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北海道の廃線跡探訪 第90回 夕張線支線(登川支線)紅葉山~登川間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪 第90回 夕張線支線(通称 登川のぼりかわ支線) 紅葉山もみじやま~登川間です。

石勝せきしょう線の開業にともない廃止された登川支線は、全線7.6㎞と短距離路線でしたが、レンガ造の橋台などが残り、歩けるところもあります。
最初の撮影から10年も経ってしまったので、先週再確認してきました。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.夕張線支線(登川支線)小史

夕張線支線(通称 登川支線)は、北海道炭礦汽船たんこうきせんかえで礦の石炭輸送のため、1907(明治40)年5月16日紅葉山~楓間が開業した。
楓は貨物取扱所だったが、1909年7月10日一般駅となり、同年10月12日線路名称制定により、夕張線の一部となっている。
楓~登川間は1916(大正5)年7月11日三井鉱山専用線を譲受、紅葉山~登川間7.6㎞となった。

1953(昭和28)年登川礦は閉山、楓礦も真谷地まやち礦に統合したため、登川支線の石炭搬出はなくなる。
そのため1967年1月、楓のホームを移設してスイッチバックを解消している。
炭鉱閉山後も細々と残っていた登川支線は、石勝線に新たな楓駅を設けることにより、1981年7月1日、石勝線開業に先立ち廃止された。

3.紅葉山~楓

1/2.5万地形図「紅葉山」 昭和49年測量に加筆 石勝線は建設中記号で表示されている

夕張線紅葉山駅は登川支線廃止時に高台に移転、3か月後の1981年10月1日石勝線開業時に新夕張と改称されている。

ちょうど来合わせた新夕張駅終点の夕鉄バスからは2人が下車、1人は石勝線への乗換客のようだった。とはいえ、上下ともに1時間以上の待ち時間があった。
折り返し本町方面への夕張市石炭博物館行きは、列車の接続がなかったからか、乗客皆無だった。

①バスが直接乗り入れるように再整備された新夕張駅 2024年11月撮影

元の紅葉山駅構内は再整備され、道路や駐車場、道の駅「夕張メロード」になり、面影はなくなっている。

①ロータリーから元の駅構内を望む 左の道路が元の駅前通り 2024年11月撮影
①紅葉山駅に停車中のキハ22 221単行の登川行き 新夕張駅は画面左方となる 1979年4月撮影

新夕張駅のロータリーには、紅葉山の駅名標があるが、書き換えられ、違和感のある字体になっているのが残念。

①ロータリーにある駅名標 2024年11月撮影
①きれいだったころの駅名標 2014年10月撮影

紅葉山を出た夕張支線は夕張線と並んで東北へ進み、切り通し状になって東に曲がっていた。

今では切り通しは埋められ、国道452号まで道路や空き地、国道から夕張川まではコンビニや運送会社の敷地となり、路盤の面影はほとんどない。

②旧駅跡から楓方を望む 2014年10月撮影

夕張川には紅葉山方に、楓夕張川橋梁の橋台が顔をのぞかせているが、国道274号の踏切は国道の拡幅直線化で痕跡はない。

③楓夕張川橋梁の紅葉山方橋台 2015年5月撮影

その先で久留喜くるき方面への市道と並行、ポンクルキ川橋梁の橋台が残るが、前後の築堤の一部はなくなっている。

④ポンクルキ川橋梁の橋台 2024年11月撮影

やがて市道に取り込まれて路盤は消失、さらに道東自動車道の築堤が立ちふさがる。
道東自動車道の築堤の先も市道になっているが、国道と近づくあたりから路盤はヤブとなって現れる。

⑤市道となった区間 紅葉山方を望む 2024年11月撮影
⑥市道となった区間 楓方を望む 2024年11月撮影

市道から国道への小道の踏切跡から紅葉山方はヤブだが、登川方は林のなかに路盤が続いている。
路盤は10年前より少しササヤブが生長していたが、それでもホロカクルキ川まで廃線跡歩きが楽しめた。

