北海道の廃線跡探訪 第44回 岩内線(1/2)小沢~幌似間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第44回 岩内線小沢~岩内間 その1 小沢~幌似間です。
岩内線は全長15㎞に満たない短い路線です。トンネルはなく、田園地帯を岩内へ向かいました。
道路化(正確には路盤転用ではない)により、ほとんどの遺構が消失しましたが、幌似には駅舎と車輌が保存されています。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.岩内線小史
岩内線は1912(大正元)年11月1日小沢~岩内間14.9㎞が、北海道鉄道敷設法によらない岩内軽便線として開業した。
着工は1年前で、これほど早期に開通したのは、岩内馬車鉄道(開業認可前の1904=明治37年10月、試運転を名目に実質的に開業、岩内軽便線開業半年前まで運行)を岩内町が買収、路盤を鉄道院に寄附したからで、岩内市街(馬鉄は併用軌道)や小沢駅附近を除いた大部分は拡幅した上、転用されている。
岩内軽便線は1922年9月岩内線と改称、戦後には札幌への直通準急(のち急行)「らいでん」も運行されたが、第一次特定地方交通線に指定され、1985(昭和60)年7月1日廃止された。
なお、岩内線の未成線として岩内~湯別~黒松内間があり、湯別~黒松内間は寿都鉄道を買収するはずだったが、起工式はしたものの一部の土地買収だけで終わっている。
3.小沢~国富
岩内線の起点、函館本線小沢は無人駅となり、大きい木造駅舎も小型の待合室に建て替えられ、急行「ニセコ」や特急「北海」が走っていた当時に比べ、めっきり寂しくなった(タイトル写真は、交換するSLニセコ号と小樽行2933D 2010年10月撮影)。
岩内線ホームだった1番線は擁壁がなくなり、なかば崩れかけ、線路もない。
今では珍しくなった、北海道特有の途中に踊場のある跨線橋は、近年、窓がアルミサッシとなり、倶知安方の側面にサイディングが貼られたが、今なお使われている。
近年、その脚元に岩内線1番ホーム跡と廃止年月日を示す木柱が建てられている。
小沢を出ると、しばらく函館本線と並行しているが、稲穂峠へ向けて上っていく本線とは次第に高低差がついてくる。駅から少しの間は側道のような感じになっているが、やがてヤブに閉ざされる。
函館本線から離れると、コンクリート桁の瀬戸川橋梁が農道の一部として使われ、小さなコンクリートの函渠もある。
その先の踏切跡からは草は生えてはいるが、国道5号をくぐり、国富まで何とか歩くことができた。
4.国富~幌似
開業1年後の1913年9月設置された国富は、市街のはずれにあり、国富鉱山への専用線が出ていた。
今では駅舎はなく、構内の大半は整地されている。それでもかつてはカーブした長いホームが残っていたが、近年、河川改修工事の駐車場とされたため、擁壁もほとんど失われている。
国富を出ると、シマツケナイ川と辰五郎川を渡る。
シマツケナイ川を渡る上鮭川橋梁のレンガ造の橋台が両側とも残っている。
辰五郎川橋梁は護岸改修のため何もないが、手前の小さな水路に橋がある。橋台はレンガ造なのに、桁はコンクリートという変わった構成だが、桁の形から鉄道橋と思われる。
辰五郎川から国道276号までの路盤は、一部が作業道となっている以外はヤブに覆われ、小さな川(今は水流はない)にレンガ造の橋台が残っていた。
国道の高尾跨線橋は2017(平成29)年に撤去されている。
跨線橋跡を過ぎると築堤の一部が作業道となって続いているが、茅沼方面へ向かう道道269号と並行するあたりから、国道276号の新道(岩内共和道路)になっている。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は幌似から岩内へ向かいます。