」
繁美さんが赤ワインのボトルを香菜さんに向ける。
「飲む飲む」
香菜さんは繁美さんにグラスを差し出し、なみなみと注いでもらう。
「山岡と栗田の間に、三人子供ができましたしね」
「ほんと?かー!やるわねえ、栗田!」
「あーもう、海原家は完璧に栗田に取り込まれたね。恐ろしい女」
香菜さんと繁美さんが喚く。
「苦手とかいいながら詳しいじゃない、祐介くん。なんだかんで栗田の事、好きなんじゃない?」
「違いますよ。町中華とか旅行でゲストハウスとか行くと、小さい本棚にあるんです『美味しんぼ』のコミックスが。つい、暇つぶしに読んじゃって」
「ああ、あるなあ。『ゴルゴ13』もあるなあ」
「僕は、栗田さんが山岡と海原の親子の間を取り持つような差し出がましい真似をするのがちょっと…」
「そうそう!あのでしゃばり女」
「人にはどんなに親しくても踏み込んじゃいけない領域ってあると思います」
「その通りよ、祐介君。でもね、栗田の目的はあの親子の和解の先にあるものだからね、
海原の文化的資産だからね。愛するパートナーの家族愛を回復するように見せかけてね。腹黒いわよね」
「…そうか。そう考えたら僕は逆にホッとします。栗田さんが善意でやっているんだと思って読んでいて苦しかった。僕が山岡だったら別れてしまうところだった。でも善意じゃなくてあれは打算なんですね」
「そうそう!」
香菜さんと繁美が再びユニゾンで叫ぶ。
「もう、あんた達、怖いよー。俺、ここにいたくないよお」
タクさんが泣きそうな顔になっている。
「じゃ、出て行けば」
繁美さんがタクさんに意地悪そうに言った。
「え」
「あーこの台詞、私はね、タクさんじゃなくて旦那に言いたいのよ!文句があるなら出て行けってね」
「なんだー、年末に夫婦喧嘩してここに来たって訳ねえ。そんで『美味しんぼ』の栗田に八つ当たり?」
「何があったんですか?」
「私、実はヘッドハンティングされちゃって」
「ヘッドバンキングの間違いだろ」
「ちょっと、タク!お前、退場!今度何か喋ったら、退場!」
香菜さんがギッとタクさんを睨んで指を指す。
タクさんは黙って俯いた。
「どこからの引き抜きですか?」
「それが、日の国屋さん」
「えーすごい!高級輸入食材屋さんじゃないですか。しかも全国展開してるし」
「茜屋弁当を食べた担当者がね、地産地消コーナーを強化したいから、是非手伝って欲しいって。しかも正社員待遇」
「すごい!」
香菜さんと祐介は繁美さんに拍手を送る。
「それがそんな喜ばしい事じゃなくってね、旦那にチラッと話たら『お前何考えてるんだ』って。あのスイカ腹の男」
繁美さんはワインを煽るように飲む。
「まだ子供の受験も終わってないし、お姑さんの介護も始まったばかりで、誰が家の事をやるんだって。そんな五十のおばちゃんを社員待遇なんて うまい話ないだろうって」
繁美さんは途中から涙ぐむ。
「私は本当はね、上京して、食の仕事をしたかったの。食べる事が大好きだからね。だから学生の頃から自腹切って勉強してきた。食べ歩きしたり、海外の屋台を研究したりね。でも卒業と同時にできちゃたから、諦めてこの土地に残って子育てしてた。子供が少し大きくなって手がかからなくなったらパートに出て家にお金入れてね。それでも美味しいものがあると聞いたら、少ないおこずかいをやりくりして車を飛ばして買いに行ったし、通販で取り寄せたり地元の人から郷土料理習ったり、この数十年、出来る限り勉強してたのよね。栗田が会社の金で高級なものを飲み食いしている間ね。そうしたら神様は見ていた。私にそんな夢のような話が舞い込んできた。それなのに、千載一遇のチャンスを旦那が潰そうとしてるのよ。ファミレスのハンバーグが何より美味しいっていうトンチキ味覚の旦那がさ。皿だって作家ものなんて分かりゃしない。そんな高いものを買うな。百均の皿で いいだろって。山岡だったら死んでも使わないようなツルツルペラペラの安っぽい皿よ。それどころか、お寿司のパックの蓋に色々おかずとかのせちゃうような男がさあ」