⑦踏切跡から楓方を望む 2024年11月撮影
⑧ホロカクルキ川へ向かう築堤 楓方を望む 2024年11月撮影

ホロカクルキ川には、第1志栗木川しくりきがわ橋梁のレンガ造の橋台が残っている。

紅葉山方橋台はかなり高く、晩秋から初春までは国道からも見えるが、楓方橋台は河岸の低いところにある(上方部分がなくなった?)。

⑨第1志栗木川橋梁の紅葉山方橋台 2024年11月撮影(タイトル写真も同じ)
⑨同 楓方橋台 2015年5月撮影

川を渡った路盤は、国道の桂橋の先で国道に取りこまれているが、その手前には道東自動車道の橋脚が立っている。

ホロカクルキ川と桂橋の間の路盤も、初春や晩秋は歩くことができ、国道からも見える。

⑩国道274号へ向かう築堤 上は道東自動車道の高架橋 2015年5月撮影
⑩同地点から紅葉山方を望む 2015年5月撮影

このあたりから、登川支線はほとんどの区間で25‰の急勾配で登川へ向かっていた。

楓は国道の歩道脇にあるコンクリートの擁壁が駅の痕跡というが、駅跡を感じさせるものはまったくない。
擁壁は、ゆるく南東へカーブしていく旧路盤転用の国道に沿わず、接線状に東へ直進しているから、スイッチバックだった初代駅構内の名残だろうか。

⑪楓駅跡にある擁壁 上は道東自動車道の高架橋 2024年11月撮影
⑪登川方から見た楓駅のホーム 背景に建設中の石勝線の築堤が見える 1979年4月撮影
⑪楓駅舎 1979年4月撮影

4.楓~登川

1/2.5万地形図「紅葉山」昭和49年測量に加筆

楓からも国道化された区間が続き、楓の直前にあった第2志栗木川橋梁や登川方の第3・第4志栗木川橋梁の跡もない。

路盤が現れるのは、登川への市道が国道と分かれる附近からとなる。

市道と並行して登川へ向かう路盤は築堤となり、滝沢川には境川橋梁のレンガ造橋台が残っている。

⑪境川橋梁の橋台 奥は廃道の橋 2024年11月撮影

2014年訪問時は、市道の橋が通行止めになっており、迂回路として仮設ガーダーが架けられていた。
三井専用線時代の橋台だとしたら、100年以上経っても使えるとは大したものだと思う。もっとも、附近に民家は1軒だけだから、通行するクルマはほとんどないけれど。

⑪境川橋梁の橋台を利用した仮橋から楓方を望む
道路は左に見える市道への仮設道路 路盤は直進 2014年10月撮影

登川は山とホロカクルキ川に挟まれた狭いところにあった。
道東自動車道の管理用道路が路盤の位置らしく、ゲートのため立ち入ることもできなくなっている。

⑫管理用道路となった登川駅跡への路盤 2024年11月撮影
⑫登川駅跡を望む 駅舎は右の小山の後ろにあった 2014年10月撮影
⑫ホロカクルキ川対岸の市道から見た登川駅構内
画面左端の小山が、2014年10月撮影写真の右にある小山 1979年4月撮影
⑫同上地点から見た登川駅舎 1979年4月撮影

登川支線の代替として設けられた石勝線の楓は、本線から分かれた1線突っこみのホームがある無人駅だったが、最終的には朝の1往復、利用者は1人となり、2004年3月13日旅客営業を廃止、信号場となっている。

駅舎は撤去されたものの、楓発着列車用のホームは残されていたが、これも2016年撤去されている。

⑬信号場となった後も残っていた楓(新駅)のホーム 線路には保守用陸軌両用車が停まっている 左端は石勝線下り本線 2014年10月撮影

1日2往復しかなかった登川(バス終点は国道から市道を少し入ったところ)までのバス路線は、2017年10月1日廃止された。
路線廃止告知にある「利用客の減少」「運転者不足」が哀しい。

⑭登川バス停にあった廃止告知 2017年9月撮影

かつては札幌大通から夕張市内各地を結んでいた、夕鉄バス札幌急行便は、札幌方は新札幌までとなり、夕張方も次第に行先が絞られ、ついに全廃されてしまった。
最後まで残った、北海道中央バスの札幌夕張線「高速ゆうばり号」でさえ、今年の9月いっぱいで廃止されている。

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は、白糠しらぬかです。

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