「もう、それやるしかないよ、繁美さん!茜屋やめてやっちゃいなよ!」
香菜さんが繁美さんの呪詛を止めるように言った。
「だって私はもう五十だし、栗田と違って田舎のパートタイム主婦で、旦那のお義父さんは海原雄山と違って農家だし…」
「そもそも、比べるのが間違ってるんじゃないですか?」
香菜さんが繁美さんの前に鮮やかな藍色のパスタ皿を置いた。
クリーム色のショートパスタが盛り付けられている。
ところどころくすんだグリーンと黄色の具材がちりばまれていて、藍色の皿とお互いに色が引き立てあっている。
「はい、どうぞ。赤ワインに合いますから、ゆっくり食べて心を落ち着けて下さいね」
「何それ?さっきからすごい匂いなんだけど」
タクさんが店内に漂う濃厚な匂いを全て吸い取るような勢いで嗅ぐ。
「ゴルゴンゾーラソースなの」
「あら、ワインが進みそうねえ。いただきます」
さっきまで泣き叫んでいたカラスがなんとやらで、繁美さんは早速パスタをフォークで刺して口の中へ。
「あら?これって、パスタじゃないわ!モッチモチで。ニョッキ?」
「ふふ、さあ何でしょう?」
「あ!お餅?」
「正解です。短冊サイズに切って入れてみました」
「へー、面白い使い方ねえ。合う合う!ゴルゴンゾーラと」
「でしょ?一回、韓国のトッポッキで作った事があって。だったら日本のお餅でもいけるかなって」
「正月にお餅余ったら真似してみるわ」
「是非」
ソースの中に埋まった、1センチ四方の具材を繁美さんはフォークで刺して 見つめる。
「これって…」
恐る恐る口の中へ運ぶ。
「あ、栗の甘露煮!意外と合うわね!ゴルゴンゾーラと」
繁美さんはワインをクイッと飲んだ。
「本当にワインにぴったり。グビグビ進んじゃう。それにゴルゴンゾーラのパスタって途中で飽きちゃうけど、栗の甘さがいいアクセントになって最後まで飽きないで食べちゃう。きんとん作ってないから」
「題して、御節の残りでイタリアンです」
「なんか最近は、甘栗とかモンブラン見るだけでイライラしてたけど、栗田もやるわねえ」
「すごい。栗を擬人化するほど栗田が嫌いだったんですね」
祐介が失笑する。
「ゴルゴンゾーラって、家では中々手が出せない食材だけどさ。子供が臭いって騒ぐから。でも栗の甘露煮と合わせるって良いわね。
今までキントン以外の使い道って、ケーキに入れて焼いたりとかとか、 デザートでしか考えた事なかったわ」
「そんな風にこの料理を理解してくれるのって、繁美さんがこの土地で長い間、スーパーのお惣菜売り場で働いていたからだし、家庭の仕事もしてからだと思うんですよね」
香菜さんが繁美さんに諭すように言った。
「それは栗田にはない武器じゃないですか」
「そうよねえ、栗田には五十人前一気に惣菜作るなんて事、出来ないわよね」
「そっちの資産を大切にしましょうよ。お互いに」
「そうよねえ」
繁美さんがしみじみと呟き、ワインを飲む。
「ていうか、そもそもさ、漫画のキャラクターと自分を比べるってのが…」
「うるさい!」
繁美さんと香菜さんがユニゾンでタクさんの言葉をピシャリと止めた。
「茜屋スーパー、やめるんですか?」
祐介が繁美さんに伺うような目で聞いた。
「年明けに店長に相談するわ」
「おー!」
繁美さんのその腹からの声に、並並ならぬ決断を感じてその場の三人が思わず拍手を送る。
「女、五十にして夢を叶えるわよ」
繁美さんが立ち上がってワイングラスを掲げる。
まるでニューヨークの自由の女神のようだった。
その神々しい力強さに、圧倒された香菜さんとタクさんと祐介は、
無言で自分達のグラスを繁美さんに向かって掲げた。
(終わり)
(↓他にこんなものを書いてます)
うまい棒とファミチキ買います